216 散歩をダメにしちゃってごめんなさい!


「あの、クレイユ君! 着いたからもう下ろして! スリッパなら傷にもさわらないし……」


 別荘に着いたんなら、いつまでもクレイユに背負ってもらう理由なんかない。

 足をばたつかせると、


「少し待ってくれ。ほら、そこのソファーに下ろすから」


 と制された。ロビーにいくつか置かれているソファーのひとつに、そっと下ろされる。


「クレイユ君、本当にありがとう。おかげで何事もなく帰ってこれたわ」

 座ったまま、深々と頭を下げて丁寧に礼を言う。


「後は自分で絆創膏ばんそうこうを――」


 言いつつ顔を上げた俺は、目の前にクレイユがひざまずいているのを見て、びっくりした。


 そんな俺にかまわず、クレイユが擦りむいたほうの俺の足を取る。


「えっ!? あの……っ!?」


「ついでに消毒しよう。自分じゃしづらいだろう?」

「えっ!? だ、大丈夫! 自分でちゃんとできるから!」


 背もたれから身を起こし、サンダルを脱がそうとするクレイユの手から、足を引き抜こうとすると、「おいっ!?」と鋭く叱られた。その声の厳しさに思わず凍りつく。


 対照的に、クレイユは耳まで真っ赤に染めてそっぽを向いていた。


「スカートなのに暴れるな!」


 言われた内容を理解した瞬間、俺も顔も、ぼんっと爆発したように熱くなる。


 俺がいま着ているのは、膝丈のハイウェストのワンピースだ。あわててがばっと両手で裾を押さえる。


「言っておくが、見てないからな!」


 俺が尋ねるより早く、誤解を受けてはたまらないとばかりに、クレイユが決然と告げる。


「わ、わかった……」

 俺としてはクレイユの言を信じるしかない。


「これ以上、あられもない姿を披露したくなければ、おとなしく手当てされることだな」


 呆れているんだろう。まだ赤い顔でそっぽを向いたまま、クレイユが憮然ぶぜんとした声で言う。


「う、うん……」


 恥ずかしさと情けなさのあまり、蚊の鳴くような声で返事をしたが、クレイユにはちゃんと届いたらしい。


「大丈夫だ。消毒をして絆創膏を貼るだけだから、すぐに終わる」


 こちらに向き直り、俺を見上げた面輪には、いつものクレイユとは打って変わった優しげな笑みが浮かんでいた。なぜか、心臓がとくりと跳ねる。


「少し、しみるぞ」


 あらかじめ注意したクレイユが、消毒液を含ませたガーゼを、そっとかかとに押し当てる。


「つぅ……」

 来るとわかっていても痛みに思わず声が洩れ、身体にぎゅっと力が入る。


「大丈夫か?」

「うん、平気……」


 心配そうに面輪を上げたクレイユが、俺の返事にふたたびうつむく。

 つややかな黒髪がさらりと揺れ、クレイユのつむじが見えた。


 まさか、クレイユにこんな風にひざまずかれる日が来るとは……。


 怪我の手当てをするためとはいえ、いつも突っかかってくるクレイユが俺の前にひざまずいているところを見るなんて、なんだか不思議な気持ちだ。


 怪我を心配して俺をおんぶしてくれたり、こうして手当てをしてくれたり……。言い方がきつい時はあるけど、根は悪い奴じゃないんだよなぁ。


 そんな奴なら、そもそもいくら幼なじみでも、エキューがあんなに仲良くしてるはずがないし。


 クレイユのつむじを見ながらぼんやり考えていると、絆創膏を貼り終えたクレイユが「よし」と声を上げた。


「これでいいだろう」


「あの、クレイユ君。本当にありがとう。何から何まで頼っちゃって……。それと、せっかくの散歩を途中でやめることになってしまって、本当にごめんなさい!」


 立ち上がったクレイユに、座ったまま、もう一度深く頭を下げる。


 ゲームで一位を目指していたということは、クレイユも夜の散歩を楽しみにしていたってことだろう。


 いや、クレイユの場合、単なる負けず嫌いで一位を獲った可能性のほうが高いだろうけど……。


 でも、散歩を途中で切り上げることになったのは、全部俺のせいだ。


 イゼリア嬢とろくに散歩できなかったのは、俺自身、本気で泣きたいくらい哀しい。


「私の謝罪なんかじゃ、クレイユ君の気がすまないかもしれないけど……っ。散歩をダメにしちゃって、ほんとにごめんなさい!」


「確かに、楽しみにしていた散歩がろくにできなかったのは、残念極まりなかったな。本当に、きみといると、予想もつかないことばかりで、いつもはらはらさせられる」


 吐息まじりの声に、俺は頭を下げたまま、びくりと肩を震わせる。


「ご、ごめんなさい……。その、どうやってお詫びすればいいのかわからないけど……」


「お詫び?」


 意外そうな声におずおずと顔を上げると、正面に立つクレイユと目が合った。蒼い瞳が興味深げに俺を見下ろしている。


「そうか、詫びか……」


 考え深げに呟いたクレイユが、不意にソファーの肘に左手をかけ、身を乗り出す。


「あ、あの……っ!?」


 戸惑う俺をよそに、クレイユの右手がくいと俺の顎を持ち上げ、怜悧な面輪が吐息がかかるほど近くに迫り――、


「ハルシエルちゃん! クレイユ! よかったぁ――っ! 先に戻ってきてたんだね!」


 不意に玄関から響いたエキューの声に、クレイユが弾かれたように身を起こした。


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