152 俺は、ちゃんときみを楽しませることができただろうか?


「大丈夫です! 降りるのだったら、跳べばいいだけですから……っ」


 エクレール号に乗って玄関前へ着いた俺は、自力で降りようとディオスを押し留めた。


 乗るのと違って、降りるだけなら、重力に従うだけ! 運動音痴のハルシエルにだってできる!

 と、意気込んだものの……。


(ううっ、やっぱり高い……っ)

 どうしても、尻込みしてしまう。と。


「手を貸そうか?」

 先に降りていたディオスが、俺に手を差し伸べる。


「何か掴むものがあったほうが、怖さもましだろう?」


「あ、ありがとうございます……」


 うん、抱き上げられるのはお断りだが、手を借りるくらいなら……。

 俺はすがるようにディオスの手を握ろうとし。


「きゃっ!?」


 くらから乗り出し過ぎて、バランスを崩す。ずるり、と鞍から身体がすべった。


「ハルシエル!」

 とっさにディオスがもう片方の手も伸ばす。


 俺は来るだろう衝撃と痛みに目を閉じたが……。


 あれ? どさっと固いものにぶつかったけど……。痛くない?


 そろそろと目を開けると、目の前にあったのはディオスの凛々しい面輪だった。

 って、近いよ、近い! 度アップすぎる――っ!


 離れようとばたつかせた足が空をかく。そこでようやく、俺はディオスに抱き止められたのだと気がついた。


「大丈夫か!? どこか痛いところは……っ!?」

 ディオスが青い顔で尋ねてくる。


「すまない。俺が不用意に手を出したばかりに……!」


「い、いえっ! 大丈夫です! 助けていただいたので、どこの痛くなんてありません! で、ですけど……」


 助けてもらったとはいえ、ディオスに思いきり抱きしめられているのは、恥ずかしいことこの上ない。


 驚きで乱れた呼吸を整えようと息を吸うたびに、ディオスの爽やかなコロンの香りが迫ってきて、わけもなく心臓がどきどきする。


 って、鞍から落ちかけたから当然だよな、うん!


「あ、あの。大丈夫ですから、下ろしてください……」


 居心地の悪さに身動みじろぎする。足がつかないのは不安だ。心臓のどきどきはまだおさまらない。


「あ、ああ……」

 ディオスが壊れ物でも扱うように、そっと俺を地面に下ろしてくれる。が……。


「あの……?」


 なぜ、抱きしめたままなのかと、腕をほどいてくれないディオスを見上げる。途端、


「っ!」


 俺を真っ直ぐ見つめるディオスと目が合った瞬間、緑の瞳に宿る熱が移ったかのように、俺の頬も熱くなる。


 どこか張りつめた雰囲気に、何か言わねばと俺が口を開くより早く。


「……俺は、ちゃんときみを楽しませることができただろうか?」


 ディオスが、不安のにじむ声で問う。


「もちろんです!」

 俺はほっとして大きく頷いた。


 なんだ。今日のごほうびデートの出来が心配だったのか……。生真面目なディオスらしい。


 ディオスを安心させようと、笑顔で告げる。


「とても楽しい時間でした! まさか、馬に乗れるなんて思ってもいませんでしたし……。『ムル・ア・プロシュール』のガトーショコラも、すっごくすっごくおいしかったです! 食べられたのはディオス先輩のおかげですから……っ! 本当に、いくら感謝してもしたりません! ありがとうございます!」


 ガトーショコラを食べた時の幸福感を思い出すと、それだけで頬が緩みそうになる。


 しかも、さらにお土産にくれるなんて! いよっ! ディオス! 太っ腹~っ! と持ち上げたい気分だ。


 力強い俺の返事に、ディオスがほっとしたように表情を緩める。


「そうか、よかった……。俺は気が利く方じゃないから、ちゃんときみを楽しませられたかどうかが、一番心配だったんだ……。急に変な昔話をして、きみを驚かせてしまったし……」

 

「い、いえ! あれはむしろ、私のほうが謝らないといけないと言いますか……」


 ディオスが夏の陽射しよりもまぶしい笑顔を見せる。


「俺にとっては、今日は素晴らしい一日だったよ。愛らしいきみと過ごせたばかりか、長年の心のつかえまでとれるなんて……。まさか、そんな奇跡が起こるなんて、思ってもみなかった」


 そっか……。ディオスってば、そんなに長い間、思い悩んでたのか……。

 ううっ、罪悪感で心がうずく……。


 と、ディオスが不意に甘く微笑む。


「ハルシエル。きみには感謝してもしきれないよ。俺のお姫様」


 瞬間。ぼんっと顔が爆発する。


 だーかーらーっ! 男相手に『お姫様』なんてやめろ――っ!


 それに、いい加減放しやがれっ!

 抗議しようと背の高いディオスを見上げたタイミングで。


 ふっ、と顔に影がかかった。え? と不思議に思う間もなく。


 くい、とディオスの大きな手に顎を掴まれたかとおもうと、横を向かされる。

 ちゅっ、と軽いリップ音とともに、頬に柔らかくあたたかなものがふれ。


「今日は素晴らしい時間を、本当にありがとう」


 耳元で囁いたディオスが腕をほどく。


 さっ、と身を翻したかと思うと、エクレール号にまたがり、

「ではハルシエル、また」

 と、颯爽さっそうと走り去る。


 馬蹄の響きとともに遠ざかる背中を、俺は呆然と見つめていた。


 いくら……。いくら不意打ちだったからって、エキューに続き、ディオスにまでキスされるなんて……っ!


 いったい何だよっ!? この国には、デートの別れ際には、頬にキスすべしって法律でもあんのか!? それとも貴族の暗黙の了解か!?


 男がっ! 男にっ! キスされても嬉しくもなんともねぇ―――っ!

 しかも片頬ずつ計二回もっ!


 ようやくごほうびデートが終わったというのに、欠片も喜びにひたれず、俺は呆然と立ち尽くしていた……。

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