145 今の俺があるのは、きみのおかげなんだ


「で、でも……」


 ディオスの意図が読めず、うろたえた声を上げた俺に、ディオスが気まずそうに言を継ぐ。


「子どもの頃の俺は、かなりのやんちゃ坊主で、わがままで……。リオンハルトの唯一の片腕だと持ち上げられて、子ども心に傲慢ごうまんになっていたんだ。リオンハルトの権威を、自分の力だと勘違いした嫌な子どもだったと思う。けど、あの日、自分より年下の女の子を、初めて自分のわがままで泣かせて……。反省したよ。こんな自分のままじゃいけないって」


 ディオスが吹っ切れたような笑顔を俺に向ける。


「だから、今の俺があるのは、ハルシエル。きみのおかげなんだ」


「で、ですけど……」

 急にこんな話を聞かされて、あっさり「はいそうですか」と頷けるわけがない。


「それに」

 ディオスがまぶしげに俺を見る。


「女子が苦手になったことを気に病んでいるのなら、それはもう、きみ自身が治してくれたじゃないか」


 ディオスの右手が、俺の頬をそっと包む。

 心まで融かすような、大きくてあたたかな手。


「ほら……。もう、ふれてもなんともない」


 いや、何ともあるよっ! 俺がっ!


 ディオスの手のひらの熱が移ったかのように、顔が熱い。

 甘く微笑むディオスに見つめられているだけで、どんどん体温が上昇していく。


「初めて逢った時、あの時のお姫様なんだと、すぐにわかったよ。変わらず、愛らしくて……。いや」


 不意に、ディオスがとろけるように甘く微笑む。


「幼い頃より、さらに可愛く、綺麗になった」


 瞬間。ぼんっ! と俺の思考が爆発する。

 心臓がどきどきして止まらない。


「きみが思い出すまで、話す気はなかったんだ。あの日、きみを怖がらせて泣かせた嫌な奴は俺なんだと知られて、嫌われるのが怖くて……」


 ディオスが唇を歪めて、苦く自嘲する。


「我ながら、情けないほどの臆病者おくびょうものだな」


「そんなこと……っ!」

 常になく弱々しい様子のディオスに、俺は思わずかぶりを振る。


「ディオス先輩が臆病だなんて、そんなこと、ありえないです! いつだって優しくて頼りになって……っ。憧れの先輩なんですから!」


 周りをよく見ていて、さりげなく助けてくれたりして……。

 リオンハルトやヴェリアスのように目立つわけじゃないけれど、誠実で頼りがいがあるディオスは、男の俺でも憧れてしまう人柄だ。


「それに、黙っていた理由も、きっと、話したら私が気に病むと気遣ってくださったからなんでしょう? 私のせいで先輩が女の子が苦手になったんだと知ったら、責任を感じるだろうと……」


 俺は申し訳なさに目を伏せる。


 初めて一緒に遊んだ年下の女の子に泣かれたことは、幼いディオスにとって、深い心の傷になったに違いない。


 せっかく、顔よし性格よしのイケメンに生まれついたってのに、俺のせいで人生のモテ期の何年間かを無駄に捨てさせたのだと思うと……。


 うううっ、モテ期なんて人生で一度もなかった俺には、それがどんなに罪深いことかわかる! すまん、ディオス!


「ディオス先輩! 本当にすみませんでした! 謝ったくらいで許していただけるとは思いませんけれど……っ」


 頭を下げようとしたが、頬を包む手に阻まれる。


「頼むから、謝らないでくれ。俺は、きみに出逢えて、変わることができてよかったと思っているんだから。……昔も。そして今も」


 ディオスが柔らかな笑みを見せる。見る者の心をほっと和ませるような、あたたかな笑み。


「ディオス先輩……っ!」


 感動のあまり、声が震える。


 ディオスって……。ほんと、なんていい奴なんだ!

 でも、心臓に悪いから、そろそろ頬から手を放してほしい……。


 さりげなく身を引こうとすると、ディオスの指先にかすかに力がこもった。


「きみにこうして自然にふれられるようになって……。心から嬉しいんだ。――俺の『お姫様』」


「っ!?」


 ぷしゅ――っ! と、顔から蒸気が吹き出す。やかんだったら、沸騰してぴーぴー鳴っていたところだ。


 だーかーら――っ!

 急にっ! 砂糖を! ぶっこんでくんな――っ!


「お、お姫様なんてっ! は、恥ずかしいです! もう、小さな女の子でもないのに……っ」


 お姫様に憧れていたのは、小さい頃のハルシエルだ。俺はお姫様になんかなりたくねぇっ!


 確かに、王子様みたいにイケメンなディオスと、馬に二人乗りだなんんてシチュエーションは、どこかのお姫様と言って過言じゃない気がするけどっ!


 俺の中で眠っていた小さなハルシエルの記憶のせいなんだろうか。どきどきが治まらない。


 ディオスがとろけるような笑みを浮かべる。


「俺にとっては、きみはずっとお姫様だよ。俺の、たった一人の」


 ディオスがそっと俺を上向かせる。

 思った以上にディオスの凛々しい面輪が近くにあって、さらに鼓動が速くなる。


 ディオスの手を振り払わなければと思うのに、緑の瞳に魅入られたように、身体が動かない。


「ハルシエル……」

 ディオスが甘く熱い声音で、名前を呼ぶ。


 ヤバイ! ヤバイヤバイヤバイ! この雰囲気はとにかくヤバイ――っ!


 俺は逃げ場を探して視線を揺らし。


「デ、ディオス先輩! あの建物は何ですかっ!?」

「……え?」


 突然の大声に、ディオスが戸惑ったように動きを止める。ゆっくりと首を巡らし俺が示した建物に視線を向けた。


「ああ……。劇場か」


 エクレール号が今まさに前を通り過ぎようとしている壮麗な建物をちらりと見、何の感慨もなさそうに呟く。


 ……へ? 劇場? いま劇場って言った? 学園内にそんな建物まであるのかよ!?


 いや、今はそんなことはどうでもいい! せっかく拾った話題をもっと広げろ俺! そして、さっきのヤバイ雰囲気を少しでも遠ざけるんだっ!

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