79 怪我をしたきみを歩かせるわけにはいかないよ


 体育祭の間に、用意されていた道具はすべて持ち出され、すっかり何もなくなった校舎裏。


 朝、イゼリア嬢から応援の言葉をもらったそこで、閉会式から逃げ出した俺は、校舎の壁に背を預け、一人座り込んでいた。


 心配したディオス達が来る可能性があるので保健室には行っていない。絆創膏がはがれそうというのも嘘だ。


 自分でもワケがわからぬ動悸どうきがおさまるまでは、イケメンどもの誰にも会いたくない。

 こんな校舎のすみっこなら、誰も来ないだろう。定期や財布が入った鞄も回収済だし、ディオス達は俺が先に帰ったと思うだろう。


 ここで落ち着くまでしばらく過ごしてから、家へ帰ろう。


「……なんでデートの相手が俺なんだよ……」 


 三角座りした膝にうつむいた額を押し当て、苦く呟く。絆創膏の上からふれた傷が、ひりりと痛んだ。


 ディオスもエキューも、いいやつだと思うけれど、それは同じ生徒会のメンバーとしてであって、決してデートしたいワケじゃない。


 そもそも、なんで俺がデートの相手に選ばれたのか。


「生徒会メンバーだからちょうどいいって思われたのか……?」


 だとしたら、迷惑極まりない!

 いやっ、イゼリア嬢が誘われるよりはマシだけど!


「ヴェリアスが、デートは強制って言ってたよなぁ……」

 まじかー、と力なく呟く。


 はあっ、と心の底からため息をついたところで。

 駆けてくる足音に気づき、俺はのろのろと顔を上げた。


 こんなとこにいったい誰が──、


「ハルシエル嬢!」


 走り寄って来るリオンハルトの姿を視界に捉えるのと、名前を呼ばれるのが同時だった。


 なんでリオンハルトが!? とワケがわからぬまま、あわてて立ち上がろうとすると、膝の痛みに思わずふらついた。


「大丈夫か!?」

 よろめいた身体を、駆け寄ったリオンハルトに抱きとめられる。


 ふわりと香る、コロンと汗の匂い。

 どくどくとリオンハルトの鼓動が激しいのが、トレーニングウェアの上からでもわかる。


「保健室にもいないから、いったいどこへ行ってしまったのかと……!」


 荒い息で告げるリオンハルトの声は、まぎれもない心配に満ちていた。


 いつも優雅な雰囲気を崩さないリオンハルトが、こんなに息を切らしている姿なんて、珍しい。

 俺が保健室に行かなかったせいで、あちらこちらを走り回らせたに違いない。


「す、すみません……っ」


 うつむいて謝りながらもリオンハルトから離れようとすると、逆に、背中に回された腕にぎゅっと力がこもった。


「もし歩けずに倒れていたらどうしようかと……っ」


 心の底から告げられた真摯しんしな声に、申し訳ない気持ちになる。

 転んで擦りむいたくらいで大げさなと思うが、星組だったリオンハルトは怪我の具合を知らないのかもしれない。ディオス達が心配しすぎて、舞台に椅子まで用意していたし。


「だ、大丈夫ですよっ。ちょっと擦りむいただけですから!」


 だから、とにかく放してほしいっ。

 ぐいぐいとリオンハルトを押すと、意外とあっさり腕がほどけた。かと思うと。


「ひゃあっ!?」

 突然、横抱きに抱え上げられ、悲鳴が飛び出す。


「おっ、下ろしてくださいっ!」


 足をバタつかせたが、リオンハルトの腕は緩まない。

 地面に置いていた俺の鞄も器用に持ち上げたリオンハルトが、決然とした様子で歩き出す。


「あのっ、どこへ行くんですかっ!? というか、下ろしてくださいっ!」


「暴れては危ないよ? 落としたら一大事だ」

「下ろしてくださったら暴れませんっ!」


 リオンハルトがどこへ行く気かわからないが、こんなところを人に見られたら、それこそ一大事だ。

 っていうか、マジで下ろせ──っ!


「すまないが、断る」


 耳に甘く響く声はそのままに、決然と、リオンハルトが答える。


「先ほど、よろめいていたではないか。怪我が痛むのだろう?」

「違います! さっきのは急に立ち上がったせいですから!」


「だが、怪我した足を見ているだけで痛々しい。そんなきみを歩かせるわけにはいかないよ」


 迷いない足取りも、きっぱりとした口調も、意志の固さを言外に伝えている。

 リオンハルトはどうあっても下ろしてくれる気はないらしい。


 が、俺だって、お姫様抱っこなんかおとなしく受け入れる気はない!


「転んだだけですから大丈夫です! リオンハルト先輩だって、私が舞台から駆け下りたのを見ていたでしょう!? 走れるくらい元気なんですから──」


「見ていたよ」

 俺の言葉を遮るようにリオンハルトが告げる。


「きみが転んでしまった時も、エキューに抱き上げられて運ばれたのも。ディオスとヴェリアスがきみを心配して保健室へ駆けて行ったのも知っている」


「でしたら──」


「わたしも」

 不意に、リオンハルトが俺の顔を覗きこむ。


「わたしも、きみと同じ花組だったらと、どれほど思ったことか。そうすれば、きみのそばへ駆けつけられるのにと、悔しくて仕方がなかった」


 激情を無理やり抑えつけたような声。碧い瞳にこもった熱が移ったかのように、一瞬で俺の頬が熱くなる。


「だが、もう体育祭は終わったんだ。生徒会長として、後輩を思いやってもかまわないだろう?」


「終わっていませんよ! 家に帰るまでが遠足だと言うでしょう!? だったら、家に帰るまでが体育祭です!」


 憤然と告げると、目をまたたいたリオンハルトがぷっ、と小さく吹き出した。


「そんな理屈があるのかい? 閉会式ももう終わったというのに」


 ん? こっちの世界じゃ「家に帰るまでが遠足です。気をつけて帰りましょう」とか言わないのか……?


 内心であせる俺に、リオンハルトが微笑みかける。

 端麗な面輪に浮かぶ表情は、先ほどよりはいくぶん優しい。


「わたしには心配すらさせてくれないのかい?」


「ですから、これは心配いただくほどの怪我ではありませんっ! 先輩は過保護過ぎだとだと思います!」


「過保護?」

 リオンハルトが不思議そうに呟く。


「大切な後輩を心配して、悪いことはないだろう?」


 悪いよっ! 悪いに決まってるだろっ!

 主に俺の精神と外聞にっ!


 もう生徒達はみんな帰ったのか、幸い、誰ともすれ違っていないが、この幸運がいつまで続くかはわからない。


「いい加減、下ろしてくださいっ!」


 叫んだところで、前庭の車停めに着いた。


 運転手付きの立派な車が一台、停まっている。

 制帽をかぶり、紺の制服を着た運転手が、俺とリオンハルトの姿を見た途端、後部座席のドアを開けた。


 俺が抵抗するより早く、リオンハルトが身を屈めて、壊れ物を扱うように、俺を座席に下ろす。


 かと思うと、続いてリオンハルト自身も俺の隣へ乗ってきた。

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