44 これは、感謝と感動の涙です!


 今日こそは久々にイゼリア嬢に会えると、俺は放課後になると意気揚々と生徒会室へ向かった。


 昨日、リオンハルトが言っていた通り、さほど間を置かずにイゼリア嬢やクレイユも生徒会室へやって来る。久々に全員がそろった生徒会室で、俺達は広い卓を囲んで体育祭の準備に取り組んだ。


 イゼリア嬢の麗しの姿を見て、俺がはりきりまくったのは言うまでもない。


 そうして一時間ほど過ごしたところで。


「あ、そういえばさ、クレイユ。もう勉強会はしたの?」

 ヴェリアスが興味津々に聞いてきた。


「いえ、まだです」

 クレイユが淡々と答える。


「マリアンヌ祭の準備や、体育祭でなかなか予定が合わなかったものですから」


「じゃあさ♪」

 ヴェリアスが楽しげに、ぱん、と両手を打ち合わせる。


 嫌な予感を覚えた俺が口を挟むより早く。


「今から、ここでしたらどうだい? ちょうど全員いるんだし♪」


 嫌だ――っ!

 全員って、生徒会全員じゃねーかっ!


 俺は勉強をしたいんだよっ!

 イケメンどもはお呼びじゃねぇっ!


 エキューも加わって、クレイユはエキューに任せればイゼリア嬢と俺の二人で組めると思ってたのに……っ!

 ヴェリアスめ! 余計なことを言いやがって……!


「で、でも、体育祭の準備がまだ終わっていませんし!」


 俺は話の流れを変えようと声を上げる。


「無理をして一気にせずとも大丈夫だよ。昨日、きみやエキューが頑張ってくれたから余裕があるしね」


 微笑んで告げたのはリオンハルトだ。

「昨日はあの後、何事もなく帰れたかい?」


「あの後、というのは?」 

 ディオスがいぶかしげに凛々しい眉をひそめる。


「きみとエキューが帰った後に、ハルシエル嬢に会ってね」

 リオンハルトが端正な微笑みを浮かべた。


「夕暮れも迫っていたから、駅まで送らせてもらったんだ」


 リオンハルトの言葉に、ディオスの凛々しい眉がぎゅっと寄る。


 だよなぁ〜。ディオスとエキューの厚意は断ったのに、リオンハルトには送ってもらったって、感じが悪いよなぁ……。


 ん? でもこれ、もしかしてディオスの好感度を下げるチャンスか!?


 と、リオンハルトが苦笑する。


「ハルシエル嬢を怒らないでやってくれ。わたしが勝手に心配して、無理やり歩いて送らせてもらったんだ」


「歩いてですって!? あなた、リオンハルト様になんてことを!」


 イゼリア嬢が信じられないとばかりに、非難の声を上げる。

 アイスブルーの瞳は、色とは裏腹に、烈火のごとき怒りに彩られていた。


「えっ? ハルちゃん、リオンハルトに徒歩で送らせたの? やっるなぁ♪」


 ヴェリアスがすっとんきょうな声を上げて吹き出す。リオンハルトがたしなめるように眉を寄せて二人を見た。


「ヴェリアス。イゼリア嬢も。わたしが勝手にしたことだ。ハルシエル嬢に非はない」


「リオンハルト様がそうおっしゃるのでしたら……」

 イゼリア嬢が不承不承という表情で頷く。


 けど、すっごい睨まれてるんですけど――っ!

 ほらっ、リオンハルトが余計なことをバラすから!


「オルレーヌさん! いくら同じ生徒会役員とはいえ、もう少し身分をわきまえられたらいかが? リオンハルト様のお優しさにつけ込んで、あまり分不相応な振る舞いをしていては……。生徒の代表として相応しくないと、断じられても知りませんわよ?」 


 氷よりも冷ややかな声音でイゼリア嬢が告げる。


「も、申し訳ありません……」


 俺は震える声で謝罪すると、ぎゅっと唇を噛み締めた。

 そうしないと、声だけでなく、身体まで震え出しそうで。


 イゼリア嬢が俺のことを心配してくれるなんて……っ!


 優しいっ、優しすぎる! さすが麗しの女神! ヤバっ、嬉しすぎて、涙が出そう……っ!


「……イゼリア嬢」

 リオンハルトが吐息混じりにイゼリア嬢を呼ぶ。


「何度も言っているだろう? この学園においてはわたしは第二王子ではなく、単なる生徒会長だ。学外の身分を持ち出すのは好まない」


「リオンハルト様……。申し訳ございません……」


 さとすように静かなリオンハルトの声。

 だが、イゼリア嬢はむち打たれたように震えると、唇を引き結んでうつむいた。


 切なげな表情に、俺の胸まで相反する感情で引き裂かれそうになる。


 悲嘆にくれるイゼリア嬢も、なんて美しいんだ! 天まで哀しみの涙をこぼしそうだぜ……。

 しかーし! イゼリア嬢にこんな哀しい顔をさせるなんて! リオンハルトめ、許せんっ!


「リオンハルト様! おやめくださいませ! イゼリア嬢は何も知らぬ私に親切にお教えくださっただけなのですから!」


 きっ、とリオンハルトを睨みつけると、端麗な面輪が困ったように歪んだ。


「だが……」


 卓に身を乗り出したリオンハルトが、右腕を伸ばす。かと思うと、長い指先が俺のまなじりに一粒浮かんでいた涙の雫をふき取った。

 感動のあまり、涙がこぼれていたらしい。


「わたしのせいで、きみに憂い顔をさせたくはない」


 そう思うんなら、俺に構うなよっ!


 心の底からツッコむが、口には出せない。

 代わりに、俺はぶんぶんとかぶりを振った。


「違います! これは、感謝と感動の涙ですわ! イゼリア嬢のお優しさが心に染みいって……」


 俺はリボンタイが飾る制服の胸元を両手できゅっ、と握りしめる。

 心臓がとくとくと、ときめきをかなでているのが、服の上からでもわかる。


「私はエトワール学園に入学してからまだ日が浅いですから……。そんな私を導いてくださるイゼリア嬢には、感謝しかありませんっ!」


 心の底からの感謝をこめて、俺は真っ直ぐにイゼリア嬢を見つめる。


 俺にとってイゼリア嬢は、生きる糧と言っても過言ではない。


 望んでもいないのにヒロインになってしまった俺にとって、生前と変わらぬときめきを抱けるイゼリア嬢は、俺が藤川はるであることを感じられる唯一無二の存在だ。


 イゼリア嬢にときめいている時だけ、俺は「ハルシエル」じゃなくて、「藤川陽」そのままでいられる。


 ……姉貴? 確かに、姉貴の前では何一つ飾らずにいられるけれど……。


 俺をイケメンどもに差し出そうとしている悪魔のことなんて、論外だっ! むしろ敵だ敵! あの腐った悪魔めっ!

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