第43話


 駅舎にこれほどの人が集まるのかというぐらい僕達家族の旅立ちに人が集まってくれていた。

 父親も母親も別れに来てくれた人達に挨拶をしている。

 僕はその中にある人を見つけた。それは僕達が駆け込んだ慈恵寺の和尚だった。

僕は側に駆け寄ると頭を下げた。

「いや、噂で聞いてな。君達が大阪に行くっちゅうて」

 僕は頷いた。

「そうか、じゃ寂しくなるな。でも寂しくても歯を食いしばって頑張らな駄目じゃぞ。お前は何といってもこの太陽の降り注ぐ日南児やっちゃ」 

 そう言って和尚が僕に小さな紙切れを手渡した。

「これは?」僕は和尚に聞いた。

「これか?これは館林先生の東京の住所じゃ。ひょっとすっと君が大きくなれば先生を訪ねることもあるかと思ってな。ヒナコから聞いたんじゃが、君は将来医者になりたいそうじゃな」

 僕はうんと言った

「たくさん勉強して、館林先生のようになってまたここに戻ってきたいと思います」

「そうか」

 その声を聞くと同時に駅員が僕達家族に言った。

「宮崎行きの電車が来ます」

 皆が振り返った。

「あとそれから広渡川鉄橋に来たら進行方向左側の窓を開けてください。そちらから見る故郷の風景は今日天気も良くて綺麗でしょうから」

 そう言うと駅員は帽子を目深く被って和尚へにこりと笑ってお辞儀した。その和尚へ父親が近寄り深々と頭を下げた。

夏の失踪事件で迷惑をかけたことを謝ったのだと僕は思った。

電車に乗り込むと窓から沢山の人の顔が見えた。

友達を探したが今日は平日だ。だから学校がある。同級生は誰も来ていなかった。

 僕の座った窓を叩く音が聞こえた。勝幸兄弟の母親だった。

僕は窓を開けた。

「ナッちゃん。大阪に行っても元気でね。昨日も夜、息子達に行かせたかったのだけどあの子達ずっと風呂を沸かす焚火前から離れなくてね・・ごめんね。一番の仲良しなのに」

 僕は首を振った。

「いいんです。おばさん。勝幸君、勝彦君によろしく言って下さい」

 うんと勝幸の母親が言う声が聞こえたと同時に電車が動き出した。

窓から見える多くの人が手を振っている。

僕はその人達に向かって手を振った。やがてその手を振る人達の姿が見えなくなった。

僕は席に深く腰かけて肘を窓に着いた。

その姿を見て母親が僕に言った。

「夏生、また帰れるかな?」

 僕はうんと頷いた。すると妹が僕を見た。

「兄ちゃん、泣いちょるん?」

「泣いとらん」

僕は妹を睨んだ。

「こら、喧嘩すんじゃねぇ。もうすぐ鉄橋じゃ。これで故郷は暫く見納めじゃぞ、夏生」

 父親の言葉で僕は窓を見た。遠くになだらかな丘にも似た堤防が見えた。

 川に陽が煌いている。

僕達が彼女の手紙を拾った川は今日も何事も無く静かに流れている。

(さようなら・・皆、そして故郷・・)

 そう思って僕は駅員が言った言葉を思い出して左側の窓を開けた。

 流れて行く風の音。

 その時、僕は遠くで自分を呼ぶ声を確かに流れる風の中に聞いた。

 母親もその声に気付いたらしく、窓から顔を出した。

「夏生!」

 母親が叫んだ。

 僕は身体からできるだけ身体を伸ばして電車の先頭を見た。

 僕は思わず目を疑った。

 そこには勝幸、勝彦、そしてツトムが向日葵を持って、鉄橋の側に接地された小さな渡り場所でこちらを見て叫んでいたからだ。

横には鉄道の駅員が立っていた。

僕は迫り来る皆の姿を見て大きく叫んだ。何を言ったか分からなかった。声にならなかった。

「ナッちゃん、向日葵じゃ!ヒナちゃんの瓶の種の向日葵を昨晩風呂前で咲かせたとよ!」

勝彦の大きな声が聞こえた。

「さよなら!さよなら!」

ツトムが言って大きく手を振った。

「また会おう、ナッちゃん。また・・・・絶対に!」

 勝幸はそう言って向日葵を手にした腕を伸ばした。

 僕はそれを過ぎ行こうとする電車の窓から精一杯手を伸ばして手に取った。

すれ違いざまに勝幸が叫ぶように言った。

「泣くな!泣くな!」

「君こそ!」

 僕はそれでもう言葉が出なくなった。

 ただ唯、手を振り続けた。

 手を振る皆の後ろで駅員が敬礼すると電車はやがてトンネルに入って行った。

 僕は静かに窓を閉めた。

 トンネルの暗い中を静かに電車が進んで行く。

 揺られて行くうちに僕は涙が抑えられなくなり肩を振るわしてやがて声を出して手で顔を覆って泣いた。 

 そんな僕を父親が肩に手をまわすと優しく抱きしめて言った。

「すまんな。夏生。お前には大変つらい思いをさせてしまって。だけどな・・今はお前には分からないことかもしれないが、いつかお前も大人になればこの別れの意味がわかる時が来る」

父親の声が湿っている。僕は何も言うことなく父親の言葉をただ黙って聞くだけだった。

「実は慈恵寺の和尚が駅長に話をしてくれたんじゃ。鉄橋で子供達に別れをさせてやってほしいと。昔な、戦争のころ戦地に行く人を送り出す家族が貧しくて駅の切符が買えないことがあった。その時あの鉄橋でお別れをさせたことがあってな・・」

 言うと力一杯僕を抱きしめた。

「父さんができっのは、それを和尚に話して駅長にその時の様にしてほしいとお願いして頼んでもらい、お前に友達との最後の別れをさせてやること・・・それしか、できんかった。和尚は有名な人じゃからやってくれたんじゃ・・」

 僕は鼻をすすった。

「ありがとう、父さん」

「夏生・・」

 僕の背を父親の太い掌が何度も何度も摩った。

僕が握る向日葵を妹が触りながら母親に言った。

「向日葵って秋に咲くの?」

 母親は首を振った。

「咲かないのよ。でもね、皆が一生懸命奇跡を起こしたのね、お兄ちゃんの為に」

「ふーん」そう言って向日葵から手を離した。

「夏生。あなた本当にいい友達に出会えたわね」 

 僕は力強く頷いた。涙を拭くと父親に「もう、大丈夫」と言った。

 目は赤く腫れていたかもしれないが、もう泣くことは無かった。父親を心配させまいと僕は精一杯笑顔を向けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます