第32話

 翌朝、窓から差し込む陽の光で僕は目が覚めた。暫くすると皆が動き出すのが分かり、僕は皆の身体を揺さぶりながら起こした。

 部屋のドアの向こうから玉子とパンを焼く臭いがして、僕達はそっとドアを開けた。

 臭いは下の階からしていた。

 僕達は乱れた服を整えることなく静かに階段を下りて、昨日食事をした部屋に入った。

 そこで僕達は声が出ない程の驚きに出会った。

 あまりの驚きで頭が真っ白になってただ立ち尽くした。

何故ならそこに新穂先生が座って僕達を見ていたからだった。

僕は呻くように言った。

「せ、先生、どうしてここにいるの?」

 先生は僕達を睨み付けて大股で側に歩いて来ると四人の前で仁王立ちになって無言でそれぞれの顔を睨み付けた。その顔は仁王像のようで顔は紅潮して目が真っ赤に滲んでいた。

しばらく無言のまま僕達を見つめているとやがてぽろぽろと涙を流して僕達を抱きしめた。

「せ、先生・・・」

あまりにも先生の変わりように僕達は驚きながら、先生をこのように責め立てて泣きださせたのはきっと僕達のせいなのだと分かって、何も言わずただ下を向いた。

抱きしめる腕が強くなっていく。

「先生、御免やっちゃ」

 ツトムが声を詰まらせるように言った。皆がそれに続くように言った。

 それで先生は僕達から離れて天井を見上げて口を押えて声を漏らした。

「良かった・・皆無事で・・本当に無事で良かった」

 ポケットから白いハンカチを取り出すと涙を拭いて、僕達を見た。

 先生は涙目で微笑した。

「叔父から電話をもらった時は本当に驚いた。まさか君達がこんなところまで来て叔父の寺に飛び込んで来るなんて、すごい偶然でなんという幸運だったのかと」

 僕は先生の言葉で「寺」と言うのを確かに聞いた。

「それだけでなく従姉妹の所に連れて行ってくれたことも、偶然にしては本当に幸運だった」

「先生・・・・お寺って。じゃあの上人さんは?」

 ツトムの質問に先生はうんと頷いた。

「叔父さんよ」

 そこで先生は椅子に腰かけた。

「皆、椅子に座りなさい」

 先生に促されて僕達は椅子に腰かけた。すると先生は僕達の顔を見ながら、ゆっくりと話し始めた。

「君達が行方不明になったと皆のご両親から学校に電話があったの。その時の先生の驚きはね、本当に凄かった。だってそうじゃない?その日の昼間に君達の喧嘩を聞いて、自分の部屋で君達を落ち着かせて恩田先生の所に行くというからそれを信じて送り出しのだから」

 僕達は下を向いた。特に勝幸は自分の足先を見つめて深く首を垂れている。

「そうね・・あの時君達は恩田先生の所には行かず、先生に嘘をついた。だから先生は学校に電話があった時驚くより・・・そう、凄く傷ついた。本当に頭が真っ暗になった。私は学校に来た皆のご両親に頭を下げて、謝って・・・その時からずっと君達が行きそうな場所を自転車で走り回って探したの。そしたら昨日の夕方、叔父から電話を頂いてね。『万一、四人組の少年を見たら電話を頂戴』と言っていたけど期待はしていなかったのよ。でもね、その叔父からの電話で先生は驚いて・・・それでここにこうして君達の前に現れることができた」

 先生は一気に話し出し、最後に言った。

「教えて頂戴。どうして先生に嘘をついてまでこんなことをしたの」

 先生はしっかりと微笑を崩さず、でもどこか寂しそうな表情で僕達を見た。

 誰も先生の顔を直視できなかった。勝幸は深く下げた頭を上げることができず、またツトムは先生のシャツの裾を強く握りしめてじっとしている。

 勝彦は目を動かして視点が定まらず、落ち着かない様子だった。

 そんな皆を先生が一人ひとり見ていたが、やがて僕をじっと見た。

「夏生」

 先生の唇がゆっくりと動いて僕の名前を呼んだ。

「先生・・」

 言うべきかどうか、一瞬迷った。しかし 僕は手を握りしめて目をつぶって言った。

「川で瓶に入った手紙を見つけたんです」

 先生が頷く。

「それが・・ヒナちゃんの手紙だった」

「うん、それは・・聞いてる」

 先生が相槌を打つ。

「それで僕達は会いに行こうと決めたんです。ヒナちゃんに・・だって・・」

「だって?」

 先生が僕を見つめた。その瞳は美術の本で見たイタリアの画家、ダ・ビンチが描いたモナリザのようなとても澄んだ美しい瞳だった。

 僕は先生の瞳に吸い込まれるように言った。

「好きなんです」

「え?」

 先生が少し驚いて僕に言った。顔を下げていた三人も思わず僕を見た。

「僕・・先生が好きなんです」

「ナッちゃん」

 勝彦が驚きながら僕に言った。先生は僕の思わない告白に少し目を大きく広げて見つめている。僕はズボンの後ろポケットに手を入れた。そこに押し込んだ先生の石鹸を強く握りしめた。

「初めて会った時から好きだったんです。僕は先生をいつまでも見ていたいと思っています。だって先生は・・その、とても美しいから」

 先生が目を細めて僕を見つめる。

「何を言うの・・夏生」

「だから、僕はガッチの気持ちが分かったのです」

「勝幸の?」

 先生がきょとんとして僕と勝幸を見ている。

「ガッチは・・ヒナちゃんの事が好きなんです。一目見た時からきっと好きだったのです。だから会いたくて、友達になりたくて、だから先生に嘘をついてまで会いたかったのだと。もし・・僕もヒナちゃんが先生だったら両親には嘘をついてでも・・」

 先生はそこでじっと僕を見た。

「会いたいと思います」

 先生はふっと息を吐いた。

驚いたのは勝幸だった。まさか自分の恋心をここで先生の前で言われるとは思わなかったのだろう。口を開けて僕を見つけている。

 その時ドアを開けてヒナコが入って来た。

「皆・・大丈夫?」

 僕達は振り返った。ヒナコが先生の側に立った。二人並んだ姿を見て僕はとても似ていると思った。その二人の視線が僕達を見ていた。

「まさか綾おばさんが皆の学校の先生だなんて思わなかった」

 先生がヒナコを見つめる。

「驚いた?」

「うん、だってナッちゃんが昨日言ったのよ。『僕のクラスの担任の先生はモナリザみたいな美しい先生がいるって』」

 僕は顔を真っ赤にして下を向いた。先生がヒナコの言葉に笑って、部屋に入って来る大きな影に視線を向けた。

それは館林先生だった。新穂先生の方を見ると軽く頷いた。

「綾子さん、どう?そろそろ朝食にしようかと思うのだけど、庭の向日葵の見える席で妻が呼んでいてね。いいかな?」

新穂先生が頷いた。

「はい、もう大丈夫ですから。ではそちらに伺います。さぁ皆も行きましょう。向日葵の見える庭で朝食なんて素敵ね」

 先生が僕達を促し、僕達は席を立った。

 その時、ぐぅと大きな音が鳴った。皆が一斉に勝彦を見る。

 すると照れたように頭を掻きながら勝彦が言った。

「先生、御免やっちゃ。だって怒られてもお腹がすくんじゃもん」

 それでそこにいる全員が大きな声で笑って、笑いながら向日葵の見える庭へと向かった。

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