第15話

じりじりとした太陽が僕達四人の額を照らす。額には暑さとは違う汗が滲み出てきていた。

 勝彦が手で額の汗を拭ったのを僕は見た。

 それを見てゲン太が言う。

「兄貴と水袋を作って、もし家の軒下の道を蝉かカナブンが飛んで来たらそれに投げつけようかと話をしちょったら、遠くからどこかで見たような奴らが来ちょる」

 ふふんと鼻を鳴らした。

「誰じゃろかい思ったら、広渡のもんじゃないか。それで息を潜めて兄貴とベランダで隠れて近くに来たら、はら、どーん!!と、水袋を投げつけたっちゃ。そしたら何ちゅうか。皆、おかしい顔をしやがる」

 ゲン太が僕達それぞれを指さしながら高々と笑った。横にいる兄貴が首をかしげながら目を細めて、同じように笑っている。

「危ないじゃろが!」

 勝幸が言った。

 その声に「あ?」とゲン太が答える。

「なんじゃガッチ?お前、俺に歯向かうんちゅうんか?今日は俺だけじゃなくて兄貴もおるんじゃぞ」

 くくくと兄貴が笑いながら肩を揺らして、僕達の周りをゆっくり歩いてゆく。

「歯向かうっちゅんなら、相手になるぜ。いがぐり頭の少年」

 そう言うと兄貴が勝幸の頭をポンポンと叩き始めた。

 僕は唯、黙ってその場にいた。横の勝彦は顔を青ざめながら兄貴が頭を叩かれるのを見ている。

「よせ!」

 その声にゲン太兄弟が声の方を見た。

 ツトムが勝幸の頭を叩く兄貴の手を勢いよく払う。

「何じゃ?お前は!」

 兄貴がツトムのシャツの胸倉を掴む。するとツトムは勢いよく、ゲン太の兄貴の股間へ蹴りを叩きこんだ。

「ぐぁ!!」

 声を放ちながら、道に膝から倒れ込む。

「痛ぇ!」

 ゲン太がツトムに勢いよく体当たりをしてきた。ツトムはよろめきながらも両足を踏ん張りながら身体の向きを整えると、両手を胸元に持って行きボクサーの様に構えた。

「おう、なんじゃツトム!その構えは?」

「アリじゃ?」

「は?」

 ゲン太が小ばかにしたように言う。

「この前、俺は見たと。アメリカ人の黒人ボクサーのモハメド・アリっちゅうボクサーをじゃ」

「ほー、それで俺の空手と戦うんちゅんかい」 

 ゲン太も腰に左手を置き右手を胸前に置いて構えた。ゲン太の兄貴がよろめくように起き上がり、睨みつけながら言った。

「ああ、こいつがゲン太、お前が言いよったツトムっちゅう奴か」

 兄貴が道端に唾を吐く。

「おう、こいつとはいつかはっきり勝負しないといかんのじゃ」

「じゃ、今やれや」

 ゲン太は頷いた。

 僕はゲン太とツトムの間に入って言った。

「ツトムもゲン太も喧嘩なんかよせ。怪我をするぞ。なぁゲン太、もういいだろう、僕達ここを通るからな」

 すると僕の腹に蹴りが飛んできた。ゲン太の兄貴が僕に蹴りを入れて来た。

 僕は自転車ごと道路に倒れた。

「ナッちゃん!」

 勝彦が自転車を投げ出して僕の側に駆け寄る。

「弟の喧嘩の邪魔すんじゃねぇ!」

 ゲン太の兄貴が唾を吐いて倒れた僕の側にやって来て、今度は勝彦に蹴りを入れた。

 勝彦も同じように吹き飛び横倒しに倒れた。

「勝彦!」

「かっちゃん!」

 僕と勝幸が叫んだ。

「皆、ぼこぼこじゃ!」

 ゲン太の兄貴がそう言った刹那、勝幸が飛び掛かった。

「うお、何すんじゃ!」

 必死でしがみついて離さない勝幸を何とか振り外そうとする。すると横倒しに倒れた勝彦が起き上がり、「兄ちゃん!」と言うや猛烈に走り出し、ゲン太の兄貴にタックルをした。 

 それでどう、とゲン太の兄貴が倒れる。僕も同じように駆け寄り、倒れたゲン太の兄貴の足を抑え込んだ。

「兄貴!」

それを見たゲン太が兄貴を助けようとするのをツトムが前に出て、立ち塞がった。

「蝶の様に舞う、蜂のように刺すんじゃ!」

 そう言うとパンチをゲン太に繰り出した。小さな音がしてゲン太は下を向くと、やがて口を押え、構えて向き直った。

 ゲン太の唇があっという間に腫れて来るのが見えた。

 ゲン太の目頭が怒りで紅くなっている。

 唾を吐くと、にやりとして言った。

「ツトム、俺は知ってるんじゃ。お前の母ちゃんがなんでお前のとこを出て行ったのか」

 ツトムの表情が少し、青ざめた。

「それが、何じゃ?」

「何じゃ?」

 ゲン太が笑う。

「お前んとこの母ちゃんは、他に親父以外に好きな奴が出来たんじゃろが。この辺の大人は皆知ってるんじゃ」

 ツトムの構えた拳が少し下がった。

(ゲン太!そんなのは根も葉もない噂だ!)

僕はゲン太の兄貴の足を押さえながら心の中でゲン太の言葉を聞いて叫んだ。

「大人は皆、言うちょる。お前はそんな母さんの血を引いとる卑しい悪い奴なんじゃ・・」

 最後にゲン太が「・・と!」言う前にツトムの右拳がゲン太の頬を叩いた。

 ゲン太が倒れかけるのを今度はツトムの左拳が襲った。見事に音を立てて、再びゲン太がふらつく。

「ゲン太!」

僕は声を出した。同じように「ツトム!」と叫んだ。

ツトムは僕の声には振り向かずゲン太の襟首をつかんだ。僕は兄貴を押さえているのを止めてゲン太へ走り寄った。

 再びツトムの拳がゲン太の脇腹を突いた。僕は走りながらゲン太の顔を見た。

 ゲン太が朦朧としている。

「ツトム!止めてくれ。ゲン太が!意識がなくなっている」

 その声にゲン太の兄貴と勝彦兄弟も動きを止めて僕の方を一斉に見た。それでもツトムは僕の静止に耳を貸さずゲン太の頬をまた殴った。

その異常さに誰もが戦慄を感じた。その戦慄に反応してゲン太の兄貴が走り寄り、ツトムを体当たりで吹き飛ばした。

ツトムが道端に転がる。

ゲン太の兄貴が口から血を流しているゲン太に叫ぶ。

「おい、ゲン太!しっかりしろ、しっかり!」

 僕もゲン太の側に寄ろうとした。すると僕を突き飛ばして、ゲン太の兄貴にツトムが体当たりをして吹き飛ばす。

再びゲン太を拳で殴った。

「ツトム!」

 僕は声を出した。あまりの恐ろしさに震えながらツトムの腕を掴んだ。ツトムはそんな僕の腕を振り払おうとした。それを見ていた勝幸、勝彦兄弟も急いで駆け寄り、ツトムを押さえつける。

 押さえつけながら僕達はツトムが泣いているのを見た。それは大きな涙声となってゆく。

同じようにゲン太の兄貴が懸命にゲン太に声をかけている。それも同じように涙声だった。やがて嗚咽を漏らしながら泣き出した。

「ツトム・・」

僕は声をかけて背中を摩った。その後ろでゲン太の兄貴が涙声でゲン太に言っている。

「ゲン太!ゲン太!おいおい!唯の喧嘩じゃろ。唯、暇じゃったから、からかっただけじゃないか、それがなんでこんなひどい目になるんじゃ」

僕はそんなゲン太の兄貴を見ながら思った。

(子供と言っても、絶対人間には触れちゃいけない場所があるんだ。そこに触れちゃうと、もうあとは取り返しがつかなく、お互いに引き返せなくなる)

遠くでサイレンの音が聞こえた。近所の誰かが喧嘩をしている僕達の声を聞いて救急車を呼んだのだろう。

少しすると近所の大人達も通りに出て来た。

「おぉ、ゲン太。おい、分かるか?俺だ。兄ちゃんだ」

 その声に僕は振り返るとゲン太が薄く目を開けて、大丈夫と小さく言っているのが聞こえた。

「ゲン太・・大丈夫みたいじゃな」

勝幸が言った。

 ツトムは腕で顔を隠して、膝を立てて声も無く泣いている。

 僕達はツトムを囲むように腰を道路に落とすと、静かに黙った。

 ゲン太が言うまで勝幸、勝彦もツトムの家庭の事は知らなかった。だから触れることもできない大人の事情を聞いて、唯、黙って慰める言葉も出てこなかった。

やがて救急車がやって来てゲン太を運んで行った。救急車に乗る頃はゲン太も足取りがしっかりしているように見えた。

その間、ツトムはずっと下を向いたままだった。

やがて通りには誰も居なくなり僕達だけになった。

道に投げ出された自転車を拾うと勝幸が言った。

「ツトム、じゃ行くど」

 ツトムはそれには返事をせず、俯いたまま何も言わなかった。

 その姿を僕達三人は互いに見て、顔を見合わせて思った。

(ツトムはここに置いてゆこう)

 そう思って、僕がツトムに声をかけようとした時、坂道を下りながら僕達に声をかけてくる女性が見えた。

 僕達三人はその姿を見た。見るとまた声がした。

 それは確かこう言っていた。

「こらぁ待て!そこの四人組!」

 それは担任の新穂先生の声だった。

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