第12話

翌日、僕は三十分ほど早く勝幸、勝彦兄弟の家に行った。

早く家を出たのは正直昨晩眠れなかったからだ。布団に入り、目を瞑ってみたが毒蛇がいるという鳶ケ峰を思うだけで正直ぞっとして寝付けなかった。布団に潜り込んだが目がさえて寝付けず、やっと少し微睡むと朝陽が昇って来て、殆ど眠れていないという始末だった。

 大きな欠伸をして起きた僕を父親は少し怪しげに見ていたが、妹の病院へ行くための準備などをしているうちに僕の事を気に留めなくなったのか、朝食をとっているときには何もない、いつも通りの平穏な会話をしていた。

 そんな父親に一言「出かけてくる」というと、僕は自転車に跨り、兄弟の家へと向かった。

僕が着くのとほぼ同じタイミングで畳職人の勝幸兄弟の父親の軽トラックが出て行くところだった。

「ナッちゃん、おはよう、今朝も早いな。ちゃんと宿題とかやっちょるじゃろな?」

父親が出かけに僕に車の窓越しに言った。

「うん。大丈夫だよ。おじさんも朝早いね」

 そう言うと

「今日は海岸沿いの伊比井っちゅうとこに行かなあかんちゃわ。だから今から行かんとね」

 陽に焼けた腕を窓から伸ばして、軽く僕に手を振る。

「うちのチビ共にも、ちぃとはナッちゃんぐらいの真面目さがあっとよかっちゃけんどね」

と言って、軽トラックのエンジンを勢いよく吹かせて通りに出て行った。

 僕は出て行く軽トラックを見送ると、中二階へ駆け上がった。入って来る僕を皆が見る。僕は手を上げて挨拶をした。

いつもの将棋盤の所に三人が座って、その将棋盤の上に地図を広げて何やら話し込んでいる。

 ツトムは襟首のあるシャツで袖をカットした手作りの感のあるチェック柄のシャツを着ており、地図を見ながら陽に焼けた腕を掻いて地図を見ていた。

昨日、蚊に血を吸われたところが痒いのか、何度も掻いていた。勝幸、勝彦兄弟は普通の丸首の文字がプリントされたシャツを着ていて腕をまくっている。勝彦はというと地図を見ながら口にビスケットを咥えて、口をもぐもぐさせている。

 うーんと唸りながら皆が地図を見ていた。

「皆、どうしたの?」

 僕の声に勝彦が答える。

「ナッちゃん。どのルートを通るか今作戦会議中」

「そう?」

「そう」

 勝彦の声に三人が頷く。

「ガッチさ、結局、その・・今出て行ったお父さんと一緒に行った屋敷ってわかったの?」

 勝幸は力強く頷く。

「どこ?」

 僕の問いに、勝幸が地図のある場所を指さした。

「ここじゃ」

 ん、と僕は覗き込む。

 そこは“黒谷”と書かれてあった。

「うん、くろだに?」

「違う。“くろや”やっちゃ」

 ツトムが言った。

「くろや?」

「そう、くろや」

 目を少し動かすと北の方に“鳶ケ峰”があった。順に北へ目を動かすと、“吉野”“東郷”と在った。黒谷は僕達の住む場所からずいぶん南にあった。吉野は僕の親父の実家があったからそこまでの距離は分かったが、そこから黒谷を目指して自転車で行くにはやはりかなり長い距離だった。

「間違いないの?」

 勝幸が頷く。

「昨日お父ぅと風呂入りながら聞いたっちゃ、なぁ勝彦?」

 弟がビスケットを噛んで音を鳴らして兄貴の言葉に答える。

「まずはこの吉野まで行かないとな」

 勝幸が言う。

「それまでどのルートを通るかやけど。城下の本町、新町行くと平坦やからいいけど遠くなるじゃろ。しかし山川回りやと坂が多いから・・」

 うーんと勝幸が呟く

 僕は言った。

「ガッチ、絶対山川回りだろ。だって全然違うよ。坂って言ってもそんなにきつくないし・・」

 そこまで行って僕は兄弟の顔を見る。

 兄弟もそのことは分かっているようだが、ツトムの方を見てやや渋面を作った。

「ええ?どうしたのガッチ、かっちゃん。ツトムの方を見て・・」

 ツトムもどこか惚けたような顔つきをしている。

 腑に落ちない僕は、唯一、自分が何か大事な答えを見つけていないことに苛立ちを感じて、「何?何?」を連発して兄弟に答えを求めた。

 勝幸は目を閉じて黙っているが、勝彦がそんな兄の代わりに僕に言った。勿論、ツトムの方をちらりと見て。

「ナッちゃん・・・、ほら、山川のさ、城の裏道下りの坂下におるじゃろ?」

「おる?何が?犬?野犬?」

 僕は自分が嫌な野犬の事が浮かんだ。幼い頃に野犬に襲われて以来、僕は野犬が嫌いだった。ただでさえ、毒蛇が居るところにいくのに、もしそこに野犬がいるようならまっぴら御免だった。

「違ごぅ。あいつ。あいつ」

「あいつ?」

「ゲン太だよ」

 ツトムが言った。

 それで僕は思い出した。

 今、ツトムが言ったゲン太とは喧嘩が強く気性の粗い奴だった。一つ上の兄貴も同じように喧嘩が強く、学区内では有名な兄弟だった。ゲン太は空手ができ、その為腕っぷしが強くおまけに性格が短期で気が強い。

しかしツトムも自然、野生児としての強さがあり喧嘩が強く、つまり二人がこの学区内では相当の実力者だった。強い者同志に良くあることでこのゲン太とツトムは気性が合わず、喧嘩をしない日はないというくらいの犬猿の仲でほぼ毎日喧嘩をしている。

「成程ね。確かにゲン太がいるね」

 僕は口を捻る様に言う。

「そうじゃろ」

 相槌を打って勝幸が言う。

「それにさ、もう一つ。問題があってさ、新穂先生もその近くに住んじょる」

「え?先生が?」

 僕は思わず前のめりになった。

「新穂先生がそこに住んでいるの?」

「そうじゃ」

 勝幸があー、と言う。

「嫌だなぁ。もし先生に会ったら、絶対どこに行くか聞かれる。子供だけで鳶ケ峰のほうまで行くなんていったら。絶対ダメって言うに決まっちょる」

 頭を掻く勝幸の横で僕は小さく呟いた。

「先生がそこにかぁ」

 新穂先生は僕達の担任の先生だった。東京の大学を出て、今年初めて教員として僕達の小学校に赴任してきた。勝幸やツトムはどう思っているか分からないが、僕にとってはどんな美術の本に描かれた絵画の美女よりも、この先生が美しいと思っている。

 長い髪に細く切れ長の一重瞼の下でとても澄んだ黒い瞳がいつも僕達を見ていた。先生の事を思うと胸の鼓動が早くなるのが分かる。

 勝彦が言った。

「じゃーさ。ゲン太もおるし、新穂先生もおるんじゃから、山川は止めて、時間かかるけど城下の方を抜けて行こうよ」

 僕は思わず、反射的に言った。

「駄目!」

 えっ、と皆が向く。

「駄目。かっちゃん。山川回りで行こう。だって時間がないし、それにゲン太も先生も今は夏休みだから家にいるとは限らないよね?」

 僕の強気に気圧されるように勝幸が言う。

「ま、まぁ・・確かに」

 勝幸がそう言うのを待って僕は言った。

「じゃ皆、山川ルートに決定だからね」

 お、おうと頷く声に満足しながら、僕は何故か心の中で新穂先生に会えるはずだとそう思って期待をした。

「ナッちゃん。どうしたんじゃ、急に強気になって」

 勝彦が空になったビスケットの代わりに別のお菓子をポケットに入れながら僕に言ったが、僕は口笛を吹きながら階段を降りた。

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