第295話 【真珠】貴志と彼女の関係は


「アオ……なのか?──これは……どういうことなんだ?」


 貴志の呟きに、疑念が入る。


 彼は、何かを──遠い記憶を、必死に思い出そうとしている?

 貴志の不可解な態度は、わたしの瞳にそう映った。



「アオって……もしかして久我山兄弟の母親──葵衣あおいのこと?」



 貴志の尋常ならざる様子に気を取られていたわたしは、先ほどの久我山兄弟ルートの考察があとを引いていたことも重なり、ポロリと言葉をこぼしてしまう。

 本来であれば、こんな子供のわたしが知り得ないだろう──個人情報を。


 口に出した瞬間──しまった、と思った。

 けれど、時すでに遅し。


 貴志はハッと息を呑むと、今度はわたしの顔を食い入るように見つめた。



「真珠、お前──何を、知っているんだ? 久我山? 葵衣? それがアイツのなのか?」



 ──どういうことだ?

 貴志は、彼女の本名を知らない?


 わたしは目を泳がせ、再び葵衣を視界の隅に入れる。


 その麗人は、丁度会計を済ませたところだった。

 隣に佇むいずるの手をとると、彼女を待つ夫としのぶの元へ微笑みながら歩いていく。


 ランチ待ちの人で溢れるレストランの外に出る前に、久我山一家は館内地図を確認しているようだ。

 葵衣とその夫は、これから向かう場所を指差し、仲睦まじそうな様子を見せる。


 葵衣の夫を視認した貴志は、その眉間に皺を刻んだ。


 久我山兄弟の父親は、双子と面差しのよく似た、かなりの美丈夫だ。

 スッキリとした目鼻立ちに切れ長の目は、青年へと成長した久我山兄弟を彷彿とさせる。


 貴志と葵衣の間に、過去──もしも、男女の関係があったのだとしたら、その夫に対して抱く想いとはどんなものなのだろう。


 貴志は、一体何を考えているの?

 その表情には、どんな意味があるの?


 貴志の表情の変化を洩らすまいと、彼から片時も目が逸らせない。


 顎を擦りながら何かを納得した様子の貴志は、その後「なるほど」と呟きながら、何度も小さく頷いていた。


「あれは、確かに──『久我山コンツェルン』の……」


 そこで言葉を止めた貴志は、わたしを視界に入れ、言を継いだ。



「──真珠、どうやらお前の言っていることは、ほぼ正しいようだな……」



 貴志が葵衣の本名を知らないと言うことは、もしかしたら──彼女にたぶらかされでもした過去がある……のだろうか?



 わたしが不安そうな眼差しで彼を見上げると、貴志は複雑な表情を見せる。


 その腕が、躊躇いながらも、わたしに向かって伸ばされ、この頬に触れようとした。


 けれど──わたしの身体全体に緊張が走り、首を竦めて咄嗟に目を閉じる。


 硬直した身体は、貴志の行動に対して、完全なる拒絶を示したのだ。



 ──こんな気持ちのまま、触れ合いたくない。



 身構えた身体。

 強張った表情。


 自分の気持ちを伝えるには、それだけで充分だった。



 貴志は溜め息を落とすと、わたしには触れることなく、髪を一房だけすくって動きを止めた。




 貴志と葵衣──この二人の関係が、読めない。


 思っていた通りの間柄なのか、それとも、まったく別のわたしの知らない繋がりがあるのか、それすら分からない。


 わたしの完全な、被害妄想の可能性だってある。



 けれど、少なくとも、葵衣の身代わりにされるのだけは嫌だった。



 もどかしさに、自分の心がささくれ立っていくのを感じる。


 わたしの髪をクルクルと指に巻きつけながら、貴志は静かにこの瞳を見つめ続けた。



 ──どうして、そんなに寂しそうな表情をするの?


 それは葵衣に向けた感情?

 それとも──?



 訊きたいけれど、訊けない。


 言葉に詰まったわたしは、苦し紛れに、思ってもいないことを口の端にのせてしまう。



「貴志? 『忘れられない人』──なんでしょう? 声をかけてきたら?」


 わたしの言葉を『許可』と受け取り、貴志は彼女を追いかけるのだろうか?


 行ってほしくない。

 でも──それを選択するのは、わたしじゃない。




 二人が並び立つ姿を想像するだけで、とても苦しい。

 胸が締め付けられるようだ。



 けれど、その想いを必死に隠し、わたしは笑顔で、もう一度貴志に訊ねる。



「大切な人……だったんでしょう? いま声をかけないと、もう会えないかもしれないよ? それで本当に、後悔しない? わたしに遠慮は、いらないよ?」



 大丈夫。



 先ほど一瞬だけ強張ってしまった表情も、いまは満面の笑みを湛えている筈だ──舞台の上で、大きなプレッシャーに押し潰されそうになっても絶やすことのなかった完璧な笑顔は、そう簡単に崩れることはない。



 貴志が彼女に向けていた眼差しは──驚愕を含んではいたけれど、昔を懐かしむような温かなものだった。


 わたしの科白を耳にした貴志は、首を傾げる。


「大切? 後悔? ──お前は一体、何の話をしているんだ?」


 貴志は自分自身で、気づいていないのだろうか──先ほど、自分がどんな眼差しで、彼女の姿を追っていたのか。



「正直に言えば、突然姿を消したアオに対して、何があったのか……問いたい気持ちは確かにある。が、今追いかけたところで、俺が誰であるのか──アイツは気づかない」



 ──突然姿を消した?

 それでは貴志は、彼女に捨てられた過去があると言うこと?


 それならば、彼女へ向かう彼の想いは、相当強い──執着にも似た感情なのではないだろうか。


 それに、貴志の科白のなかに、気になる言い回しがあった。


 ──貴志のことを気づかない?


 そんなこと、あるはずがない。


 これだけ印象的な男性なのだ。

 何故、そんな消極的な言葉を口にするのだろう?


 わたしは服の胸元を掴んだ。



 いつか出会うと思っていた『主人公ヒロイン愛花ういかのことで、不安を抱えていた今日までのわたし──けれど、思わぬ伏兵が攻略対象の母親だったとは──はっきり言って予想外過ぎて言葉も出ない。



 焦燥に駆られながら、わたしは貴志の両目を見つめ続ける。


 本当は、貴志に触れてほしい。

 彼の腕の中に飛び込んで、この不安を拭ってほしい。


 けれど、今は──

 もしも彼の心の中に、わたし以外の人が──久我山葵衣が棲んでいるのならば、それは絶対にできない。



 意地っ張りと言われようが、それがわたしの──女としての矜持だ。



 貴志は、葵衣を見つめながら、言葉を紡ぐ。


 

「それに……家族がいるところで、いきなりから声をかけられたら、向こうだって困惑するだろうし──はっきり言って、迷惑でしかないだろう?」



 見知らぬ男?

 それって──どういうこと?



 だって、二人の間には『何か』があったんでしょう?


 だから、貴志はあんなにも──



「──そもそも、本当に実在していたとは……──いや、やはり騙されていた──ということか? 駄目だ……いや、待て? あれは──」



 額に手を当て、目に見えない記憶を、必死に手繰り寄せようとしているのだろうか。

 戸惑いを含んだ貴志の声が、頭の中で木霊した。

 


 へ?

 ちょっと待て。


 ──実在?



 ますます以って、意味が分からず、わたしは笑顔を貼り付けながらも、そのまま首をコテリと横に倒す。


 わたしは貴志に、何を問えばいいのだろう。


 いや、そもそも彼等の関係自体がよく分からず、混乱と大きな疑問が心の中で渦を巻いている現状だ。


 悶々とした気持ちを胸に、わたしは貴志の次なる動きを待った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る