第224話 【真珠】夢での逢瀬


 目を開ける――わたしは、此処が夢の中だということを理解している。


 何故ならば、自分の身体が子供のものではないことに気づいたから。


 空には太陽と月が同時に存在し、夜と昼が混じり合う不可思議な光に満ちた空間。


 ここには今、わたし一人しかいない。



 早く大人になって貴志と触れ合いたいと願う思いが、夢の中の自分を成長させているのだろうか。


 わたしは今、伊佐子の外見をしている?

 それとも真珠?


 ふと気になったが、姿を映すものは何もなく、自分では判断がつかない。


 気になると知りたくなり、調べてみようと自分の身体を隅々まで確認する。


 わたしは黒のロングドレスを身に着け、聖布を頭からすっぽりと被っていた。黒い薄絹に全身を覆われているが、視界はハッキリしている。


 黒のドレスは演奏会用の魅せるための様相とは異なり、薄物のキャミソールに近い。


 身体を締め付けるような下着類もつけていないので、自然体でいられるのが心地よかった。


 それにも関わらず、胸元に視線を移すと、伊佐子時代には寄せて上げないとお目にかかれなかった谷間が主張されている。


 正直に言うと、これほどの美しい胸を拝んだことはなく、わたしは後学のために自分の双丘を両手で揉んでみることにした――単なる興味からくる好奇心だったが――うむ。しっかり、ある。


 柔らかいのに上向いたバスト、触り心地も上々。

 その下に隠れた腰のくびれも、かなりそそるのではないか?


 自分の身体を興味津々で観察する。


 こんなに立派な胸の谷間を、このアングルからお目にかかったことは一度もない。

 よって、この身体は伊佐子のものではないことが判明した。


 おそらくこれは真珠の身体だ。


 真珠――お前、なかなかけしからん体つきをしているな!

 と、自分自身に感心していたところ、その声は唐突に、この空間に響き渡った。



「何事かと思って来てみれば……真珠――お前は……迷い込んだのか? それは……いったい何をしている?」



 突然、背後から声をかけられたことに驚き、わたしは咄嗟に振り返る。


 ――そこには黒衣の神官装束を着崩したエルの姿。


 そこはかとなく見え隠れする胸板と、少し気怠げな表情が何処か頽廃的な印象で、見ているこちらが恥ずかしくなってしまう。


 自分の無防備な格好を棚に上げ、「上着の前をしっかり閉じてくれ」と苦言を呈したい気分になった。


 いや、これはわたしの夢だから、エルのこんな姿を見たいと、わたしは心の奥底で願っていたのだろうか。


 なんという破廉恥さだ!

 自分でさえも気づかぬ、こんな願望があったとは。


 己が理解できず、ちょっとこわい。


 しかし、自分の願望が具現化した夢を見ているのならば、何故わたしの夢にエルが出てくるのだろう。


 ――貴志ではなくて、どうしてエルが?



「貴志でなくて悪かったな」



 少し憮然ぶぜんとした声音と、呆れの混じった表情が返ってくる。


 顔に出ていたのだろうか。

 それは失礼つかまつった。


 それとも心の中を読まれたのだろうか。

 なにせ、此処はわたしの夢の中。

 心の声がダダ漏れなのかもしれない。



「しかし、その手は何をしているのだ」


 エルの眉間に皺が寄る。

 

 手……?


 わたしはハッと我に返り、自分の両手が未だに己の胸を揉みしだいていることに気づいた。


 うっ!

 これは恥ずかしい。


 でも、まあ、いいか――夢だし。


 わたしは開き直って、堂々と答える。



「いや、立派な胸だな。柔らかいな。触り心地抜群だな――と思って揉んでました。これは、なかなかの極上品だ。素晴らしい!」



 どうだ、参ったか!――そう思いながら胸を突き出すようにして腰に手を当てると、エルは苦笑いしながらわたしの身体をグイッと引き寄せた。


「ふぇ!?」


 驚愕に目を見張り、現在の自分の置かれた状況を確認する。


 どうやらわたしは、エルの腕の中に包まれているのだが――おかしい――何故かまったく怖くない。


 昨夜は、エルが近くにいるだけで、多少の緊張を覚えていた筈――それなのに、今現在、すっぽりと彼に抱きしめられているというのに、この心に怯えが生じないのだ。


 貴志以外の男性に触れられることに、妙な恐怖を感じていたけれど、夢の中では緩和されてしまうのだろうか。


 ――やはり、夢だから?


 生身の身体ではないという安心感が、触れ合うことに対して、心に余裕を持たせるのかもしれない。あくまでも想像だが。



 しかし、なんという夢なのだ。

 ――わたしにはこういった破廉恥願望があるのだろうか。


 いや、貴志に対してはあるどころではなく、早く大人の関係になりたいと望んでいるから、間違いなくあるのだ。


 抱き寄せられたまま、エルがわたしの頬に触れる。


 聖布をベールのように被っているので、夢の中でも彼は肌に触れることはないようだ。まるで昨夜の儀式の時のようだ。


 こういう細かな部分では、現実とリンクしているのだな――と、心の中で得心する。



 でも、なぜ願望が見せる夢なのに、出てくるのはエルなのだろう。

 疑問が再び生じたところ、彼の言葉でわたしは氷のように固まった。


「知っている」


 へ? 何を?


 直前に話していた内容の受け応えのようだが、咄嗟に思い出せずに上向くと、エルの二粒の黒曜石に捕らえられた。


 その瞳には、普段の彼が見せない『欲』が見え隠れする。



「……いや、気にするな。お前と実際に出会う以前――お前にはあずかり知らぬ、私の夢見の中での出来事だ」



 低く愁いを帯びた声――それと同時に彼の指先が仙骨から背筋をツーッと駆けあがり、わたしは声にならない声をあげた。


 腰が抜けたような状態になり、エルに身体をゆだねる形で支えてもらう。


 力が入らない――甘い痺れが身体の中に生まれ、ドロリとした欲の塊がはらの最奥でうごめき始める。


 昨夜、貴志との間に起きた一連の出来事で、昇華されていない炎が未だに燻っていたのだろう。それが種火となって、身体に欲が巡りはじめる。


 なんという不埒ふらちで淫靡な夢をみているのだろう。


 貴志とのアレコレで生まれた欲求不満が、こんな形で噴出してしまったのだろうか。


 しかも、相手はエル――わたしは、考えたくもないが、実は浮気者なのだろうか。


 どうしよう。

 もしそうだとしたら、いくら夢とは言え、貴志に顔向けできない。


 己に恥じ入り、エルから離れようと両手を彼の胸に置き、距離を取ろうとしたところ、触れたのは着崩した神官服から覗く肌――その質感に、ギョッとして身体が固まった。



「節度ある距離を保ちましょう……頑張れ、わたし」



 ちょっと色々いっぱい一杯になり、うわ言のように呟く。


 固まっている場合ではない。


 一刻も早く、この状況から離脱せねば、己の願望がエルを代理にして何をするのか皆目検討もつかなくなってきた。



 そもそもこれは、本当に夢なのか!?

 早く目を覚まさないと、相当まずい。



 貴志に助けを求めて涙目になるが、どうやっても夢は終わらない。


 夢なら、早く覚めてくれ!


 心の中で、何度も貴志の名前を呼ぶ。

 けれど、目も覚めず、貴志もこの場には現れない。


 一人では立ち上がることもできず――わたしは半ばパニック状態に陥った。





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