第194話 【真珠】暴走王子を止めてくれ!


「そうだ! 真珠、お前が三人それぞれの子供を産めばよいのではないか? 誰か一人ではなくて、兄上と貴志の子供をつくり、それからわたしの子供を生めば良いのだ! みんなの物というのなら、喧嘩にならないではないか! うむ、我ながら名案だ。何故、今まで気づかなかったのだろう」


 そう言った瞬間、店内が静まり返り、激しく注目された。



 いや、もともとちびっ子二人が席に着いた時から、視線は注がれていた。


 可愛い黒猫のような碧眼の男の子が現れたのだ。

 人目を引かない訳がない。



 けれど、今受けている注目は、先程のものとは種類が違う。


 周囲の目が怖くて、振り返ることさえできない。


 これは自意識過剰というレベルの勘違いではない。


 恥ずかしさに汗が滲む。




 ラシードは興奮しながら、今思いついた考えを、少し離れた位置に立つ貴志とエルに伝えようと声を張り上げる。



 周囲の視線にもまったく無頓着で――残念なほどに自由な王子さまだ。



「兄上! 貴志! 名案だ! 真珠には将来、それぞれわたし達の子供を順番に産んでもらえたら、喧嘩にならずに仲良しでいられる。みんな真珠が大好きなのだから、一夫多妻が許されるのなら、その反対の一妻多夫婚で良いのではないか?」



 あまりの衝撃にわたしは声を失った。

 今度は、冷汗が流れそうになる。



 頼む。

 誰か、この暴走王子を止めてくれ。


 恥ずかしい。

 穴があったら入りたい。


 いや、穴があったら、この王子を今すぐ埋めたい。



 貴志とエルの周りに群がるお姉さま方も、静まり返っているではないか。



 エルは苦笑し、貴志も困惑している。


 店内が気まずい空気に占拠されてしまった。


 頼む!

 お願いだから、早く微笑ましい雰囲気に戻ってくれ。



 いや、そんなことよりも。


 そんな……そんな、ふしだらな関係など、まっぴら御免だ!


 御免だが……この、なんとも言えない針のむしろのような状況をなんとかしなければならない。


 ここは、わたしの返答にかかっている気がする。


 それは間違いない。



 わたしは必死に笑顔を貼り付け、声を震わせながら――心を殺して、女優になった。



「え、えへへ……う、うわぁーい、真珠、みんなのお嫁さんになれるの? 嬉しいな。仲良しだね。赤ちゃん、たくさん、コウノトリさんが運んでくれると良いねぇ……」



 ラシードは無邪気な子供だ。

 ここは、わたしがその会話に合わせることで、上手く切り抜けられる!


 たとえそれが倫理的に問題があるとしても、子供同士の会話であれば微笑ましいものに早変わり!


 ……の筈だ……多分。



 このままでは、心労が祟って本当に倒れるやもしれん。

 一刻も早く、このいたたまれなさから脱出せねば!



 白目を剥きそうになっていたところ、わたしは突然フワリと抱き上げられた。


 貴志だ。


 彼が助け船を出してくれたことに安堵するが、今度は自分で口にした科白の恥ずかしさに涙目になる。


 あまりの羞恥に耐えられず、わたしは夢中で彼の首に抱き着いた。



「ラシード、駄目だ。我が『姫君』は誰にも渡さないぞ。忠誠を誓った騎士はひとりいれば充分だ」



 貴志が魅惑の笑顔で、ラシードに微笑みかける。


 周囲のお客さま方が、秒でその美しさに心を奪われたのが分かった。


「貴志! 貴志……、兄さま」



 苦し紛れではあったが、鬼押し出し園の時と同じく、年の離れた兄妹演技に徹することに決めた。



 とってつけたようなわたしの「兄さま」呼びを耳にしたエルが、クッと陰で笑いながら近づいてくる。



「シード、そんな甘い考えをしているようでは、この勝負――お前の負けだ。我が『女神』が、その手を取るのは唯一人」



 そう言ってエルがニヤッと笑ってから、わたしの瞼に口づけを落とす。



 エルめ。

 これは絶対に、この状況を楽しんでおる。



「う……うふふ、えへへ……し、真珠は、エル兄さまも、だーい好き、だよ?」



 もうやけっぱちだ。


 わたしは子供だ。

 純真無垢なお子さまだ。


 そう!

 ここは、みんなから愛される妹分の演技で乗り切ろう。



 もうどうしてよいのか分からずにいたところ、天の助けが訪れた。



「お客様、ただいま包装が終わりました」



 先ほど席に案内してくれた店員のお兄さんが、ラフィーネ王女用に見繕った贈り物を貴志とエルに手渡す。



 多分、わたしは今、この大人対応をしてくれるお兄さんに一番の安心感を覚えている。


 間違いない。

 助けてくれて本当にありがとう。


 気遣いのできる大人の貴重さを、ひしひしと肌で感じとることができた。


 また是非、買いに来させてください。


 心からそう思い、死地を切り抜けた歴戦の兵士のような心持ちで、わたしは次なる目的地へと連行された。




          …



 メトロポリタン口から、今度は在来線の東武東上線ホームへ向かう。


 地上の天候具合を確認しながら和光市まで向かい、そこで有楽町線に乗り換え、再び市ヶ谷に戻ることになっているのだ。


 東上線の急行小川町行きの車内に乗り込むと、既にかなりの客が乗車していた。


 エルがラシードの手を引き、貴志がわたしを抱き上げて一号車の最後尾の空間に立つ。


 停車駅の表を目にしたわたしは、そこに川越という駅名を発見した。


 その地名を目にした途端、急にお腹がすいてしまった。



「芋恋まんじゅうが食べたい……」



 わたしが呟くと、貴志が笑う。



「お前は本当に食べ物ばかりだな。川越か……来年日本に本帰国した後になるが、御朱印をもらいに喜多院にでも行くか?」


 おお! 喜多院か!

 徳川家光に春日局だ。

 歴史も浪漫だ!


「COEDO《コエド》ビールも、飲んでみたいな」


「まったく……お前は。まあ、そうだな……大人になったらな」



 ――大人になったら。



 わたしは貴志の首に抱き着いて、そっと囁く。



「うん……大人になったら。全部……貴志が教えてね」



 ――お酒も恋も、大人の関係も。



 わたしの言葉の意味すべてを、理解したのだろう。

 貴志は突然その動きを止め、いつものごとく思考停止状態のようだ。


 このヘタレくんめ!


 そう思うのだけれど、わたしの言葉に戸惑うほど、とても大切にされている事実がくすぐったい。



 愛されていることが嬉しくて、この胸にあふれる想いを込め――わたしは貴志の首筋にそっと口づけた。








【後書き】

次話

【紅葉・手塚実】『その隠された首の噛み痕は』編集後に来週末更新予定です。


先行公開中

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