第190話 【真珠】愛と官能の『一生の恥』! 後編
落ち着きを取り戻した貴志が『そうだった。お前はそういうヤツだった』と憔悴した声で独り言ちながら、わたしの左腕の状態を確認しはじめる。
今度はあまり触れずに、ピンポイントで、割としっかり目に圧を加えるだけだ。
これならば、くすぐったくない。
先ほどのような、おかしな声も出ない。
「真珠、押した箇所に痛みはなかったか?」
わたしがコクリと頷くと、貴志はホッとした表情を見せる。
痛くは無かったが、先程の不可思議な感覚の理由が知りたくて、わたしは貴志に質問する。
知らないことは、やはり知りたい。
探究心こそ、人類繁栄の根底にある知識欲の最たるものだ。
分からないことを、そのまま放置することは、わたしの知的好奇心も許さない。
あの妙に気恥ずかしいような感覚の理由が、ものすごく知りたい。
これが分かれば、生物繁栄の根拠に関するなんたるかにも近づける予感がするのだ。
「あのね。腕に痛みは無かったんだけど、貴志が触ったら、この辺りがムズムズして、何と言うか熱が溜まるような感覚? があって、声が出ちゃったの。これはどうして? 理由が知りたい。ものすごく!」
貴志が哀れな者を見るかのような眼差しで、わたしを見る。
何故だ!
学びたいという欲求を無下にするとは、大人の風上にもおけないヤツだ。
もう一度溜め息を落とした貴志は、畳みかけるようにわたしを
「それくらいにしておけ。恥ずかしげもなく言っている時点でアウトだ。本当にお前が後悔するぞ」
上から目線の言葉に、わたしは頬を膨らませる。
「『聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥』だ。何を狼狽えている、貴志よ――子供の知的好奇心を遮断するのは、大人としては
貴志が頭を抱えて立ち上がる。
「まったく……そう来たか。自分を子供だと宣言するのなら、頼むから、少しは子供らしくしていてくれ。そうでなくても、どう扱って良いか戸惑っているんだ。
いいか? この話……今は終わりだ。お前の『一生の恥』になるから、それくらいにしておけ」
その様子から、もう何を訊いても答えてくれないだろう事がわかり、諦めの境地に入る。
「今は終わり? じゃあ、いつか教えてくれる? それと、病院に行く必要もない?」
わたしのしゅんと落ち込んだ声に、貴志がウッと息を呑んで再びたじろぐ。
「心配するな。エルが言った通り、病気ではない。その――まあ、そのうち分かる……多分」
そして何故か、歯切れも悪い。
「そのうち分かる? それは、貴志が教えてくれるの? どうやって?」
エルの言う『そちら方面』が恋愛関連であるのならば、その指南役は間違いなく貴志なので、早く教えてほしいと暗にお願いする。
だが、貴志はスイッと目を逸らした。
回答せずに、逃げおった!
エルはピアノに突っ伏して身体を震わせている。
お前のキャラ崩壊だぞ、と思いながらも、
「エル、どうして笑っているの? 何か知っているなら、教えてくれたって良いのに……」
くそう。全くもって意味がわからん!
貴志もエルも、色々と分かっているようなのに、二人だけで通じ合い、わたしだけが仲間外れだ。
これか!? これが『友情の祝福』を交わした男同士で通じ合う、
もういい。
分かった!
二人が教えてくれないのであれば、穂高兄さまに訊いてみよう。
彼の知識は既に年相応ではない。
きっと何かを知っているに違いない。
わたしは拳を握りしめ、兄に助けを乞おうと心に決めた。
…
「腹が痛い。こんなに笑ったのは生まれて初めてだ。もっと二人の遣り取りを見ていたかったが、このままでは永遠にこの問答は終わらないだろう。
さて……そろそろ時間だ」
エルが脇腹をおさえながら立ち上がり、貴志は何故かホッとした表情をしている。
青年二人は視線を合わせると、お互いに肩をすくめ合ったのち、何故かわたしを一瞥した。
貴志は溜め息をつき、エルは何故か楽しそうに笑っている。
――解せぬ!
わたしはかなり不服だったが、気持ちを切り替え、バイオリンを丁寧に拭ってからケースに戻した。
…
「真珠、俺はこれからエルと出かけるが、お前はどうする? 疲れているなら部屋で休んでいても良いが……もし一緒に出掛けたいなら連れていく」
「行きたい! ……あ、でも帰りは眠くなっちゃう可能性もあるか。どうしよう」
今の自分の体力残量と、外出した際の疲労によって訪れる眠気について、頭の中で算盤をはじく。
かなり真剣に悩んだが、迷惑をかけるわけにはいかない。
ホテルにて待機する旨を伝えようとしたところ、貴志が笑いながら頭を撫でてくれた。
「気を遣っているのか? 疲れたら寝ても構わない。大きなものを購入するわけではないし、歩けなくなったら抱えてやるから、もし行きたいのであれば、そこは心配するな」
その言葉で、遠慮がちながらも、彼等と共に行動することを決めた。
「真珠も行くのか! それは嬉しい!」
ラシードがニコニコと笑っている。
「貴志、真珠。一般用ロビーで待ち合わせだ。こちらは着替えたらすぐに向かう。お前たちは着替える必要もないだろうから、そのまま楽器を部屋に戻したら先に向かっていてくれ。こちらも準備ができ次第すぐにロビーに降りる」
エルがそう伝えながら、わたしと貴志を特別室の玄関口まで見送るため、部屋の扉を開けた。
そうか。
この外出の為に、訪問前に着替えなくてもよいと内線連絡があったのかと、今更ながら合点がいく。
確かに、謁見用の準正装姿で街中に出たら、目立つことこの上ない。
エルに先導されながら、もと来た通路を玄関口へと歩いていく。
グランドピアノの置かれた巨大な居間兼パーティースペースには、巨大な嵌めガラスの窓が並ぶ。
先ほど、台風の目に入った時に広がった晴れ間は既になく、曇天が一面を覆い、再び雨が降りだしている。
「『音色捧げ』によって、多少の降雨異常があるかもしれない。今はまだ大丈夫そうだが……夕方以降は相当荒れるだろう。
さて、今夜は色々と覚悟しておいた方がよいぞ――真珠。それから……貴志、お前もな」
エルが窓の外を見て呟いた。
何故、最後にわたしと貴志の名前を口にしたのだろうか。
エルの言葉に問いかける間もなく、わたし達は特別室の玄関からホテルの廊下へと見送られた。
先ほどのエルの科白を訝しみ、貴志と目を合わせて、互いに首を傾げる。
どういうことなのだろう?
『今夜は色々と覚悟しておいた方がよいぞ』?
そこで突然よみがえったのは、プレイデート以前に貴志の部屋で繰り広げられた会話。
瞼に浮かぶのは、誠一パパの呑気な笑顔。
あれか!
今夜は、一緒にお風呂に入り、更には父のベッドで寝ることになっていたのだ。
「誠一パパ対策を、至急脳内会議しなければ! 今夜は確かに荒れそうだ。アハハ……ハハハ……はぁーーーっ」
わたしは大仰に溜め息をついたあと、こうしてはおれん! と、廊下を貴志の部屋に向かってグングン歩き出す。
振り返ると貴志は顎に手を当てたまま、難しい顔で立ち止まっていた。
「貴志? どうしたの?」
わたしの問いに対して、彼は我に返ると
「エルのあの言葉――真珠、今日は早めに自宅に戻った方が良いかもしれないぞ? 夕方以降に荒れるとなると、最悪――
へ?
と、言うことは――
「……貴志と……今夜は、ずっと一緒にいられるの……?」
雷光が
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