第187話 【真珠】デュオからトリオへ
青年二人に目をやると、難しい表情をして何事かを話し合っている。
貴志の手には父から渡された水色の封筒が握られ、エルは神妙な表情で一筆書き付けているようだった。
声をかけても良いものかと躊躇していたところ、貴志がわたしの様子に気づいて手招きをしてくれた。
「すまない。待たせたな、真珠。どうした? 何か話でもあるのか?」
貴志の元に近づくと、上から声が降ってくる。
「話はもういいの? 途中だったら……ごめんなさい。あのね、貴志、さっき二人で練習した曲をラシードに聴かせてあげたいんだけど……良いかな?」
あの曲は、絶対に子供ウケする。
わたしも伊佐子時代の幼少期に聴いて、大変興奮したものだ。
あの音色で元気になってくれると良いな、と
わたし達の会話を聞いていたエルが、興味深そうな顔を見せる。
「二人で演奏するのか? それは是非とも聴いてみたいが、曲目は?」
わたしはニッコリと笑う。
「えへへ、それはね――」
そう言って、人差し指でクイクイとエルを呼び、耳打ちする。
ラシードを驚かせるには、タイトルを事前に耳に入れてしまっては駄目だ。
エルは「なるほど」と言って笑い、貴志に視線を向ける。
貴志はエルの表情で何かを汲み取ったようで、フッと優しげに微笑んだ。
「エル、お前も一枚噛むか? 伴奏がしたいなら止めはしない。但し、あの速さに付いてこられるならば――だがな」
貴志の嬉々とした挑発に対して、エルは不敵な笑みを口元に刷かせる。
「貴志、お前は誰に物を言っているんだ。『祝福』を与えた二人と共に奏でる機会など滅多にない。是非とも参加しよう」
男同士の友情というやつなのだろうか。
言葉にしなくても分かりあえるとは、妬けるではないか。
貴志とエルは、お互いの目を見つめて穏やかな表情で笑い合う。
少し前のわたしであったならば、極上の美青年二人の様子を『眼福、眼福!』と心から楽しんで眺めていたのだろう。
だが、今日の――いや、先程からのわたしはちょっと違う。
貴志に対して、エルとの節度ある友情を育んでくれと激励したばかりだが、やはり少しだけ訂正しておこう。
意外なことに、わたしは存外ヤキモチ焼きだったようだ。
自分でもかなり驚いているが、身体が咄嗟に動き、気づくと貴志の腕に抱きついていた。
「エル! 駄目だよ。貴志は――ううん、貴志だけは、これから先も、絶対に、譲らないから! 誰にも渡さないよ?」
――勿論それは、『主人公』にも、他の女性にも、だ。
貴志はわたしの言葉に息を呑むと、信じられないものを見るような様相で、わたしを凝視している。
いや、もしかしたら茫然としている――と、言ったほうが正しいのかもしれない。
「真珠……お前、それは……どういう心境の……」
貴志はその大きな手で顔下半分を覆い、掠れた声でそう呟いた。
「わたし自身が自分の気持ちの変化に驚いていることは確かなんだけど……でも、そう感じたの。
これは、子供の独占欲? 我が儘なのかな? よく分からない。でも、多分そうじゃないと思うって言ったら……貴志は信じてくれる?」
わたしは必死に言葉を探す。
何と伝えたら良いのか分かりかね、思ったことをそのまま口にのせることしかできない。
彼は何故、今にも泣き出しそうな表情をしているのだろう。
ああ、そうか。
わたし自身よりも、わたしの気持ちを理解しているような節のある貴志だ。
彼はこの浅はかな考え全てを、お見通しだったのかもしれない。
将来、貴志がこの手を離し、誰か別の女性の手を取るような状況が訪れたとしても、わたしは彼の幸せを祈り――笑顔で送り出そうと決心していた筈だった。
でも、わたしは自分の本当の願いに気づいてしまった。
貴志だけは、誰にも『譲れない』と分かってしまったのだ。
彼は、わたしの先程の言葉と態度で、今現在のこの気持ちの全てを理解してしまったのだろうか。
いや、もしそうだったとしても、きちんと自分の言葉で伝えたい。
今夜、貴志に伝えよう。
この気持ちのすべてを。
貴志はどんな顔で、この想いに耳を傾けるのだろう。
許されるならば、叶うならば、わたしの決心を嫌がらずに聞いてくれたら嬉しいな。
そしてあわよくば、その想いと、提案を受け止めてくれたら、わたしはきっと頑張れる気がする。
ああ、でも、夜を待たずとも、この心は貴志に伝わってしまう。隠し通すことはできそうもない。
一緒に演奏したら、すべてが筒抜けになる。
わたしはバイオリンで、彼のすべてを求める音色を、きっと奏でてしまうから。
貴志を見上げて、満面の笑みを向ける。
彼も、優しく微笑み返してくれた。
この小さな両手を伸ばし、抱き上げて欲しいとせがむ。
彼はわたしをフワリと持ち上げ、いつもの体勢で抱きしめてくれた。
わたしのことを大切な宝物のように扱う彼は、今どんな表情をしているのだろう。
気恥ずかしいけれど、わたしは自分の両手を貴志の首に絡め、首筋に顔をうずめた。
貴志の少し震える声が、わたしの耳元に届く。
「ありがとう……真珠」
その小さな囁きの中に、切なさと共に喜びの色が見え隠れする。
わたしに向けられた感謝の言の葉は、何故か幸福の響きを宿していた。
――愛しさを胸に、わたしは彼の背中にまわした腕に、そっと……力を込めた。
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