第186話 【真珠】黒猫と黒豹


 貴志とエルの二人は込み入った話があるらしく、わたしはソファでうずくまるラシードの隣で待つことにした。



「ラシード? 元気がないみたいだけど大丈夫? 叱られたのなら、そこを直していけば良いだけだから、落ち込まないで」



 ラシードの濡れた睫毛を見て、相当落ち込んでいることは理解できた。


 彼はまだ幼い子供だ。


 成長する段階で自らの至らないところを補う努力をしていけば、将来相当有望な王子さまになるぞ、との思いで慰める。



 そして、彼に話しておかなければならないことも思い出す。



 彼の母親役を買っているわたしだ。

 最後まで責任をもって、その役目を全うせねば女がすたる。


 そう、絶対に注意を促さなければならない案件があるのだ。



「ラシード、女の子は特に大切にしてあげて。力でじ伏せちゃ駄目。ちゃんと相手の気持ちも考えて行動しないと……まあ、これは男女に限ったことじゃないんだけど――分かるかな?」



 今から教育していけば、相手の心が手に入らないからと言って、『主人公』に対して女性の尊厳に関わるような無体な真似はしないだろう。



(……しないよ、ね?)


 僅かな不安を抱えつつも、万が一の場合は、わたしが身体を張って『主人公』を守るしかないだろう。


 今はまだわたしに対する想いを勘違いしているようだが、『主人公』に出会った後であれば、お母さんポジションのわたしに対して、まかり間違ってもさかることはないだろう。


 たとえ多感なお年頃であったとしても、だ。



 そうならない事を願うが、『主人公』に緊急事態が訪れそうになった場合――彼の首根っこをつかまえて、教育的指導と言う名のお説教をお見舞い申し上げる必要がある。



 それがきっと彼の母親役をつとめることになった、わたしに課せられた最重要任務だ。



 ラシードは、小さな声で「分かった。優しくする」と答えると、膝を抱えて顔を隠してしまった。


 少し拗ねてしまったのかもしれない。


 世話が焼けるな、と思いながらも、彼に笑顔を取り戻してあげたくなるこの気持ちは、母性本能なのかもしれない。



 同年代の女の子から諭されているのだ。

 王族としてのプライドを持ち合わせている彼だ。

 色々と不甲斐なく思うこともあるのだろう。


 柔らかい黒髪を梳きたくなるが、ここは堪える。



 ラシードは、本当に猫のようだ。

 青い目をした、毛並みの良い黒猫。

 それもかなり可愛い気まぐれな仔猫だ。


 なついたかと思うとソッポを向き、鬱陶しいほど抱きついてきたかと思うとフイッと何処かへ行ってしまう。



 ――けれど、わたしは知っている。



 彼は将来、黒豹くろヒョウのようなしなやかな体躯を持った、非常に魅惑的な青年に成長することを。



 エキゾチックな雰囲気と王族としての矜持を持つ、蒼い瞳の王子は学院でも女子生徒の視線を集めていた。



 彼は母親と兄を同時に失った衝撃への反動で、自分の心を守るために気位ばかりが高い俺様王子になってしまう。


 だが、その悲劇の未来は、既に避けられたとエルは言っていた。


 これから先も、エルが教育係としてラシードを導いて行くのならば、まともな――非の打ち所のない王子に成長するだろう。



 それと同時に、母親であるサラ妃との関係も、ラシードの誤解が早々にとけることを願うばかり。


 まずは、サラ妃が彼の演奏を聴いてくれるかどうかが第一関門だ。


 『駄目で元々』と助言はしたが、彼の願いが当たって砕けることのないよう、この件もエルに事前に根回しをお願いしておこう。


 切れ者と名高い第三王子だと貴志はエルのことを説明してくれた。彼なら、きっとなんとかしてくれるだろう。


 だから、サラ妃の公務とラシードの演奏の日程調整をエルの手腕に頼らせてもらおう。



「あれ? 演奏……?」


 演奏という単語で、何か大切なことを忘れていることに気づく。


 何だっけ?


 しばらく考えた結果、わたしは完全に失念していた二重奏曲について思い出す。

 昼食前の時間を使って、貴志と練習した高速弾きの難曲だ。



 元々は敵地に乗り込む心境で奏でるつもりだった、オペラの劇中曲。


 本来の目的とは異なってしまったが、準備しておいたあの曲を、ラシードに聴かせてあげたい。


 あの曲ならば、しょげ返る碧眼の王子を元気づけられるような気がする。



 わたしは良いことを思いついたと、貴志とエルを視界に入れた。







【後書き】


本日、夜、もう一話更新します!

『デュオからトリオへ』になります。

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