第151話 【真珠】王子殿下と剣道少年 後編
彼の祖父が剣道道場を開いているため、幼いころから剣の道一筋という硬派な少年。
たしか4つ年上だったはず。
わたしは彼が剣道の素振りをする姿をいつも眺めていたのだ。
兄は習い事で家をあけ、お手伝いの木嶋さんも夕食の準備で忙しなくなる時間帯。
竹刀を手に一心不乱に素振りをする彼を見るのが、わたしの日課だった。
もの珍しい動きだったので興味津々で覗いていたのだが、いつの間にか話をするようになって友達になった。
いや、友達というより、わたしは彼のペットのようなものだったのだろう。
いつも「チビ」とか「チビ助」とか「チィ」と呼ばれていた気がする。
真珠の「し」に、かすりもしない呼び名だ。
一人ぼっちで彼を見ていたわたしに「なんだ? どうした? さみしいのか?」と、翔平が声をかけてくれたのが初めての会話だった。
わたしは急に恥ずかしくなって「ちがうもん。さみしくないもん」と言い返したことを覚えている。
ちなみに彼は攻略対象ではない。
今のところ音楽とも無縁のようだ。
わたしは、ハタと大変な事実に気づいてしまった。
ああっ 何たることだ⁉
22年間恋愛未経験で過ごしていた伊佐子と違って、真珠は自ら欲望のままに動いた結果とは言え、この幼さで結婚の約束を取り付けていたとは⁉
なんと羨ま……じゃない!
己を羨望の目で見ている場合でもない。
こ……これは、翔平には丁重にお断り申し上げないといけない気がする。
針千本飲んだら間違いなく死ぬ。
そこは、もう全力で謝って許してもらうしかない。
いや、でも、順番でいえば翔平とした約束の方が先であって、貴志からはハッキリとした決定的な言葉を言われたわけではない。
しかも、今後、こんなお子様のわたしなんぞ相手にできんと、貴志の方から愛想を尽かして離れていく可能性だってある。
わたしが助手席でそわそわと落ち着きなく、さらには百面相している姿に気づいた彼が怪訝な表情をしている。
「どうした? また体調が悪くなったか?」
わたしは首を左右に振る。
どうしよう。
なんと言ったら良いのだろうか?
「貴志、あのね、約束をした順番て、やっぱり大切なのかな?」
ハンドルを切りながら「それは、約束の内容にもよるだろう」と、ごもっともな返答をする。
「そうだよね……。貴志、あのね、昨日、わたしが大人になったら―――って言ってくれたでしょう? あれってどう言う意味で受け取ればいいの?」
浅間山麓ジオパーク・鬼押し出し園の駐車場に到着し、車を停める。
エンジンを切ろうと伸ばした手が止まり、貴志はわたしを見て固まった。言葉が出てこないようだ。
「あの、いや、えーと……その。大丈夫、何でも……ないです。」
貴志は、昨日、もしかして言うつもりのない科白を口に出してしまったのかもしれない。
わたしが腰を抜かしてしまったことで、謝罪を兼ねて、ついうっかりリップサービスをしてしまったのだろうか。
貴志は、何故か困った顔をしている。
その態度を見て、彼の言葉に喜んだ昨日の自分と、将来のことをちょっぴり夢見ていた先ほどの自分に対して、喝を入れたい気分だ。
何をひとりで盛り上がっていたのだろうと、途端に恥ずかしくなって悶える。
「いや、ごめんね。それならいいの。わたし、どうやら翔平と結婚することになっているらしいから、だから……うん、気にしないで。」
えへへ、と頑張って笑い、誤魔化してみる。
「何だか色々と勘違いしているようだが、多分、お前が想像していることとは別の理由で言葉が出なかっただけだ。……それよりも、翔平? 初めて聞く名前だが、誰だ、それは?」
貴志が眉間に皺を寄せて、不思議そうな顔をしている。
「えーと? お隣の剣道少年。いつもわたしが一人でいるときに構ってくれたお兄さん。」
合点がいったようで、貴志は口を開く。
「ああ、神林先生のところのお孫さんか?」
「へ? 知ってるの? 翔平のこと。」
顔見知り―――ではないよね?
中学時代に月ヶ瀬を出てから、貴志はおそらく一度もあの家に戻っていない筈だ。一体どういうことなのだろう。
「いや、知らん。中学まで俺も神林先生の道場に通っていたというだけだ。」
車のエンジンを落としながら、貴志が事も無げにこたえた。
が、わたしは多大なる衝撃を受けた。
「なに⁉ 貴志、剣道できるの?」
わたしの喰らいつく勢いに少し引きながら、彼は首肯する。
「ああ、今でも続けている。日本の道場ほど厳格ではないが、剣道は球技と違って突き指する心配がないし、運動量もかなりあるからな。」
そうなのだ。
突き指をしてしまうとオケや室内楽のメンバーに迷惑をかけてしまうので、球技は授業以外ではできなかった。そんな伊佐子の学生時代を思い出す。
実はわたしも伊佐子時代に少しの間、剣道を習っていたことがある。稽古後は真冬でも汗だくになるのだが、あの汗は本当に清々しかった。
打ち込むときに大きな声をあげるので、ストレス解消にも繋がり、心身共にヤル気に満ちていた感覚がよみがえる。
そうかそうか。
貴志は現在進行形で剣道をしているのか。
知らなかった!
道着を羽織り、袴を穿き、素振りをする貴志の姿を想像する。
おお! これはなかなか良いではないか。
「わたしもちょっとだけ習ってた。まさか、ここに剣士がいたとは!?」
目を輝かせながら見上げると、彼はハンドルの上に両腕を置き、そこに身体を預けながら顔だけこちらに向ける。
そして、揶揄するような笑顔を見せて質問された。
が、何故か目は笑っていない。
「で? その翔平と結婚するって?」
わたしは興奮冷めやらぬ中、思い切り首を縦に振り、満面の笑みで答える。
言っておくが、この笑みは貴志の道着姿を想像して出てしまったもので、翔平との約束で生まれたものでは断じてない。
「そうそう! 指切りして約束していたことを今思い出したの。約束の順番は大事だね。変なこと質問してごめんね。昨日の言葉は、貴志もうっかり出ちゃったんだね。ちょっとガッカリだけど、まあ、そんなこともあるよね。」
何故か貴志は呆れ顔だ。
深い溜め息を吐いたあと「忘れていたが、お前はそういう奴だった」と零してから、車の外に出てしまった。
解せぬ。
今、こやつから貶められた気がする。
「雨も降っているし気温も低いから、楽器は車に積んでおくぞ。外からは見えないから盗難の心配はない。雨脚が弱いうちにトウモロコシだけ買って、すぐに車に戻ろう。」
ああ、そうだった。
昨日、祖母から、ラシードは「バイオリンを習い始めたばかりなので、一緒に弾いて遊んだらどうか」と提案されたため、帰路は楽器を持参しているのだった。
貴志も都内の星川系列のホテルに泊まることになっているので、チェロはヘリ輸送ではなく自分で持ち運んでいる。
楽器を目にした途端、今日これからのことを思い出す。
憂鬱な気分が再降臨だ。
わたしは溜め息をつきながら外に出て、傘をさしながらトボトボと歩き出した。
…
難なくトウモロコシを入手し、理香と加山には郵送手配完了。
車に乗ると、貴志が薄手のシャツでわたしの身体を覆ってくれた。
「寝ておけ。これから面倒事が待っているんだ。少しでも休んでおいた方がいい。」
気遣いに感謝し、お礼を伝える。
わたしが不安そうな表情をしているからか、頭をガシガシと撫でられる。
「今日は天候も荒れ模様だし、雷雨にもなるようだからな。雷の音に怯えて、眠れなくなる前に昼寝しろ。」
雷雨に怯える? 何故だ⁉
「いや、それはむしろ寝るのが勿体ないよね。」
「は?」
貴志は、意味がわからん、という顔をしている。
何故、わからんのだ!
「雷雨は大好物だ! あの血沸き肉躍るような興奮は素晴らしい。稲妻の輝きは、自然発光現象の美の極致! 遅れて伝わる、轟く雷鳴。あれが何秒で耳元まで届くのか数えるのも至福の時。ああ、駄目だ、そんなことになったら勿体なくて絶対に寝られなくなる。ああ、見たい! あのね、雷ってね―――」
雷豆知識を語りだそうとしたところ、貴志にホッペをブニュッと掴まれた。
「いいから、お前は、黙って、寝ろ!」
貴志の手が離れると、わたしは唇を突き出し、頬をぷうっと膨らませた。
語り足りない。激しく欲求不満だ。
恨めしそうな目を向けるわたしのことを、貴志は残念なものを見るかのようにチラッと一瞥する。
その後、こやつめは、まるでわたしを邪魔者扱いするように、手でシッシッと追い払いおった。
貴志め、このやるせない気持ちをどうしてくれようか。
そう思って見つめるが、彼は運転に集中してしまい、こちらのことなど気にしていない。
仕方なく目を閉じる。
眠りにつくまで、王子殿下と一緒に何を弾いて遊ぼうかと考えてみる。
嫌がってばかりもいられないので、建設的なことを考えている方が精神衛生上良い。前向きに進もう。
わたしは対王子向けに、月ヶ瀬家生還作戦を練る。
ここは、王子を全く立てることなく、
そうして、王子殿下の「嫌な女ブラックリスト」に全力で載って差し上げることにしよう。
そうすれば、彼との関係はここでジ・エンドだ。
よし! これだ!
もうこの手で乗り切ろう。
わたしは出来の悪い弟を
ああ、でもやりすぎてはいけない。
万が一、王族に対しての不敬罪や、無礼打ちになどにされたらたまったものではない。
一緒に遊ぶ前に、念のため、どのような力関係で遊ぶのか、確認もしておこう。
王子殿下として対応するのなら、慇懃無礼を目指し。
友人として対応するのなら、主導権を握ろう。
うじうじしているのは、わたしらしくない。
さあ、目標は決まった。
いざ、出陣!
―――いや、その前にお昼寝だ!
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