第81話 【番外編・真珠】ルーシーと咲子と『貴志クンを囲む会』 前編
紅子との寸劇及び、その後の愛人疑惑払拭説明で憔悴した貴志を見る。
相当疲れているようで、ちょっと心配になる。
ソファに沈む彼を眺めていたところ、わたしからの視線を感じとったのか、彼がこちらを向いた。
目が合った―――が、わたしはフィッと逸らしてしまった。
「種の保存」とか持ち出して、とんでもないことを考えていた自分を思い出し、目を合わせられない―――が、合わせたら合わせたで目が離せなくなるのだ。目もどうかしているのだと思う。
重症かもしれない。やはり脳外科に行こう。
わたしの脳は、一体全体どうなってしまったのだろう。
何かがおかしい。
わたしは、脳の病気なのだろうか。どうしよう。
本当に精密検査を受けなければ命の危険があるやもしれん。
ああ、そうだった。
病院で検査をしてもらう前に、誰かに相談したかったのだ。
頼みの綱の大人女子が二人いることに気づき、紅子と理香を見る。
紅子―――面白がって弄ばれそうだ。
理香―――おちょくられるかもしれん。
駄目だ。
わたしの周りにまともな大人女子がひとりもいない残念な現実が、たった今判明してしまった。
そうだ「ルーシーさんに相談しよう……」わたしは呟いて立ち上がる。
大人たちがわたしと晴夏の演奏について話しているのを横目に、ふらふらと玄関へと向かう。
ルーシーさんは―――彼女は、わたしが相談したとしても答えてはくれないだろう。だが、呟きを静かに聞いてはくれる筈だ。
あの全てを包み込むような眼差しで。
彼女に聞いてもらうべき問題と今後の対策のために、一刻も早くTO DOリストを作らなければならない。
彼女に会えるのは、来週だ。
早目にリストを纏めて、順を追って話を聞いてもらおう。そして、自分の考えも整理していこう。
今はとりあえずガゼヴォに行こう。あそこが一番落ち着く。
子供だけで行動するな―――そう言われたことも失念し、己の原因不明の病に意識を奪われていたわたしは、一人で部屋の外に出た。
大人たちは、演奏会についての意見を出し合っていたのだが、いつのまにか白熱した討論会に発展していたらしく、わたしがいなくなったことに誰も気づかなかったことを後で知った。
…
「あれ? 真珠は?」
寝室で譜読みをしていた穂高が扉を開けて発した第一声―――それが大人たちのミーティングをぶった切った。
晴夏の妹・
「そういえば晴夏くんは? 彼も一緒?」
穂高が不思議そうに聞く。
二人が揃って消えていることに気づいた大人たちが焦って腰を浮かす。
「ハルも、あとから外に出て行ったよ。」と涼葉。
「貴志、ルーシーって誰? 真珠はその人のところに行ったのかしら?」と理香。
「いや、まったく知らん。誰だ? 穂高、知っているか?」と貴志。
穂高も首を振る―――知らないようだ。
「とりあえず、貴志。お前の部屋を見て来い。そっちにいるかもしれんぞ。」と紅子。
「それでは僕は理香の部屋のまわりを確認して、またこちらに戻ります。」と加山。
「僕はガゼヴォを見てから『星川』に行ってきます。」と穂高。
「わたしは二人が戻ってきた時のために、スズとここに残るぞ。」と紅子。
「じゃあ、わたしはチャペルの後、本館に行ってくるわ。」と理香。
ひとまず何処にもいなかったら、いったん紅子の部屋に集合ということに決まり、全員がそれぞれの目的地に向けて走り出した。
…
わたしは、ガゼヴォでテーブルを前に腰かける。
貴志の部屋から持ち出したメモ用紙と筆記具を前に、さてどうするかと悩んでいたところ、背の高い女性がひとり、こちらに歩いてくるのに気がついた。
あ―――理香が言っていた、『守り隊』隊長の高荷咲子さんだ。
すっきりした日本風美人だ。
和服がとても似合いそうだなと思った。
手弱女のような風情に、戦国時代のお姫様のような髪型が非常によく似合う。
背もかなり高い。貴志よりは低いが、女性としてはファッションモデルなみの背の高さだ。
「あら? 貴志さんのお姫さま―――たしか……真珠さん、でしたよね? おひとりでどうされましたか。」
わたしに気づいた彼女は、とても落ち着いたトーンの声で話しかけてくれた。
先ほども俄かファンから守ってくれ、優しい笑顔を向けてくれたのだ。
思わずポッと頬が紅潮してしまう。大変魅力的な女性だ。
「あの……、先ほどは助けていただいてありがとうございました。」
わたしは、貴志の俄かファンとの遭遇時に、トラブルに発展することなく助けていただいたお礼を伝えた。
高荷さんは「あら、礼儀ただしくていらっしゃる。さすがですわ」と言って口元に手を当てて、おほほとお上品に笑った。
所作が美しい。手先足先のすべての動きに余念がなく、まるでそこが舞台であるかのような洗練された物腰しだ。
なぜ貴志の周りには、こうも人目を惹く人間が多いのだろうか。
やはり類は友を呼ぶ―――ということなのだろうか。
「真珠さん、よろしければご一緒しませんこと? これから『守り隊』のメンバーを集めて、わたくしの部屋でお茶会を開く予定ですの。失礼でなければ、抱き上げてお運びしてもよろしいかしら?」
高荷さんはそう言って、あの優しい瞳で笑いかける。
わたしは彼女の微笑に真っ赤になりながら、殊勝な声で「はい……、お姉さま」とお伝えする。
彼女はフワリとわたしを抱き上げ、本館までの道を戻って行った。
念の為、フロントから紅子の部屋の内線に連絡をしてもらったが通話中でつながらず、貴志と理香の部屋にもかけたが、まだ誰も部屋に戻っていないらしい。
フロントスタッフに、わたしが高荷さんの部屋に移動する旨を、紅子、貴志、理香、加山ンの誰かに伝えてほしいとお願いしたところ「また後程連絡をいれてみますね」ということだった。
高荷さんのお部屋は、わたしが滞在する『星川』のお隣『
部屋のつくりは『星川』と一緒で、こちらもかなり広い。
これから『守り隊』の方々がこちらのお部屋に集まり、お茶会が開かれるらしい。
たくさんのお姉さま方がいらっしゃるとのことで、そちらにお邪魔させていただくこととなった。
「貴志さん、今年は本当に別人のように良い笑顔をされて、メンバー全員で『あんなに素敵な笑顔を拝見することができて、とても良かった』というお話をしているんですよ。真珠さんが貴志さんのお隣にいる時に見せる彼の笑顔が本当に幸せそうで『眼福とはこのことを言うのね』なんて、女の子同士で話に花を咲かせているんです。すべて貴方のおかげ。真珠さん、本当にありがとうございます。」
茶器を取り出しながら、高荷さんはお上品に笑う。
高荷さんは貴志の中学校時代の同級生ということで、都内在住。
こちらに『葛城貴志』としてやってくる以前の『月ヶ瀬貴志』時代の友人ということだった。
貴志との出会いは、二人が中学校一年生の時―――彼が中学校近くの公園にて、捨てられていた一匹の子猫の世話を焼いてた放課後のこと。
雨の降る梅雨時の冷え込んだ日。
貴志が、捨てられた子猫を持ち帰ろうか、どうしようかと悩んでいる場面に遭遇し、その子猫を高荷さんが貰い受けたとのこと。
高荷さんはスマートフォンを取り出し、真っ白いオッドアイの猫の写真を見せてくれた。
ラブちゃんと命名されたフワフワで可愛い美猫だ。
数枚の写真を見せていただいた。
ラブちゃんと一緒に写っている素敵な男性は、咲さんのご兄弟だろうか。彼女と面差しがよく似ている。
それにしてもラブちゃんが可愛い。機会があったら、是非モフりたい―――そんな衝動に駆られる毛並みだ。
貴志が、捨て猫の世話を焼いていたとは―――昔から優しい奴なのだな、と心が温かくなった。
そうか、わたしの世話を焼くのは動物愛護の延長線上にあるのか、と妙に納得してしまう。
その後、貴志は転校してしまったのだが、夏場に家族と共に避暑にやって来たこの星川リゾートで偶然再会を果たし、そこから年に一、二度ではあるが、時候の挨拶などの連絡を送りあう仲であったらしい。
それって運命の再会ってやつではないのだろうか?
高荷さんは、スーパーモデル級の日本美人さんだ。
もしかして彼女も、貴志の「過去の女」の一人なのでは?
ふと、そんな考えがよぎったが、なぜか嫌な気持ちはしなかった。
理香の時に感じたモヤモヤが胸の中で全く起きないのだ。それが不思議だった。
こちらに引っ越してきてからの貴志は、昔と違ってどこか昏い影が常に潜み、彼女はとても心配していたようだ。
毎年、長期休暇のたびに家族で星川リゾートに訪れ、遠目から彼を見守っている間に『貴志クンを見守り隊』なるグループが出来上がり、いつの間にかその隊長に担ぎ上げられてしまったと語ってくれた。
わたしは彼女の語りにコクコクと相槌を打った。
そうだ。彼女はわたしが知る、唯一まともな大人女子に位置する女性なのかもしれない。
わたしのこの混乱を相談する相手になるのか否か、様子を見てみようと思った。
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