第60話 【真珠】『クラシックの夕べ』@石のチャペル『天球館』
昼寝から覚めた時、スズリンはまだスヤスヤと気持ちよさそうに眠っていた。
晴夏がベッドにいないことに気づき周りを見まわす。
彼はいつのまにかソファに移動し、そこで座りながら寝ていたようだ。
途中で起きたのだろうか。
ちゃんと眠れたのだろうか。
そう思いながらムクリと身体を起こし、彼の隣に移動した。
昼寝前に色々とトラブルがあったので、わたしもまだ少し眠い。
時間を見ると起きるには少し早い時間だった。
フロントスタッフにお願いしたコンサート鑑賞用の服と花束が紅子の部屋に届いたら、貴志か紅子が起こしに来てくれる約束になっている。
貴志にスカーフかタイを借りなくてはいけないな。
何色があるのだろうか――そんなことを考えていたら、わたしも晴夏と一緒にソファの上で、いつの間にか眠ってしまったようだ。
どの位の時間が経ったのだろうか、貴志と紅子の声に起こされた時、わたしは完全に晴夏に身を寄せて熟睡していた。
寝ている時によだれを垂らしていなかっただろうか。
心配になって粗相をしていないか確認しようとしたところ、何故かわたしは彼と手を繋いでいることに気づく。
寝ている間に、無意識に晴夏と手を繋いでしまったのかもしれない。
どうしよう。
自分が怖い。
自分の知らない無意識下で、何か大変なことをやらかしていないだろうか。
「お前たち、仲良しだな。仲良きことは美しき哉!」
紅子がそう言って囃し立てる。
やめれ。
わたしはいい。
だが、気づかないうちに手を握られていた晴夏にとっては、巻き込まれた感しかないだろう。
わたしの手が勝手をしてしまい、大変申し訳なかった。
貴志からは、グレーの光沢のあるスカーフを貸してもらった。
彼が今日着るジャケットの胸ポケットから覗かせる予定のスカーフだったようで、ジレの共布になる。
使わなくていいのかと確認したのだが、チェロを演奏時に左胸に何か入っていると邪魔になるため、今回は使用しないことにしたと教えてくれた。
光沢のあるグレーのスカーフ――お兄さまのベストと貴志のジレとお揃いのカラーで嬉しい。
もともとグレーの差し色が欲しいと思っていたので大満足だ。
しかも、そのスカーフの結び目につけてワンポイントにするため、サプライズギフトを貴志からいただいてしまったのだ。
可愛くてシックなクリッカーにもなる小ぶりのブローチ。
中心部に綺麗な黒蝶真珠の花珠が嵌められ、そのまわりを五片の白蝶貝で囲んだ、花をかたどった物だ。
本館内にある宝石店から貴志が急遽取り寄せてくれたらしく、それをプレゼントしてもらったのだ。
ブラックリップに白蝶貝なんて、そんな高価なものをいただいてしまい恐縮だが、大変気に入ったので有り難く使わせていただくことにした。革紐のチョーカーにつけてもきっと可愛いだろう。
おいくら万円するのか気になったが、紛失しないように注意しなければ。
さすが『紅葉』オーナー。
こんな子供にそんなプレゼントとは、かなり太っ腹だ。
子供4人が着替え終わると、なかなか華やかだった。
色も統一されていて、まるで4人兄妹のようだ。
穂高兄さま及び晴夏とスズリンの可愛さに、撃沈する人々で溢れかえることだろう。
その光景を想像する。
うむ、かなり楽しみである。
貴志と紅子も着替えた。
ふおおおぉぉぉぉーーーーーっ
紅子、すごい。
ワインレッドのドレス膝上20cmからはじまるスリットが絶妙で、本当に色っぽい。
ドレス生地の滑らかさに身体のラインが現れ、得も言われぬ美しさを醸し出している。
ワールドワイドなピアニストのユジャ=ワンのようなセクシーな演奏になるのだろうか。非常に楽しみだ。
紅子を見ているだけでドキドキしてしまう。
これで演奏となったら、もう滲み出る色気で倒れる人も出ることだろう。
お年を召されたおじいちゃまが無事コンサートを鑑賞できるのか、ちょっと心配になる。
貴志、お前も凄いぞ。
男の着るスーツの威力は恐ろしい。
織りの良い黒のスーツは上品な艶があり、ジャケットのボタンは留めず、光沢のあるグレーのジレが気品を覗かせる。
ワインレッドのシルク地のネクタイも、彼の色気に華やかさを添えていて素晴らしい。
しかも、今日は髪を後ろに流して無造作にセットしているので、彼の魅力が怖いくらいに際立っている。
もう、言葉はいらない。
とにかく唯々格好いいのだ。
「おお! 真珠、我々に花束を準備してくれたのか! それはスバラシイ!」
紅子が嬉しそうに抱きついてきた。
「うん。穂高兄さまが紅子に渡すね。わたしは貴志に渡すから、二人とも受け取ってね」
そう言うと、紅子に頭を撫でられた。
「真珠、貴志の演奏を気に入ったら、花束を渡すときにほっぺにキッスをプレゼントしてやれ」
「へ?」
「え?」
「…………」
わたしと穂高兄さまがビックリして同時に声をあげ、晴夏も何か物言いたげな顔をしている。
「なんだお前たち。不服なのか? 最終日はお前たちも演奏があるだろう。その時にしてもらえるかもしれんぞ。楽しみではないか!」
紅子は、完全に楽しんでいるようだ。
声のウキウキ感が半端なく伝わってくる。
わたしの意思については完全無視か。
「真珠。紅の言うことは気にしなくていい。面白がっているだけだから。花束だけで十分だ。ありがとう」
貴志がそう言って、わたしの頬に手を当てる。
まあ、子供にチュッとされりよりは妙齢のお姉さま方にしてもらった方が嬉しいのではないかと思ったが『ちびっ子に懐かれる美青年の図』は、きっと周囲からは好意的に見られるだろうな、と考える。
ふーむ。
そうか、と熟考する。
そういえば、鬼押し出し園に連れて行ってもらったお礼をしていなかったな。
女除けの働きをまったくしとらんな、ということも重ねて思い出す。
まあ、伊佐子時代も演奏後には、共演者や指揮者とチークキッスとか普通にしてたっけな、と思い至り「仕方ない、ほっぺにブチュッとしてやるか」と思ったのだった。
貴志と紅子の演奏は、夕方の部のトリを飾ることになっている。
どんな演奏が聴けるのか、今から非常に楽しみだ。
演奏会の後は立食パーティーも準備されている。
きっとその会場では、貴志も紅子も周りからモテモテになるのだろう。
その姿を子供達一同、美味しいものを食べながら見守ろう。
…
石のチャペル『天球館』へと移動する。
音響に気を使った造りになっているので、どの席に座っても音の広がりを楽しめるとのこと。
わたしたちは貴志と紅子が良く見える位置に席を取る。
スズリンが長丁場の演奏会にたえられるのか心配になったが、彼女は音楽が流れている間は何時間でも鑑賞を楽しめると聞き、そこはホッとした。
やはり音楽一家の血筋なのだな。羨ましい。
天井を見ると、天球儀が模されている。
星座が天井いっぱいに描き込まれていて、ステンドグラスも太陽系の惑星を象った壮大なもので、非常に美しい。
周囲を見まわすと客席は、ほぼ満席状態。
周りの視線が、お兄さまたち子供三人に注がれているのが非常に良くわかる。
穂高兄さまは可愛いだけの王子さまではなくなり、その横顔に少年らしい凛々しさを感じさせ、幼女からおばあちゃままで、全ての女性からの熱い視線が集中している。
晴夏は、氷の彫像のような高潔な美しさを滲ませ、時々スズリンとわたしに見せる柔らかい表情とのギャップで周りの老若男女の心を離してやまないようだ。
スズリンは、本当に陽だまりの花の妖精そのもので、可愛くて可愛くてぎゅむーッと抱きしめたくなるのだ。
これは危険だ。
変な人に誘拐されないように私がしっかり守ってあげなければ。
わたしはそんな三人の、眩しい輝きを影で支える縁の下の力持ちだ。
及ばずながら、みんなの可愛さを存分に引き立ててみせよう。端役であっても、三人のお役に立てることがとても誇らしい。
紅子と貴志は、演奏者用の裏口から入場しているので、既にここにはいない。
彼らがこの三人と一緒に現れたら、大変なことになっていたのであろう。その状況を想像すると、ちょっと楽しかった。
今日の演目を見る。
本当にクラシック、ポップス、映画、更にはアニメにジャズにと多岐にわたった演目で、まったく飽きそうにない。
ワクワクが止まらない。
客席の後方を見ると、お祖母さまと千景おじさんご夫妻も着席していた。
わたしは三人に向かって手を振る。
最初におじさんが気づいてくれ、三人共手を振り返してくれた。
気づいてくれて嬉しい。
…
演奏会の時間は、あっという間に流れていく。
西園寺理香も伴奏で出演していた。
今日一緒にいた男性二人のバイオリンデュオのアカンパニストを引き受けていたようだ。
奏者のひとりの男性が、どこか懐かしさを覚えた気がした。
はっきりとは分からないが、伊佐子時代の仲間の誰かに似ているのだろうか。
このアンサンブルはかなり上手だった。
理香の演奏も技術は高く、何か光るものを感じさせる。
今日の貴志への確認は、おそらく音楽家としてのプライドだったのではないか――そうだといいなと思った。
途中で休憩時間を挟みながら、すべての音楽を楽しむ。
こんなに音に溢れた時間を過ごしたのは、どの位ぶりだろう。
やはり演奏会は、今まで知らなかった良曲に触れることもできるので、至福の時間だ。
…
いよいよ、トリが始まる。
貴志と紅子の共演だ。
わたしは、彼らの演奏への期待で既に高揚している。
奏者の紹介がされる。
柊紅子が伴奏者としてアナウンスされると、会場内をざわめきが駆け抜けた。
やはり彼女の知名度は高い。
スマートホンの動画録画を開始する人も続出だ。
貴志がチェロと共に舞台に上がると、会場が更に騒然となる。
極上の美青年だ。
スラリと伸びた手足。
気品のある立ち居振る舞い。
そのすべてが観客を虜にしていく。
貴志に次いで紅子が舞台に上がる。
衣装に映える、メリハリのある肢体が美しい。
あまりの艶やかさに、客席がホゥと感嘆の溜め息をつくのが聞こえる。
瞬時にすべてを魅了していく存在感は流石だ。
二人共、人を惹きつけてやまない天性の魅力の持ち主なのだなと、改めて実感することとなった。
貴志が舞台上の椅子に座り、チェロのエンドピンの高さを調整する。
次に、紅子が貴志の調弦のためにAを鳴らす。
チューニングが完了し、演奏開始までの少し張り詰めた時間が流れる。
客席は皆心待ちにしている――彼らの奏でる音楽を、この耳で、目で、感じる時間が訪れることを。
さあ! 演奏の時間だ。
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