第41話 【幕間・真珠】手塚さんと三人娘


「体調はどうだ? まだ少し熱はあるようだか、顔色は……だいぶいいな」


 横になるわたしの上から、貴志が窺うように声をかけてきた。


「いま、何時かな……?」

「夕方六時半を回ったところだ」


 わたしはモゾモゾと布団から出た。


 身体の気だるさが抜けて、かなり楽になっている。



「多分、もう大丈夫。起きられる。『紅葉』の中も折角だから見てみたいし。お土産も買いたいかな。貴志は、もう用事は終わったの?」


「ああ、終わった」


 よく見ると貴志も風呂上りなのか浴衣姿だ。


 羽織を肩にかけて、部屋の外に出る準備でもしていたようだ。



「元気そうだな。夕飯も部屋で食べるより食事専門のブースで食べるほうが気分転換になるかと思って、そっちに準備させている。ロビーのある一階から食事処に移動できるんだ……行けるか?」


 わたしはコクリと頷いて、立ち上がる。


「7時に配膳手配してあるから、それまで土産物コーナーを見ても良いし、館内を軽く歩くこともできる」


 貴志はそう言いながら部屋のカードキーをつかみ、玄関扉を開ける。


「とりあえず食事処を見て、それから決めたいな」


 わたしも羽織を着こみ、畳の敷かれた廊下へと移動してエレベーターホールまでの距離を歩く。


 エレベーターでロビーに到着すると、昼間とはまた別のフロント係の人が受付に待機していた。



 食事処まで、館内の通路をのんびり歩きながら移動していたら、食事の予約時間の十五分前になっていた。


 案内係のお兄さんが「もうお席の準備はできております」とのことだったので、早めに着席することにする。


 早めの時間で夕食の予約していた人たちなのか、食事を終えて席を立って行く数組を横目に、わたし達は案内係の後をついていく。



 黒い木枠に白い障子の張られた仕切りに囲まれ、プライバシーにも配慮された食事スペースが何部屋もあった。


 わたし達は案内されたブースの席に腰かける。



 配膳担当のお兄さん・手塚実さんが、飲み物の確認に来てくれた。


 今日のオススメはライチの果実酒だと手塚さんが案内していたので、貴志はそれを選んでいた。



 貴志が食前酒を頼むのを見て、わたしもつい――



「わたしは、梅酒を……」


 普通にシレッと伝えてしまった。



 直後に貴志から軽目の 手刀チョップ をくらい「梅ジュースの間違いです。えへへ」と言い直し、手塚さんに愛想笑いを送った。



 手塚さんは笑顔を見せると「畏まりました」と言ってブースから出て行った。



 食前酒とジュースを待っている間に、聞き慣れた女性の声がブースの前を通過した。



「めっちゃ美味しかったね〜!」

「スイーツ盛り合わせの特別サービス、凄かったー!」

「後で忘れずに葛城さんにお礼言わなくちゃだよ」

「エステ無料券とか、もう神だわ」

「酒まんじゅうに、可愛い記念の髪留めも頂いちゃったし」

「一生分の幸運を使い果たしてそうで怖い〜! でも嬉しい〜!」

「「「姫と黒騎士に乾杯! だね〜!」」」


 女子三人で非常に楽しそうだ。



「お姉さま!」


 わたしはブースから顔を出し、三人に声をかける。


「あれ? 真珠ちゃん? これから夕食なの?」


 わたしは三人を手招きで呼び寄せる。


「もう体調はいいのかな〜? 顔色も良いね!」

「良かった、良かった!」

「あ……っ 葛城さん、色々とお気遣いいただいて、本当にありがとうございます!」

「三人で忘れられない旅行になるねって話していたところなんですよ」


 興奮しながら嬉々として語る三人娘に、貴志も笑顔で答える。


「喜んでいただけたようで良かった。手配は総支配人とフロントマネージャーに頼んだことなので、彼らにもその言葉、伝えておきます」


 三人娘は、もう真っ赤だ。



 ルリちゃんが「ノワールさま」と呟き、


 ミチルちゃんが「色気が……っ」


 と、小声で悶ている。



 ああ、なるほど。


 貴志の浴衣姿は、確かに破壊力がある。


 穂高兄さまも、あの浴衣姿は要注意だと言っていたのを思い出した。そして、あまり近寄るなとも言っていた。



 わたしはだいぶ耐性がついているのだろう。


 申し訳ないが、全く問題ない。



 そうこうしていると手塚さんが、食前酒と梅ジュースを配膳に来てくれ、ブースの外で会話の邪魔をしないように待機していた。


 貴志がそれに気づき、フロントロビーでの無料カキ氷の配付サービスをしている旨を三人娘に伝える。


「ロビーで夜九時までですが、天然氷使用の『紅葉』特製シロップ掛けのカキ氷を配っているので、良かったら召し上がってください」


「「「あ……ありがとうございます!」」」


「じ……じゃあ、真珠ちゃん、またね!」

「か……葛城さんも……本当にありがとうございます」

「あはははは……、お邪魔しました。おやすみなさーい」



 三人娘は嵐のように去って行った。


 貴志のこの姿は、若い娘さんにはかなりきついとみた。


 いや、わたしもかなり若い娘さんの筈なんだけどな、とは思ったが、そこはあまり考えないようにした。




 わたしたちのテーブル担当の手塚さんは配膳中に巧みな話術でも楽しませてくれた。


 彼もなかなかのイケメンくんだ。


 どうやら貴志とも旧知の仲らしい――が、やはりさすが老舗旅館の従業員。

 人の目がある時には言動も弁えるようで、スタッフ教育がしっかりされているなと、星川リゾートの水準の高さを伺わせた。


 貴志と一緒にいると否が応でも浴びる視線だが、従業員からのものは一切ない。さすがだ!




 夕食をたらふく食べて、もうお腹がはち切れそうなのに、わたしはやはりと言うか、案の定と言うか、天然氷自家製シロップ掛けのカキ氷も食べた。


 でも、何故か貴志と半分こだった。



 1個まるまる食べたかったが「まだ食うのか。腹壊すぞ」とゲンナリとした声で言われ、泣く泣く断念した。



 『紅葉』特製シロップ苺味。果肉たっぷりで、かなり美味であった。




 満腹過ぎて苦しかったので、その後館内を冒険するように歩き、貴志には腹ごなしの散歩を付き合ってもらった。



 その散歩中に、貴志がこちらを見ては目をこすり、首を傾げている様子が気になって仕方がなかった。


 ──果実酒一杯ごときで酔ったわけではあるまい?


 いや、でも、もしかしたら今日一日の疲れが出ているのかもしれないと、彼の手を引き早々に部屋へと引き上げた。




 部屋に戻ったのは夜十時近く。


 今日はよく歩き、よく寝、よく食べ、熱も今はもう下がっていると思われる。


 おそるべし知恵熱だったが、もう大丈夫だ。

 良かった。


          …



「………………」


 食事を終えて部屋に戻ると布団が綺麗に2組、ピッタリ隙間なく、仲良しこよしで並んでいた。


 何かあるわけではないが、なんとなく気まずい。



 20畳以上あるのだから、もう少し離して布団を敷いてくれてもいいのではないか、とも正直思った。


 とりあえず見なかったことにして、無言で障子を締める。



 二間続きの部屋。

 和室には布団が敷かれ、もう一部屋は洋室になっている。居間として使用できるよう、テーブルを挟むようにソファが設置されていた。



 洗面所から貴志の声が届く。


 「すぐに歯を磨けよ」と言っているようだ。

 お前はお母さんか。



「母さんから、仕上げ磨きをしろと言われているんだが……」


 彼の手には子供用歯ブラシと歯間フロス。


「いやいやいやいやいや! できますから。ひとりで大丈夫ですから」


 貴志の手からそれらを奪い、慌てて洗面所に向かう。

 洗面所の扉を開けると、そこは――


 なんだ! この豪華な洗面所は⁉

 しかも、綺麗な風呂敷が畳んで置いてあるではないか!

 何なに? この風呂敷、貰ってもよいのか?

 おお! 素晴らしい!


 ひとまず布団のことは忘れて、アメニティに夢中のわたしだ。


 ハッと我に返り、こんなことにかまけている場合じゃないことを思い出し、歯をみがき、歯間フロスもかけ、風呂敷もしっかり手に入れる。


 口をすすいで、自分の心を落ち着ける。


 これから、貴志に話さねばならないのだ。


 ――自分の前世のことを。




 ある程度は話してある。幽霊としてだけれど。


 でも、まだ全てを話している訳ではない。


 気を引き締めて、二間続きの居間へと戻る。



 貴志は、こちらに背を向けてソファに腰掛け、設置された冷蔵庫の中から取り出したミネラルウォーターを飲んでいるようだ。



 なんとなくお酒を好んで飲んでいるようなイメージがあったのだが、今日は食前酒で出された『紅葉』おすすめの果実酒しか口にしていなかった。



 そうか、わたしの話を聞くために、お酒を飲まないようにしていたのか――そのことに今更ながら気づく。



 布団の敷かれている和室は、障子で仕切られたままだ。


 わたしが入って来たことに気づいた貴志が、気怠げな動作で振り返り、ゆっくり手招きする。


 彼の隣には、わたしの為に準備されたのだろうか、小さなコップとスパークリングウォーターが置いてあった。


 わたしは、よしっと気合を入れて、貴志の近くへ歩み寄った。





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