第33話 【幕間・真珠】貴志とドライブ 2


 貴志は元々、長野県松本市近郊の星川リゾート系列の老舗旅館に顔を出してから、日光へ里帰りをする予定でいたらしい。


 わたしがポツリと呟いた地名を聞いて、そこに寄り道することも可能だと気づき、声をかけてくれたようだ。ありがたい。


 さすが最年長攻略対象者、気配りが素晴らしい。


 ただ、系列旅館に顔を出すということは、いわば仕事のようなものだなと感じ「寄り道をさせるのは申し訳ない」と一旦は断った。


 ただ、彼があまり早く中禅寺湖に戻りたくないような雰囲気だったのを不思議に思い、理由を聞いてみたところ――原因は星川リゾートのホームページの季節のお知らせの欄にあった。


 星川リゾートでは、日本の大型連休のひとつであるお盆休みの期間中に、『クラシックの夕べ』という催しを開催している。


 今年は、貴志が帰省予定だったため、彼の名前も演奏者リストに組み込まれていたのだ。


 別に、そこは問題ない。

 お世話になっているので、役に立てることは嬉しい――のだが、貴志の名前を発見した常連客が空室をおさえて訪れることになり、そちらの対応もしなければならないらしい。


 何故、そんなに嫌がるのだろうか? と思ったのだが、若い女性客が多いようで、それはそれは大変なことになるらしい。


 貴志の姿形は、本当に目をひく。老若男女に関わらず虜にするその容姿は感嘆に値する。若い女性客が群がるのも分かるというものだ。


 その女性客らが四六時中側にいて落ち着く間もないらしい。時にはセクハラ紛いの対応を求められると聞けば、わたしだとて仏心も起きよう。これは謂わば人助け。

 わたしの呟いた我が儘をきいて貰っても良いのかもしれない。そう思い、わたしの願いも叶えてもらうことにしたのだ。


 わたしの願いと言うのは、前世の趣味のひとつ――御朱印集めだ。勿論、わたしはただのコレクターという上辺のマニアではない、参拝できたことを感謝し、その気持ちを記念に残すという崇高な行いを趣味のひとつにしているのだ。


 前世は一時帰国で神社仏閣を巡ったので、荷物をなるべく少なくしたかったこともあり、神社も仏閣も同じ御朱印帳を使っていた。


 ――が、神仏が同じ括りにあることを常にモヤモヤしてしまい、御朱印帳に直接記入してもらわず、和紙に書いてある物を購入し、自宅で帳面に貼り付けるという面倒な作業をしていた。


 小心者ゆえ、神社を詣でた御朱印の隣のページに、次に参拝したお寺の御朱印を書いてもらう勇気がなかったとも言える。


 神と仏は、根本的には同じ位置にいるのかもしれないが、やはりどうあっても別物だ。


 それに日光まで行くのだ、東照大権現・徳川家康公の祀られた日光東照宮も行きたいし、輪王寺も回りたい。


 御朱印帳もそこで購入しようと思っていたのだが、前世で目にしてずっと気になっていた「鬼押出おにおしだし園」にある浅間山観音堂の御朱印帳が欲しかったのだ。


 あの徳川家の葵の御紋入りの藍色の帳面が脳裏をチラチラと横切り、つい――


「はあ……鬼押出しに行きたい……」


 そう呟いたわたしの言葉を、貴志は拾ってくれたのだった。


 鬼押出しは、北軽井沢、浅間山の麓にある奇岩に覆われた場所一帯を指す。

 現在は、浅間山北嶺ジオパークになっていて、歩道も整備されているようなので、以前伊佐子時代に訪れた時よりも歩きやすいのではないかと思われる。


 この世の物とは思えない、溶岩から作られた一面の奇岩に覆われた景観の中、トレッキングするのもきっと楽しいに違いない。


 貴志の「ついでに寄ってやる」という好意を一度は断ったものの、お気に入りの御朱印帳を手に入れられるこんなチャンスは滅多にないので、やはりその提案に便乗したのだ。


 貴志にとっても利害の一致することだったので、お互いWin-Winだ。


 勿論、穂高兄さまも是非にとお誘いした。


 お兄さまは、ちょっと行きたそうな表情も見せたが、毎年『クラシックの夕べ』に参加してくれる高名なピアニストの先生から日光滞在中に指導を受けているらしく、とても貴重な時間なので、今回はそちらに専念したいとのことだった。


 敢え無く、わたしたち二人は穂高兄さまから袖にされたのである。


 お兄さまが鬼押出しの景色を見て、驚く姿をこの目に焼き付けたい! と思っていたので、非常に残念だ。


 日光滞在中の予定を知らなかったとはいえ、お兄さまから断られるとは思わなかったわたしは、表情には出さなかったが実はかなりショックだった。


 そうか、お兄さまはいないのか。


 貴志の側を絶対に離れないようにしないと――浅草迷子パート2は避けねばならぬ。


 ここ鬼押し出し園も前世に訪れているので、ちょっとだけ心の嵐を心配したのだ――もがいて迷走した浅草の二の舞になることを恐れて。


 けれど、早乙女教授の所から戻ってからは、前世に対する嵐渦巻く思いは鳴りを潜めている。



 穂高兄さまと貴志が側にいると落ち着いていられるようだ。不思議だ。



 話を戻そう。最愛のお兄さまには寄り道の同行を断られてしまった。


 そして貴志は穂高兄さまのことを、割と切実に連れて行きたかった模様。



 聞けば、どうやら幼女連れで不審者扱いをされるのを避けたかったとのことだが――そうか、貴志よ、すまん。ちょっとウケた。



 でも大丈夫だ。

 君の容姿と魅力に霞んで、わたしなど誰も目に入らない。


 そこは全く心配しなくて良いと思う。

 きっとわたしが傍にいることさえ、誰も気づくまい。



 しかも今回、穂高兄さまからは貴志と行動中は「貴志兄さま」と呼ぶように、と指導を受けている。年の離れた兄妹ということにして常に貴志の側から離れないように、と注意を受けた。


 穂高兄さまには、車から降りたら、貴志と手を繋ぐか、抱っこ移動を推奨されたが、わたしがお断り申し上げた。


 貴志との身長差もあるので、手繋ぎは貴志に負担がかかる。


 更に抱っこなどされたら、参拝に自力でいけないではないか。


 参詣する時は自分の足で、これ基本だ。


 でも、そこまで考えてくれる穂高兄さま、やっぱり素敵です。



 普段「貴志」呼びしているので「兄さま」とつけるのは何となくむず痒い。

 でも、わたしもここはひとつ女優になって、可憐な妹演技に精を出そうと思う。



 そして、貴志とわたしは一路浅間山麓へ向かうため、車で移動。早朝に都内を出発し、やっとジオパークの駐車場に到着後、頭をぶつけて目が覚めたというわけだ。



 わたしは眠りこけて妖精姉妹とイチャラブする幸せな夢を見ていたが、ドライバーの貴志は約3時間の運転をしてくれたのだ。大変だったのではないかと、感謝の気持ちもキチンと伝えた。


 周りを見まわすと、駐車場もそれほど混んでいない。


 開園間近の朝8時前だ。

 まだ人足も疎らなのだろう。


 空いている時間にこの雄大な景色も満喫できそうだ。



 快晴だったら間近に浅間山も見えていたのだろうが、今日の空模様は生憎の曇天。小雨も時々降っている。


 見晴らしの良い眺望はのぞめないが、この奇岩群の中を歩くにはもってこい――ちょっとおどろおどろしい空模様。この風景との相性はぴったりではないだろうか。


 夏も盛りだったので暑さを覚悟していたが、予想に反して肌寒い。

 出掛けに誠一パパから渡された大量のお着替えセットを有り難く使わせてもらうことにした。


 どうやら貴志に「真珠の写真を送ってくれ、頼む!」とお願いして、できたら衣装も替えられるのなら是非替えて欲しい、と衣装セットを車のトランクに入れられたようだ。



 うちの父が迷惑をかけて本当にすまぬ。心底そう思った。



 ジャケットを取り出すと、その下には服だけでなく、何故か靴に下着、靴下まで複数入っている。


 中身は美沙子ママが準備をしてくれたのだと思われる。


「………………」



 あの二人の脳内で、今日のわたしは何度もお漏らしをする予定になっていることが判明だ。



 そんな心配が垣間見えるバッグの中身に、わたしは暫し愕然とした。



 真珠にとっては初めての長距離ドライブだが、そこは前世の経験がある。



 お漏らしなど、天地神明にかけてもしない。

 しかも貴志の前でなど、絶対に御免である。



 到着早々、念のため第一駐車場近くの地下のお手洗いに向かうことにした。




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