第24話 【葛城貴志】真夜中の確認


 伊佐子――いや、真珠がやってきた。


 今日の彼女はどこか幼い印象のほうが強く、先日とは違う雰囲気を纏っていた。


 家族といるからなのだろうか。

 年相応にみせるよう、無意識下で演技をしているような印象だ。


 俺は、本当に伊佐子なのか判別がつかずにいると、彼女は目を閉じて深い溜め息をひとつ吐いた――すると、途端にその雰囲気は大人の女のそれに変わる。



 目の前に、浅草寺で俺を翻弄し――俺へ救いの手を差し伸べてくれたあの女性が現れた。



 昨夜、居酒屋の席で、利根川教授が――彼の細君が語ったという「真珠の為人ひととなり」について教えてくれた――



 真珠は急な変化に対応するのが苦手で、くだんのコンクールも「間違えたらまた持ち直す為のトレーニング」のための参加だったようだ。


 バイオリンに対して熱中している様子はなく、何か気になることがあるとそちらに気を取られる、子供特有の飽きっぽさがあるとのこと。


 けれど、今回のコンクールだけは、倒れるまで何がなんでもバイオリンを弾き続け、しかも、なにか一瞬息を呑んだように驚いた瞬間があったのだけれど、それさえも平常心で切り抜けた――普段の真珠ではあり得ない状態だったということが分かった。



 一流の音楽家の気概のようなものを感じた――早乙女教授も、そう語っていた。



 彼女の動じなさをどうやって確かめようか?

 驚かすのがよいのだろうか?

 でも、どうやって?


 そう考えながら、座布団代わりに寝具をすすめたが、彼女は何かを警戒しているようで、なかなかこちらに近づいてこない。


 野良ネコを手懐けている気分になり、さてどうしたものかと悩んだところ改めて布団が目に入った。


 そこなら怪我もしないだろうと、悪戯心も生まれ、子供と格闘技に興じるように引き倒してみたのだが――なるほど、全く動じない。


 子供なら「遊んでもらっている」と感じて喜ぶことを予想していたのだが、彼女は突然起き上がると腰を抜かしそうになりながら布団から逃げようとしている。


 かなり驚かせてしまったらしい。


 申し訳なく思いながら、俺は彼女の横に座り直し、今度はその小さな左手を丹念に調べる――


 そう、指先の皮膚の硬さを確認するために。


 次いで腕を確認する。彼女の筋力を確かめるために。


 そして左の首筋を見る。


 目視では何もわからない。

 確認をとってから彼女の首筋に触れ、皮膚の変異を丹念に探す。


 ――けれど、何も見つからない。



 二人の教授の話によると、相当弾き込んでいないと「あの曲」は弾けない、ということだった。


 どんな曲かと気になり訊ねたところ、今まで一度も耳にしたことのない旋律、との回答だ。


 俺は、二人の話から三つのことを確認したかったのだ。



 左の指先――弦を押さえることで硬く、肉厚さを増す弦楽器奏者特有の特徴が、彼女の指先に認められるのか。



 腕――ある程度の筋力がないと技巧溢れる曲は弾けない。それに耐えうることができる肉質があるのか。



 左の首筋――そこに痣があるのか。バイオリンを顎と肩でおさえることによってできる皮膚の色素沈着だ。子供ならば痣ではなく、皮膚の硬化で所謂「はたけ」ができている可能性がある。



 それをひとつひとつ確認したのだが、どれも彼女の身体にその兆候は見当たらなかった。



 ひとしきり考えた込んだ後、彼女を見ると、顔を真っ赤にして何故か憤慨している様子に気づいた。



 そして思い至る。


 子供の外見に騙されていたが、彼女の中身は――成人女性だったことに。



 確認の手段を検討し、調べることに集中しすぎて、彼女の中身のことを完全に失念していた。


 自分が何をしていたのか今更ながらに思い出し――俺は自らの動きを止めた。


 そうか。だから、彼女は俺が座るようにすすめた布団の上に近寄ってこなかったのだ。その事実に遅ればせながら思い当たり、非常に気まずい。


 そして、俺がいくら中身が成人女性だろうと、子供相手にそんな無体な真似をする可能性があると思われていたことに――少なからず衝撃も受けた。



 その反面――俺に警戒をしていたというのに、睡魔に襲われた彼女は、「ここで寝る」と言い出したのだ。



 外見にそぐわない羞恥心と、それに反する無邪気さを内包する彼女に、完全に翻弄されている己の心を知ってか知らずか、彼女はウトウトと頭を揺らし始める。



 抱き上げて部屋に戻そうと思ったが、彼女の部屋が分からないことに気づく。



 仕方ない――真珠を和室に準備された寝具に横たえ、彼女の柔らかそうな額に唇を当てる。


 無意識だったが、ハタと気づき、ああ、これを彼女は警戒していたのかと得心した。



 さて、俺は居間のソファで眠ることにしよう。

 彼女をひとり和室に残し、俺はソファにその身を横たえた。


 明日は、早乙女教授の自宅兼スタジオに訪問することになっている。



 彼女も一緒に連れて行かなくてはいけない。



 ああ、そうだ。


 俺に対して変な警戒をしているので、念のため二人きりではなく穂高も誘って行こう。


 穂高は、見ているだけでよくわかるが、かなり重度のシスコンだ。真珠と出かけると言えば、きっと一緒についてくるだろう。




 あの腕は、彼女の手首は――このままではいけない。どうにかして、救い上げなければ――




 俺は、まだ酒気の残る息を吐いて寝返りを打った。




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