第9話 月ヶ瀬穂高 4(僕の眠り姫)


 真珠が倒れてから、3日が経った――――――

 それなのに、真珠はまだ目覚めない。


 お医者さまの話によると、原因は全くの不明。


 真珠に読んであげようと僕が持ってきた絵本のタイトルを見たお父さんが「眠り姫を起こすには……」と真剣な顔で何やら思案してブツブツ呟いている。

 それを耳にした美沙子さんにつねられていた。


          …


 一昨日おとといの朝、美沙子さんとお父さんは喧嘩をして、仲直りした。

 真珠が起きたら、家族として仲良くやり直そうと言われた。


 美沙子さんもお父さんも、お互いが大好き過ぎて、口をきかない喧嘩を五年以上続けていた、と言うことがわかった。


「僕には、そんな難しい高度な喧嘩はできそうもないです」


 木嶋さんにそう話したら、「大人には色々な事情がありますからね」と笑っていた。


 僕が将来木嶋さんと結婚したら、あんな難しい喧嘩をしないといけないのかな、と思って溜め息が出た。


 大人になるのは、大変だ。


 それから、僕は初めて美沙子さんに抱きしめてもらった。

 赤ちゃんの頃は、毎日抱っこしたり笑いかけてもらっていたらしい。


 そう言われると、そんな気がしないでもない。


 なんとなく懐かしい匂いを感じて、心臓の辺りが何故かじんわりと温かくなった。


 家族の関係は、これから良くなって行くみたいだ。



 だけど、それを一緒に喜びたい真珠はまだ眠ったままだ。



 さすがに2日目になっても目を覚まさない真珠に、家族は焦りを覚えていった。



 そして3日目の正午過ぎ、昏睡状態がこのまま続くと生命維持が難しくなり、意識が戻っても予期しない障害が残る可能性があるとお医者さまから伝えられた。


 お父さんはショックのあまり言葉を失い、美沙子さんは声を圧し殺して泣き、真珠の小さな手を握った。


「まだ一度も母親らしいことをしてあげていないのに……」


 そう呟く美沙子さんの頬を涙が伝った。


 美沙子さんの涙を初めて見た僕は、とても不安な気持ちになった。



 僕が、あの時、ちゃんと真珠の話を聞いてあげて、無理矢理コンクールに出さなかったら、こんなことにはならなかったのかもしれない。



 そう思うと、情けなくて、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。お兄ちゃん失格だ。


 真珠は、怖い夢を見ているのだろうか、ずっと涙を流している。


 泣きすぎて瞼が赤く腫れてしまっていたから、時々ハンカチを濡らして冷やしていたけれど、あまり効果はなかった。


 僕も、真珠の手をとって、いっぱい泣いた。


「ごめんなさい。ごめんね、ごめんね……。真珠。真珠……っ」


 僕の涙が、真珠の顔にたくさん落ちた。


 すると突然、真珠の声が聞こえた。


「……お、にぃ…ちゃま……お顔……べちょべちょ……なんだか変よ……?」


 ――――――と。


 その後、直ぐにお医者さまが駆けつけてくれた。


 まだ退院はできないけれど、もう大丈夫だろう、一安心だねと美沙子さんとお父さんも喜んでいた。


 真珠は元気だった。

 出された食事も綺麗に平らげた。


 いつもと違う美沙子さんとお父さんの様子を、変だなと思って見ていたようだから、僕は人差し指を唇の前に立てて、声に出さずに「しーーーっ、あとでね」と伝えた。


 真珠はコクリと素直に頷いてくれた。伝わって良かった。


 その後、お父さんが真珠を驚かせたりして、真珠の体調が悪化した。

 僕は、また泣きそうになった。


 真珠が、今度こそ何処か遠くに行ってしまう! と怖くなった。


 真珠の背中を擦った。

 何処にも行かないようにと、真珠のことを頭から抱きしめた。


 美沙子さんとお父さんもお医者さまを呼んだり、慌ててつまずいたりと病室内は騒がしくなった。


 すると真珠が僕の腕からスルリと抜けて、僕の身体に抱きついてきた。僕を安心させようとしているのか、小さい身体で必死に背中をポンポンとたたいてくれた。


「お兄ちゃま、大丈夫よ。ちょっとビックリしちゃっただけだから。真珠は何処にもいかないよ? お兄ちゃまの側にずっといるからね?」


 僕はビックリして真珠の頭を見下ろした。

 そんな僕を見上げた真珠はニコニコと微笑んだ。


 ああ、ニコニコと笑う人の姿はやっぱり綺麗だなと思った。

 なんて優しい笑顔なんだろう、と見惚れている自分に気づいた。


 眠り姫を起こすのは、できるなら僕がいいなと思った。

 その時、真珠の柔らかい髪が僕の唇に触れて、我に返った。


 ―――ビックリした!


 僕は今、何を考えていたの?


 ―――真珠の髪が触れた唇に、手の甲を付けた。


 なんだろう緊張して、身体がうまく動かない。


 真珠は、不思議そうな顔をして、コテリと首を傾げた。


 その仕草が、可愛くて、なんだかドキドキして、咄嗟に目を逸らしてしまった。


 この気持ちは何だろう?


 初めて感じる、何かが湧き上がるような、このフワフワする気持ちは。


 何故か、『僕はお兄ちゃんなんだから、しっかりしなくちゃ!』と、強く思わないといけない気がした。


「僕は、お兄ちゃん。僕はお兄ちゃん……。お兄ちゃんなんだからっ」


 僕は自分に言い聞かせるように、何度も何度も呟いた。


 そうだ。木嶋さんに「結婚の話はなかったことにしてほしい」と謝らないといけない。


 何故だろう?

 分からないけど、そうしなくては誠実でない気がした。


 木嶋さんには、誠心誠意、真剣に謝ろうと思った。


 お祖父さまが、時々お祖母さまに手をついて謝っている、あの「男の潔さ」を僕も示さないといけない。あの流れるような仕草をお手本にして、手をついて頑張って許してもらおう。


 木嶋さんは、許してくれるだろうか?


 約束を破った僕に、また、あの温かい笑顔を向けてくれるだろうか?


 そう思って、僕はハッとした。

 自分の願いに気づいてしまったのだ。


 そう、僕は、ニコニコと優しく笑う―――綺麗な笑顔を「与えてくれる人」に「幸せにしてもらいたかった」んだ。


 でも、真珠の笑顔を見て、それでは駄目なんだと気づくことができた。




 僕は、誰かに幸せにしてもらうのではなく、本当は誰かを「幸せにしてあげられる人間」になりたかったんだ―――と。




 そして、できるならば、叶うならば―――僕が幸せを与える相手は、真珠だったらいいな―――と心の中で思った。












【後書き】


読んでいただき、ありがとうございます!

気に入っていただけましたらブクマ、★や♡で反応していただけると、大変嬉しくおもいます。


ありがとうございます(*´ω`*)

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