第5話 月ヶ瀬真珠と家族 2


 思わず大きな溜め息をつくと、気遣わしげな家族の視線が秒で集まる。


「しぃちゃん! 大丈夫か?」


 父が顔を覗き込み、その手でわたしの顔を包み、額をコツンと寄せてきた。


 顔面偏差値パーフェクトの壮年男性のドアップに、恋愛偏差値落第点の伊佐子としての自分が前面に出てしまい、ヒイッと息を呑む。


「ぃ、やぁーーーーっ!!!」


 驚きのあまり、父親に対して激しい拒絶反応を示してしまったのだ。


 その態度に父・誠一は傷ついた表情をする。


「しぃちゃん⁉ どうしたの? パパだよ?」


 そうだった。完全に父親のことを忘れていたが、父・誠一は、真珠を溺愛していたのだった。


 言うなれば、娘の希望は何でも叶えようとする、甘やかしの権化。


 母親から見向きもされず寂しさを募らせる真珠に対して、親としての罪悪感から何でも与え続け、結果、真珠を我儘で自分勝手な女王様へと育ててしまうのだ――と、穂高ルートで彼本人が『主人公』に語る場面があった。



 実は、この父親が悪役令嬢を育てることに一役買った「元凶」でもある。


 親として一番やってはいけない子育て方法を、選択し続けてしまったのだ。


 仕事は有能、顔 秀麗しゅうれい、が「父親力」は壊滅的だったという訳だ。




 娘の拒絶反応にショックを受けた父は、ガックリと肩をおとし項垂れている。


「ご、ごめんなしゃ……ぃ。ビックリしちゃったの。おとうしゃ……パパ、大丈夫?」


 とりあえず、すかさず謝っておく。


 そして、つい「お父さま」と言いそうになったところ、更に悲哀にみちた相好になる父に、途中で「パパ」と言い換える気遣いも忘れない。


 何故「パパ」呼びを推奨なのだろう。永遠の謎だ。




 驚きのあまり、口から心臓が飛び出しそうになったじゃないか。


 バクバクと激しい主張をする己の胸に手を当て、早く鎮まれとさすってみる。



「お父さん。まだ真珠も本調子じゃないから、落ち着いてください」



 天の助け、穂高少年が気遣いを見せる。



 お姫さまのピンチに颯爽と現れる王子さま――いや、ヒーローだ!


「大丈夫? 真珠?」


 心配そうに穂高少年が至近距離で真珠の顔を覗き込み、ポンポンと頭を撫でる。


 幼いながらも均整のとれた表情と魅惑のボイスを持つ彼に悶えていたら、過呼吸気味になってしまう。


 何故って? 実は穂高は、私の最推しキャラだったのだ。


 何故にこんなにも可愛いのだ!


(まさに、眼福!)



 イイ! 妹ポジション、最高だ。


 至福のあまり転げ回りたいっ!


 煩悩との闘いに挑み、もんどりを打つ衝動をおさえることに苦しんでいたわたしを、本当に体調が悪いのかと勘違いした母が慌てる。



「真珠っ 顔が赤いし、呼吸が変よ! 大変、あなた! 誠一さん、お医者さまに連絡して!」



「すまん、しぃちゃん! パパが悪かった。直ぐに先生を呼ぶから、もう少しの辛抱だ」



「どうしたの? 真珠? 大丈夫?」



 いや、だからお願い。

 本当に勘弁してください。


 穂高少年、背中を擦らなくてよいから。


 体調が悪いわけではなく、ただ単に男性への免疫がないだけなんです。


 ぷるぷると震えながら、引き攣った笑顔を向ける。

 

 あうぅ、ちょっともう本当にいい加減にしてもらいたい。

 落ち着きたいので、離れて、お願いします。泣きたい。



「だっ 大丈夫? どうしよう、真珠が死んじゃうよーっ」



 震えを痙攣と勘違いした穂高が、焦ってわたしの頭に抱きつき、病室内は 混沌カオスと化した。


 ベソをかきながら抱きつく穂高の手が、微かに震えているのが見て取れた。



 きっと心細いのだろう。

 ――とても心配してくれているのだろう。



 「わたし」と「私」の意識の混在で自分的にもかなりイッパイいっぱいだったが、急に頭の芯が冷えて冷静さを取り戻す。



(わたしは、小学生相手に何をやっているのだろうか)



 ふぅーっ と軽く息を吐く。



「お兄ちゃま、大丈夫よ。ちょっとビックリしちゃっただけだから。わたしは何処にもいかないよ? お兄ちゃまの側にずっといるからね?」



 貼り付く穂高を引き剥がし、今度はわたしが彼をギュッと抱きしめる。背中もポンポンとなだめてあげる。



 穂高少年を見上げて、更に安心させるようにニッコリと微笑む。



 できるだけ慈愛に満ちた笑みになるよう、心掛ける。

 動揺する兄を安心させるために。



 穂高の震えが止まり、何故か動きもピタリと止まった。



 金属ならギギギッと鳴りそうな動作で、穂高は手の甲を口元に当てる。



 真珠は、不思議に思いながら兄の顔を見ると、顔はおろか耳まで真っ赤になっているではないか。



(はて?)



 コテリと首を傾げ、穂高の目を見詰めると、バッと勢いよく逸らされた。



 穂高の後ろに病室に設置されたドレッサーが見え、そこに真珠の顔が映った。



 わたしは息を呑み、思わず二度見する。



 そこには、お岩さんのような まぶたをした自分が映っていた。



 3日間、無意識下で泣き続けていただけあって、それは見事に赤く腫れ上がっていたのだ。



 穂高少年よ、すまない。



 こんな顔では、安心させようと抱き締めて微笑んだところで、取って喰われるかの如き邪悪な笑みにしか見えず、恐怖しか感じないのだろう。



 安心させようとして怖がらせるなんて、大人失格だ。



 本当に申し訳ない。



「僕は、お兄ちゃん。僕はお兄ちゃん……お兄ちゃんなんだからっ」



 何故か真っ赤になりながらブツブツ呟いている穂高の声が、念仏のように繰り返される。



 うう、本当にすまない。



 間違いなく、君はお兄ちゃんの かがみだ!



 お兄ちゃんだから――そう自負する彼は、怖い妹の顔を前にしても、振り払わずに我慢してくれているのだろう。



 さすが乙女ゲームの攻略者。紳士である。



 申し訳なく思って、兄の胴回りにまわした腕をパッと離す。



 穂高少年は、残念そうな――反面ホッとしたような表情をその面にのぞかせた。





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