第六話 【未来の行方と夢】
驚愕に彩られ思考が停止する。
頭を回そうにも“結愛が死ぬ”というそこの言葉だけが葵の耳にこびりついて離れてくれない。
呼吸が浅くなり、心臓が破裂しそうなくらいに五月蠅い。
この世界に来た日と同じ、嫌な予感が警鐘となって頭の中に轟いている。
「――結愛が、死ぬ……?」
「ラティファ様。説明をお願いできますか?」
「はい」
葵の口から漏れ出たのは、ただの復唱だった。
こんなところで立ち止まってしまっては最悪の未来がより確かなものへとなってしまうだけだとわかっているが、それでも伝えられた事実に思考が追いつかない。
否。
その現実を受け止めたくないと心が否定しているだけだ。
結愛が死ぬわけがないと、駄々をこねるようにその
葵の動揺と言葉から説明が必要だと感じたラディナが、話を前に進められない葵の代わりに説明を要求する。
ラティファはそれに頷いて、順序立てて説明を始めた。
「まず最初に言っておきたいのは、私がこれから話す内容は全て外から見た情報です。実際の情報というわけではなく私からはそう見えた、というだけですので事実との相違がある可能性も考慮しておいてください」
「……というと?」
「相手との合意があった上での未来視は、相手の未来を追体験するような感覚――つまり一人称視点で視ることができます。相手の感情も思考も同時に理解できるので、ほぼ完全に未来を把握できます」
一人称視点でその当人と感覚を共有できるのなら、確実なものだというのは理解できる。
というか、その未来視は万能すぎる。
これが恩寵だというのだから、魔術とは違ってデメリットというものがほとんどないのが恐ろしい。
「しかし今回のような未来視は私視点での追体験――つまり三人称視点となります。故にその方が死んでいるというのは、私にはそう見えただけですので、実際に死んでいるかどうかはわかりません」
「なるほど。それはその通りですね」
ラティファの言葉を聞いて、使い物にならなくなった葵の代わりにラディナが頭の中で整理し、同意を示す。
その間も、葵はやはり使い物になっていない。
虚ろな目で、焦点があっていない。
だが想定の範囲内と言えば範囲内だ。
結愛のことになると我を失ったり、途端に知能指数が下がったり。
そんなことはこれまでの付き合いでなんとなく理解している。
故のラディナだ。
葵が至らない時、そこを補うためのラディナ。
その為の自分だと理解しているからこそ、役立たずの葵を無視して冷静に話を進める。
「……葵様は大丈夫ですか?」
「葵様は今放心状態なので、こちらで話を進めましょう。そのうち正気に戻って会話に参加してくると思いますので」
「そ、そうですか」
ラティファの動揺を問題ないと断言し、話を進めてもらう。
いつ灰の森のように暴れるかがわからない以上、早めに話を聞き終えておきたい。
例え召喚者という最大の盾を持つ葵でも、妃への暴挙に出てしまえばどうなるかわからない。
そんなラディナの心情を知らず、ラティファは返答に眉を
「では、続けさせてもらいます。私の死から視えた未来において視えるものは三つ。順序は不明ですが、今回の場合はおそらく順当な流れだと思います」
理路整然と言葉を紡ぐ。
一言一句を聞き逃さないように静かに耳を傾ける。
「わかりやすくするために順序を逆にして説明しますね。視えたのは私が死ぬ寸前の未来。そこに至るまでの経緯の未来。その未来が生まれた原点の未来。この三つです」
「生まれた原点の未来、ですか?」
「はい。原因、と言い換えてもいいかもしれません。この場合、その地点こそが葵様の言う“結愛様”が死んだ場面になるでしょう」
「詳しく、聞かせてください」
その言葉にラディナは驚いた。
ぶっきらぼうにそれを発したのが、この場においてはもう正気を取り戻せなくなるだろうと思っていた葵だったからだ。
膝に肘を乗せ指を組み、首だけ上げてラティファを色の違う両の目で射貫いている。
その瞳に気圧されて、ラティファは静かに息を呑んだ。
「その話を聞いて思い出したんです。この世界に召喚された日に視た夢を」
「夢、ですか?」
「はい」
前触れのない唐突な言葉に、ラティファがきょとんとした顔で聞き返した。
それに真剣な表情で頷いて、葵はラティファのおかげで思い出せた夢を想起する。
「破壊され尽くした街で冷たくなった結愛の亡骸を抱えた俺が、世界への憎悪と復讐を心に誓う夢です」
あの日、嫌な夢を見たことは覚えていた。
その内容も思い出せず、今の今まで忘れていたのは、それを受け入れられないと判断したがゆえに、自己防衛手段の一つとして忘れさせていたのかもしれない。
「でも、それが未来であるなら変えられる。俺はそれを信じなきゃいけない。そう
「「……」」
その言葉に今度はラディナが息を呑む。
葵の放った言葉はかつて、血濡れた結愛のペンダントを拾った時にラディナが放った言葉だ。
正確にその時の情景を覚えているわけではないが、葵を正気に引き戻すための言葉だったはずだ。
それが葵の口から発せられたのだ。
あの時と同じで、確証はないが結愛の死を認識し我を失った。
だが今回はあの日のような暴走はせず、我を保っている。
あの日のラディナの言葉がまだ葵の中に生きていることを知り、心が震えた。
故に言葉が出なかった。
「はい。私が視たのは、破壊され、崩れた街の中で、動かない結愛様を大事そうに抱える葵様の姿です。第三者視点での未来視なので、私は葵様の心情を理解することはできませんが、視ていた限りでは覚悟を決めたような顔をしていたように思います」
ラティファの言葉を聞く限り、葵の視た夢はラティファの未来視と同じもののように思う。
その情景を共有したわけではないので確実に同じと言い切ることはできないが、それでもこれだけ証言が被るのなら同じものだと考えていいだろう。
「次に経緯の説明をします。と言っても、何か特別なことがあるわけではありません。葵様が結愛様を抱えたまま、進行方向上にある全ての生物を一瞬で消し去るだけの過程です」
「消し去る?」
「はい。文字通り、目に入った生物を全て、抵抗の余地すらなく一瞬で、灰すら残さず何もかもを」
ラティファが嘘を言っているようには思えない。
しかしその言葉が事実だとも思えない。
結愛を失い、世界に絶望し復讐を考えた葵が、何かしらの力を目覚めさせたとでもいうのだろうか。
「――そう言えば」
「何かわかったの?」
ラティファの言葉に、ラディナがハッとし声を上げた。
その声を聞き、葵が訊ねる。
「このひと月の間、ラティーフ様やアヌベラ様など、色々な方とお話をさせて頂きました」
「そうだね。本人の意思ではないとはいえ一時的に
この一か月、何もなかったわけじゃない。
結愛を探す傍らで、色々と話し合いが行われた。
ラディナたちの真意を調べたり、葵が召喚者に渡した武器の詳細を聞かれたり、魔人側の戦力が自薦に聞いていたよりも低かったり。
今回の大戦の勝利を祝うこの日まで、本当にたくさんのことを話し合った。
「その際、葵様が魔王相手に知らない人格、と言いますか、まるで自分の中にもう一人いるような発言をしたと聞きました」
「……そう言えば、そんなこともあったらしいね」
ラティーフか日菜子か。
誰から聞いたのかは忘れたが、そんなことがあったらしい。
少なくとも葵の記憶にそんなことを言った覚えはなく、しかし確かに魔王相手に戦っていられるだけの力を得られ、実際に戦ってこられたという事実はあった。
「その意識が表裏し、結愛様を救えなかった後悔と復讐心から、世界の敵になった可能性があるのではないかと」
「……一理ある。というか、ほぼそれが正解な気がする」
結愛に何かがあった時、葵は何をしでかすかわからない。
それは師範にも言われていたことだし、葵自身も理解している。
納得できてしまうくらいに、綾乃葵にとって板垣結愛という存在は大きい。
「大丈夫ですか?」
「はい。続きをお願いします」
葵を心配するラティファに問題ないと告げ、続きを促す。
それを受け、ラティファが頷いた。
「最後の光景はあっさりしたものです。葵様の姿を視界に捉えた瞬間、視界が暗転し、苦しむ間もなく一瞬で死にました。葵様が人類――生物の敵となり、国を潰してきているという情報を得て、その接近までしっかりと認識し、きちんと勢力を整えた上で相対しましたが、為す術なく一瞬で、おそらくその場にいた全員が殺されました」
「それは……自分で言うのもなんですけど凄まじいですね」
「本当に。あまりに早かったので自分が死んだことにも気が付けず、現実と未来が混同して気を失ってしまいました」
ラティファは軽口を言うように語ったが、その表情は笑っていなかった。
未来で起こったとはいえ、自分を殺した相手を前にして恐怖を抱かず、こうして話をしてくれるのはありがたい。
「これが、私が視た未来の全てです」
「話していただき、ありがとうございます。一つ、質問いいですか?」
「いいですよ」
「前提の話になりますですが、ラティファ様が視た未来は変えられますか?」
未来視系の能力は、創作においては視た未来を変えられないなんてことはよくある。
それを主人公が変えていくからこそ燃える展開になるのだが、それはさておき。
もし視た未来を変えられないのであれば、どれだけ未来を変えようと覚悟をしたところで意味がない。
葵は主人公などではないのだから。
「……そうですね。不可能だとは言いません。ですが、前例から考えるとその可能性は限りなく低いです」
「お聞きしても?」
葵の言葉にラティファは慎重に頷いた。
「まず一つはとある家系が火事に見舞われる未来です。その家系は多少の犠牲はあったものの、途絶えることなく今も継続しています。もう一つの例も似たようなもので、火事に見舞われる家族がその未来を回避した、という未来です」
「……もしかして火に関係する未来視か回避できない、とか?」
「そうではありません。これらの例は全て、私が視た私の周辺で起こる未来――つまり私が直接関与しなければならないのです」
「それなら安心ですね」
ラティファが悲しげに、申し訳なさそうに言葉にしたものを、葵は軽い口調で返した。
それに驚き目を見開いたラティファに、葵は変わらず軽い口調で続ける。
「今回の未来視もラティファ様が関わってる。前例を鑑みれば、今回の未来も変えられるものでしょう?」
「し、しかし、今回の未来視で私は何もできません。今までの
「あぁ……まぁ確かに、そうかもしれませんね」
ラティファが何か行動を起こせたから、未来を変えられた。
死ぬ未来を視たから変えられたのではないのだとしたら、確かに未来は変えられないのかもしれない。
「そうです、そうなんです。だからこの未来は――」
「例えそうでも、俺のやるべきことは変わりません。結愛を助けて元の世界に帰る。それだけが、この世界でやってきたことで、これからもやっていくことです。それに――」
ラティファの言葉を遮って、葵は目を見て言い放つ。
淀みも何もない、真正面からただ当たり前を言うようなその発言にラティファが恐る恐ると言った様子で葵を見つめる。
「前例がないなら作ればいいって教えられたんです。あんなことを聞いて何なんですけどね」
そう言って、葵は椅子から立ち上がる。
呆然と葵を見つめるラティファに、葵は頭を下げる。
「ありがとうございました。あなたのおかげで、これからの指針が明確に決まりました」
ラティファは未だ呆然としている。
何とも言えない表情で、葵のことを見つめ、口をパクパクとさせている。
もう続く言葉が出ないと悟り、葵は再度頭を下げる。
「お世話になりました。結愛を助けたら、また来ます」
ラティファに背を向けて、葵はラディナたちを連れて部屋を出る。
「ま、待ってください!」
スタスタと部屋を去ろうとする葵を、ラティファが呼び止める。
ベッドから飛び出さん勢いの静止を受けて振り向いた。
「……」
「何か?」
呼び止めておいて、言うか言うまいか迷っているラティファに、葵は怒るわけでもなく静かに聞いた。
まだ決意が定まっていないのか、視線を彷徨わせ、もじもじと指を絡めている。
その仕草がどこか子供っぽい雰囲気を感じさせる。
今まで対面し感じていた雰囲気とは全く違うギャップが、なぜだか不安を掻き立てる。
「…………ラディナさん」
「――はい」
自身の名が呼ばれるとは思っていなかったのか、少しのタイムラグを経てラディナが答える。
瞳に不安と迷いを宿し、やはり視線を部屋中へと彷徨わせながら、それでもラディナの方を時折見つめている。
「…………ラディナさんは……その、本名ですか?」
「……と言いますと?」
脈絡のない言葉に、ラディナがキョトンとした顔になり、首を傾げた。
唐突にそんなことを言われて頭が追いついていないように見える。
そんなラディナの心情を察したのか、ラティファは大きく深呼吸をして、決意を決めた表情でラディナを見据える。
「……アンナという名前に、覚えはありませんか?」
不安と恐怖と決意と覚悟を瞳に宿し、意を決した様子で言葉を紡いだ。
会話の前後がはっきりとしていない以上、この話を分かる人間などいないだろう。
その名前に心当たりがある人間以外は。
「――……お母さん?」
ラディナの言葉に、ラティファは嬉しそうな顔をした。
普通、言われてもラティファのような表情にはならない
“お母さん”。
その言葉を聞いて、葵はようやく思い出した。
ラティファに会った時に感じた違和感。
どうしてか初対面な気がしない違和感を、ようやく理解した。
共和国へ赴く前にラディナの育ての母親であるカミラから話を聞いていたから、ラティファのことを知っていた。
「覚えて……いてくれたんですね」
今にも泣きそうな表情で瞳を潤わせ、口を手で覆っている。
決死の覚悟で娘を逃がした母親と、母親の願いを受けてすくすくと成長した娘の邂逅。
まさしく感動の再開だ。
この二人の間に何があったかを知っているから、ラティファの涙も絵になるな、なんて感想が浮かぶ。
知らないソウファやアフィでさえ、事情を察して黙っている。
「……ごめんなさい。あなたに母親らしいことをしてあげられなくて……ごめんなさい」
ぽろぽろと涙を零しながら、ラティファが声を震わせる。
嬉しさと悲しさの入り混じった声音で、俯きがちに呟いた。
そこにどれだけの感情が込められているのかは、察するに余りある。
あれだけの事件の渦中に居ながら生き延びたラティファが、どれだけこの時を待ちわびたのか。
カミラ側が接触してくれなければ再開など叶うはずがなく、未だ犯人が捕まっていない事件の渦中に晒され逃げおおせたカミラが接触を図れるわけがない。
カミラにはラディナの――アンナの命が大事なのだから。
「すみません」
涙を流しているラティファへ、ラディナが頭を下げた。
声音に変わりはなく、いつも通りの様子でラディナが言った。
ラティファは少しだけ眉を顰めて、ラディナを見据える。
「私のお母さんがあなただということは知っています。母から聞きました。でも私に、お母さんの記憶はないんです」
ラティファが驚き、目尻に涙を溜めながら目を見開いた。
感動の再開に水を差すような発言を当人がしたのだから、その反応は正しい。
しかし考えてみれば、ラディナの言葉も当たり前のことだ。
まだ三歳だった当時のラディナが、その時のことを覚えているわけがない。
朧げな記憶はあっても、はっきりと思い出すのは難しいはずだ。
三歳の時の記憶なんて、そんなものだろう。
やはり、考えてみれば当たり前のことだ。
それでも、考えなければ当たり前のことにも気が付けない。
それも当たり前だ。
「……そうですよね。あの頃のアンナは――いえ、ラディナさんはまだ三歳でしたものね」
「はい」
涙の浮かぶ瞳に悲しさを宿し、諦めとも納得ともとれる震えた声だ。
心なしか、浮かぶ涙が嬉しさから悲しさに染まっていくようにすら思える。
「だから、お話しませんか? お母さん」
片膝をついて、ラティファよりも目線を下にしてそう言った。
その声は震えていて、意を決して口にした言葉だと理解できた。
「……!」
ラティファの瞳から再び雫が零れる。
感極まった涙が、しとしとと服に落ちていく。
嗚咽がラティファの口から洩れて、ラディナへの回答が言葉にならない。
それでも、瞳を閉じて心を落ち着ける。
「――はいっ」
嬉しそうな表情で、声を涙で震わせながら、はっきりとそう答えた。
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