第五章 幕間

【金等級の組合員】




 人類と魔人。

 これまでの歴史の中で一度として変わることのなかった大戦の戦場の最前線。

 死屍累々と積み上げられた魔獣の死体の近くで、欠伸をかみ殺す青年がいた。

 いくら魔獣を殺し尽くし暇になったからと言って、ここは戦場だ。

 普段はそんなことは考えず、己の欲のままに動く青年だが、時と場合を弁えることくらいできる。


「フレッ、デリック様。欠伸は押し殺してくださいね」

「ぅん、わかってる。それより噛んだけど、舌大丈夫?」

「だ、大丈夫ですっ」


 直感の鋭い少女の忠言に、悪戯な笑みを浮かべて答えた。

 揚げ足取りじみたフレデリックの言葉に、少女は恥ずかしそうに顔を背け、誤魔化すように辺りを見回す。

 内心で相変わらずだなぁと苦笑いを浮かべつつ、少女を見習って周囲に意識を向ける。

 フレデリックからすれば、一晩中戦っていたのに欠伸の一つも漏らさずに今も警戒を続けられる少女の方が凄いというものだ。

 決してフレデリックが怠けているわけではない。


 それに何より、暇なのだ。

 戦闘中であれば脳内麻薬が溢れ出て眠気など吹き飛ぶだろうが、今は戦闘の“せ”の字もない。

 魔獣の波は何度も訪れたが、フレデリックが指揮する組合員たちで容易に退けられたし、何ならここ一時間ほど魔獣の群れは愚か影一つすら見ていない。

 嵐の前の静けさ、というものであれば油断している場合ではないが、最前線で指揮を執りながら戦っていたフレデリックだけで百に迫る魔獣を倒しているし、他も含めると千は超えるだろう魔獣を倒しているはずだ。

 中にはそれらの魔獣を指揮する魔人もそれなりの数がいたが、生かしても脅威にしかなり得ないので例外なく殺害している。

 だから、どうしても忘れていた眠気というものが襲ってきてしまう。


「フレデリック様!」


 警戒を始めて一分と経たないで、自身を呼ぶ聞き慣れた声が後方――キャンプから聞えた。

 そちらに視線を向ければ、フレデリックと似た外見をしているコートに身を包んだ淡い青の髪を持つ女性がフレデリックを目指して走っていた。


「王女様からか?」

「はい。索敵班によると、魔獣の気配は完全になくなったとのことです。なので、索敵範囲外の簡易調査を行って欲しいとのことです」

「わかった」

「お――ドリー様と行かれますか?」

「そうする。王女様とみんなには、このまま警戒を続けて欲しいと伝えておいてくれ」

「畏まりました。お気をつけて」


 恭しく頭を下げる女性に頷いて、上空へ火の魔術を放つ。

 白煙を上げながら上昇していった火の玉はある程度の距離を上っていくと小さな爆発を引き起こす。

 注目を集めるときの簡単な手立てだ。

 想定通り、その周辺にいた組合員たちが爆発を起こした火の玉の方を見て、その下にいるフレデリックへと意識を向ける。


「この辺りの魔獣はいなくなったそうだ! 俺は遠くまで確認しに行くから、君たちは有事に備えて休んでいてくれ! これが聞こえていない人たちにも伝言を頼む!」


 なるべく大きな声で用件を告げて、フレデリックは最前線を駆け抜ける。

 しばらくは魔獣の死骸が点々としていたが、五キロも走れば魔獣の死骸は愚か生物の影も見かけない。

 元々、幾度と行われてきた大戦の影響で荒廃した土地で、草木は一つもなく生物も皆無な場所なのだ。

 戦争が行われている間だけが五月蠅いのであって、普段は異様なほどに静かな場所だということを認識させられる。


「遅れた」


 いつの間にか隣を並走していた人影が、言葉少なくそう告げた。

 先ほどの青髪の女性と同じコートを身に纏い、フードを被って顔を隠している。

 性別の区別がぱっと見ではつけづらいが、シルエットと声からして女性なのだと理解できる。


「大丈夫。それよりどう?」

「気配はないよ。海の方はわからないけど、少なくとも陸にはない。まだ東の果てはわからないけど」

「取り合えず、東の海まで行ってみよう」


 超広範囲の索敵を行えるフードの女性は、フレデリックの質問に答える。

 その答えをもとに、フレデリックは少しだけ考えてそれを言葉にする。

 フードの女性はそれに頷き、足を止めることなく東へ向けて走り続けた。






「気配はないよ」

「……そっか」


 フードの女性の報告に、フレデリックは神妙な顔で頷く。

 言葉の内容に不服を感じているわけではない。

 喉に小骨が刺さったように、違和感というか気がかりというか、ともかくそう言った不安が心に巣食っているが故の微妙な反応だ。


「不安?」


 フレデリックとの付き合いは短くないフードの女性は、その反応を正しく拾う。

 前屈みになり、そこそこ高い身長を持つフレデリックを覗き込むような体勢を取る。


「――そうだね、とても。八年前と同じだ。何もないはずなのに、不安が拭いきれない」

「…………戻ろう」


 フレデリックの身に何があったか知っているから、その言葉には何も返さない。

 代わりに、次の行動を促す言葉を投げかけた。






 * * * * * * * * * *






「フレデリック様! よくご無事で!」


 キャンプに戻るや否や、アルペナム王国の第二王女にしてこの荒野の大戦の指揮を担っていたソフィアからそう告げられた。

 偵察のような役を行っていた相手が帰還した際にかける言葉にしては何やら大袈裟な感じがある。


「何かありましたか?」

「ええ。魔人の伏兵が、人の姿になりすまして――」

「――そいつはどうしました? 怪我人は?」


 ソフィアの言葉に食い気味に、そしてザッと間を詰めて問いかける。

 まるで尋問でもしているかのような早口の言葉に、ソフィアは少しだけ後退りながらもしっかりと応対する。


「あ、えと、幸いそのことにいち早く気が付いた召喚者の方がおりまして、誰一人として怪我は負いませんでした」

「それはよかった」


 ソフィアの言葉にフレデリックは本心を漏らした。

 全体の作戦指揮を執っていたのはソフィアだが、実際の戦闘で組合員の指揮を執っていたのはフレデリックだ。

 その監督のような役割のフレデリックが抜け、そこで起こった戦いに誰かが犠牲になったともなれば、流石に他人への関心が薄いフレデリックでも心に傷を負う。

 例えそれがどれだけ小さな傷であっても傷は傷だ。

 誰に偽善と言われても、良かったと本心で思えたのだからそれでいい。


「すみません。捲し立てるように聞いてしまって」

「いえ、問題ありません」


 我を失いかけていたと謝罪したフレデリックに対し、ソフィアはにっこりと笑みを浮かべて応対する。

 その度量の広さに深く感謝する。

 一介の組合員に過ぎないフレデリックは、今の行為を不敬と取られてもおかしくはない。

 アルペナム王国の系譜はそんな職権乱用のようなことはしないとわかっていても、やはり庶民の出であるフレデリックの根底は変わらない。


「あ、あともう一つ」

「何でしょう?」


 その疑問にソフィアは嬉しそうな表情を浮かべる。

 なんとなくその内容を察し、言葉の続きを静かに待つ。


「帝国での撃退戦に向かった方々からの報告です。『終わった。大戦は人類の勝利だ』だそうです」

「そうか……」


 ソフィアの言葉を受けて、フレデリックは徐に天を見上げる。

 そして誰に願うでもなく、心の底からホッとしたような優しげな表情を浮かべて――


「よかった――」


 そう、本心を零した。


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