第十八話 【vs序列二位】




 白い神殿の中を進む、一つの足音がある。

 周りを警戒しているのが静かな足音からもわかるくらい、男は慎重に歩みを進めている。

 曲がり角に当たる度、慎重な歩みをさらに慎重にして、集中するようにしてその先を窺う。

 一見、何をしているのかわからないようにも見えるが、一定の割合の人間ならば“魔力感知”で視覚外の索敵をしているのだとわかる。

 尤も、“魔力感知”で索敵ができるほどの才能の持ち主はほんの一握りなので、一般人でも理解するのは難しいだろう。

 そんな技術を少しの集中だけでこなした男――中村隼人は、“魔力感知”が捉えた不思議な感覚を前に、疑問を表情に表す。


「――っ! これは……」


 その疑問は、目視してようやく解消された。

 隼人のいる白い神殿は神聖国の教皇――日本で言うところの総理大臣であるマルセラが魔力で編み出した強固な結界であり、生半可な攻撃では物理だろうが魔術だろうが傷もつかず、壊すこともできない。

 たとえ壊れても、魔力がある限り再生できるため、前と後ろを遮断する結界としては最上位に位置するものだ。

 そんな結界が破壊――というより、崩壊していた。


 白一面の壁の一部が隕石の衝突でもあったかのように外に向けて陥没し、そこから結界内では決して見ることのできない外の景色が見えた。

 白一色の壁に、大地を埋める土と転々と自生する木、晴れ晴れとした空が映っているこの光景は、まるで美術館に飾られた一枚の絵画のようだ。


「なにがどうなってるんだ……」


 警戒を続けたまま、隼人は空いた穴から外に顔を出して様子を確認する。

 ぱっと見、穴の周辺に何も異常はない。

 ここで起こった戦闘で開いた穴にしてはあまりにも戦闘の余韻が感じられない。

 “魔力感知”は大した範囲を索敵できるわけではないが、それにしても戦闘を感じさせる要因が少なすぎる。


「この音は……外か」


 そんな折、隼人の耳が遠くの方で戦う音――もっと正確に言えば、肉体と肉体がぶつかる音を聞き取った。

 その音源を特定しようと耳を澄ませれば、それは神殿内ではなく神殿の外から聞えてきていた。

 それも本当に微かな音で、隼人が一人でいなければ気が付きもしなかったであろう遠距離だ。

 道理で戦闘の余韻もないわけだと自身の考えに納得し、その音に向けて走り出す。


 走り出しから一分足らずで、音がどんどんと近くなっていく。

 まだ視界には映らないが、音だけは耳に重くなって届いてくる。

 届いてくる音が不定期で、且つ数が多いことに少しの焦りを抱きつつ、隼人は目の前にある小さな丘を駆け上る。


「何が、どうなってんだ……」


 丘を登った上で、その先にある光景を目の当たりにし、隼人は驚きで語彙を失った。

 丘の先には数多の魔物が死体となってそこかしこに転がっており、その死体を躱し、時に踏みつけ蹴とばしながら、何名かの人影が戦っている。

 数的には四名。

 うち三名は隼人たちと一緒に戦う仲間で、彼らが相対するのはたった一人の魔人。

 ただの魔人でないことは、その見た目からわかった。

 魔人の統一装備のような黒いローブが所々破け、見える肌は脈動する赤い線が奔っている。

 まるで心臓の動きに合わせて動いているかのような不気味さを思わせるそれは、腕や脚や顔、指や目にまで広がっている。

 ツノがあれば、鬼だと勘違いしそうな姿だ。


 一瞬だけその現場を前に後退る。

 しかし、ここで逃げ出しては何のために翔たちを置いてきたのかと己のうちから叫び声が聞こえる。

 弱気な自身へ首を振り、隼人はキッとその戦場を見据える。

 大きく深呼吸をして、魔紋を解放する。

 そのまま流れるように“鬼闘法”を行使した“身体強化”を全身に施す。

 “気”による周辺の状況把握を行い、“鬼闘法”によって倍程度に増えた体内の魔力を御する。

 体への負担は大きいが、絶大な力を得られる。


 脚に力を溜め、弾丸のように戦場へと吶喊する。

 隼人の声は、その場に居た全員の意識を一瞬だけ集める。

 それには当然、相手の魔人も含まれる。


「――ッ!!」


 魔人を相手取っていた仲間たちの意識が逸れたことで、自身に向けて突撃してくる隼人に拳を

 空を打ち付けた拳は空気を弾丸のように飛ばし、丘を全力で駆け下っていた隼人の足を止める。

 顔面を空気砲で殴られ、ほんの僅かな隙が生じた隼人に、魔人は追撃を行う。

 空気を弾丸として放てるほどの威力を持つ拳を直接叩き込まんと瞬く間に目の前まで迫り、その左腕を引き絞った。

 隼人の脳裏に、死がよぎる。


「体勢を立て直せッ!」


 しかしそうはならなかった。

 隼人に向けて放たれた拳は真上へと軌道を変え、空へと放たれた。

 隼人の死を回避したのは、人類最強と名高い帝国の王、ドミニクだ。

 魔人の速度に追いつき、拳に拳をぶつけて方向を逸らしたドミニクは、呆ける隼人に短く叱咤を飛ばす。

 反射的に体が動き、戦闘態勢へと移行する。

 それを視界の端で捉えたドミニクは、魔人との猛攻を繰り広げる。

 一瞬、互角のようにも見えたその戦いは、互いに負った傷の数ですぐに違うのだとわかった。

 明らかに、ドミニクの体や衣服に刻まれた傷の方が多い。

 尤も、拳と拳の戦いであるが故に、切り傷などの分かりやすい傷は少ない。


 見るからに、生半可な覚悟で挑めば死ぬのがわかる戦い。

 明らかに次元が違う戦いを前に、隼人の口元は笑みを浮かべた。

 薄ら笑いとでも言うべき、背筋を震わせるような笑みが、隼人の顔に張り付いている。

 気が付けば自然に体が動き、ドミニクと魔人の戦いの間に割って入っていた。


「――」

「お前ッ――」


 魔人は隼人の乱入に心を乱した様子はなく、大してドミニクは驚きを露にした。

 まるで、戦いの邪魔になるのではないかと懸念するような、そんな不安を表情に見た。

 だが次の瞬間にはその表情は消え、魔人との戦いに意識を向ける。

 そのことに感謝しつつ、隼人はドミニクの隙を潰す形で援護に回る。


 隼人の恵まれた動体視力と“鬼闘法”有りの“身体強化”で底上げされた身体能力でその戦いに食らいつく。

 隼人一人では太刀打ちできることはなかっただろう相手も、ドミニクの援護という形でなら問題なくできる。

 ドミニクの地力が高いからこそ、援護にのみ集中できるのも、隼人がこの戦いに介入できる理由だ。


「強いな」


 魔人が呟き、大きく跳び退いた。

 ドミニクはそれを追わず、隼人へと視線を向けた。

 一瞬だけ視線が絡み、ドミニクは納得したかのように魔人へと視線を向け直した。


「あんたたちは教皇の元に。ここはで引き受ける」


 視線は魔人に固定したまま、先ほど共に戦っていた二人へと大声を投げる。

 あの二人は、白い神殿カサ・カノンを生成・維持しているマルセラの護衛に当たっていた人物だ。

 共和国の軍隊であるスートのリーダーのうち、騎士団と魔術師団に位置するスペードとクラブの両団長だ。

 実力はかなり高いのだが、この魔人相手には流石に足手纏いになってしまうのだろう。

 “鬼闘法”が使えていなければ、隼人もこの戦いを視認することすら出来なかった。

 それほどまでに、高いレベルの戦いだ。


 ドミニクの言葉を受けて、一瞬迷うような素振りを二人は見せたが、すぐに頭を下げて戦線から離脱する。

 と言っても、彼らが向かう先も別の戦線であることに変わりはないので、戦いから逃げるのとはわけが違う。

 どちらに行っても戦いに身を投じることになるのだから、自分がより活躍できる方へと向かうのは正しい判断だ。

 それくらい、隼人でもわかる。


「貴様、名は?」

「……俺?」


 顔から赤い線が引いていく魔人にそんなことを聞かれ、自身を指さして質問に質問で返す。

 隼人の質問こたえに魔人は頷いた。

 そんなことを聞く理由はわからないが、強者が認めた相手に名を訊ねるという光景はある種の憧れでもあったので、にやけそうになる表情を引き締めて答える。


「俺は中村隼人。召喚者だ」

「私はユリエル。魔神序列二位、武神ユリエルだ」


 静々とそう告げる魔人ユリエルに、隼人はどう答えていいかわからず警戒したまま固まる。

 そんな隼人のことを気にした様子もなく、ユリエルは天を仰ぐ。


「貴様らは強い。ドミニクも、ナカムラも」


 天に向けていた視線を正眼に戻す。

 当然、その先には隼人たちがいる。

 ユリエルの血走った赤っぽい瞳に、警戒を解かない隼人たちが映る。


「できる限り戦おう」


 グッと、ユリエルが腰を落として構える。

 曝け出された素手には血が垂れているような赤い線が奔っている。

 首から上るようにして顔にも同じ赤い線が奔る。

 戦闘態勢に入ったのが簡単にわかる。

 故に、隼人たちも意識を引き締める。

 それを見たユリエルは、ニヤリと笑って数メートルの距離を一瞬で詰めた。

 文字通り瞬く間に距離を詰められ、隼人は対処が遅れる。

 しかし、ドミニクはそれに完璧に対応して見せた。


 繰り出された正拳突きを手のひらで器用に受け流し、受け流した手で裏拳を放つ。

 顔面に放たれた裏拳を避け、ユリエルは裏拳ごと絡めるように左手でテレフォンパンチを放った。

 それを、ようやく状況についていけるようになった隼人が、ドミニクの右サイドから飛び出し、その左手を『弥刀』で斬り伏せる。

 人体に当たっているはずなのにおよそ人体とは思えない、しかし金属音とも違う異質な音を立てて、左手が真下に弾かれる。

 両手が空き、無防備となった胴体へドミニクが正拳突きを叩き込む。


 入る、と思ったその正拳突きは、引力を乗せたユリエルの頭突きによって防がれ、そのままの勢いでドミニクの胴体へ頭突きが入る。

 守勢から転じた攻撃とは思えないほどの威力を内包していた頭突きを防げず、ドミニクは隼人も巻き込んで後方へと吹き飛ばされた。


「――ッ!」


 ドミニクという壁がいなくなったことで、ユリエルと隼人の間を隔てるものはなくなった。

 その事実をしっかりと理解し、吹き飛ばされたドミニクへの心配をする間もなくユリエルの対処に追われる。

 下からのアッパーを頭を引くことで躱し、次に迫る左の正拳突きを先ほどのドミニクと同じように弾くことで受け流す。


「ほぅ」


 ユリエルが感嘆の声を漏らし、更に拳を繰り出す。

 その瞬く間に十は超えるんじゃないかという拳を繰り出すユリエルの攻撃を、隼人は全てさばき切る。

 しかし、隼人はユリエルやドミニクと同じレベルなはずがない。

 攻撃に転じることなどできるはずもなく、ただ全力で守ることしかできない。

 そのことに気が付いているのかどうかはわからないが、ユリエルの攻撃は更に苛烈さを増す。

 拳の一つ一つに拳圧が纏われ、拳が繰り出されれば押し出されるような威圧感を覚え、腕が引き絞られれば吸い込まれるような感覚に陥る。

 瞬く暇なんて当然ない。

 絶大な集中と訓練以上の実力を発揮できなければ容易く粉砕される戦闘を前に、一息の呼吸すらできる余裕はない。


「――ッ」


 本来の実力以上の実力を発揮できる時間など、たかが知れている。

 この戦いを続けていれば、もうあと十秒も経たないうちに隼人はユリエルの拳に砕かれているだろう。

 その前に、ドミニクが来るかどうかが隼人の生死を分かつ。

 尤も、そんなことを考えている余裕はない。

 目の前の拳一つ捌くのに、全神経を注がなければ今この瞬間に死んでしまう。


「“帝国式徒手格闘術・極式――”」


 ユリエルの拳が止まる。

 隼人ではないどこかを見つめて静止する。

 その変化についていけず、しかし呆然とすることもできない隼人の耳に、懐かしい声が聞こえる。


「“龍拳りゅうけん”ッッッ!!!」


 暴力的な風が隼人の傍まで迫る。

 隼人に向けて放たれたわけではないが、それでも自分が狙われているのではないかと錯覚するくらいの、威圧的な風。

 そんな風に向けて、ユリエルが初めて構えらしい構えを見せた。

 膝を軽く曲げ、左手を握り後ろへ引き絞り、右手を緩く開いて前に向ける。

 大きく息を吐き、迫りくる風を鋭い瞳で見据える。


「“古式”――」


 前にある右足を大きく踏み出す。

 大地がひび割れ、亀裂が奔る。


「“虎撃とらうち”」


 踏み込んだ足以上の暴圧がドミニクの放った圧と衝突する。

 至近距離に居た隼人は踏ん張ることすら許されずに為す術なく吹き飛ばされる。

 全身を強打しながら大地をバウンドする。

 ようやく止まり、その瞬間を待っていたかのように全身から擦り傷や打撲傷などの痛みが襲い来る。

 骨を折ったわけでもないのに痛みが酷い全身に鞭打って、隼人は立ち上がる。

 あの戦いがどうなったのかを、見届けなければならない。

 義務があるわけではなく、隼人がそうしたいのだ。


 視線を上げた先、隼人の視界に映ったのは、ユリエルの胸をドミニクの腕が貫く瞬間だった。

 足元は芝のような草が禿げており、先ほどの衝突した拳圧の凄絶さを物語っている。

 だが隼人を吹き飛ばした拳圧よりも、目の前で起こっている光景の方が隼人にとっては大事だった。


「楽しかったよ、ドミニク」


 自身の死を悟ったかのように天を仰ぎながら、ユリエルは呟く。

 自身の胸を貫いているドミニクへと視線を向けて口を開く。


「人間にも、これほどまでに強い相手がいたとは……驚きだ」


 言葉を途切れ途切れにしながら、しかしはっきりとした声で発する。

 ドミニクが答えないのを理解し、今度は隼人へと視線を向けた。


「ナカムラ。お前を育てることができるなら……きっと、楽しいのだろうな」

「――? それはどういう……」


 微笑を携えたユリエルの言葉に、隼人は疑問を浮かべる。

 先ほど戦ったメリルという魔人も、似たような訳の分からないことを言っていた。

 それが意味することは何なのか、ということを考える前に、ユリエルが再び天を仰ぐ。


「さらばだ」


 そう言って、ユリエルはメリルと同じように黒い靄となって消えていった。

 神殿で見た時と変わらない。

 どういう原理なのか、全くわからない。


「――いや、まず先に」


 隼人は全身から痛みを発する体に鞭打って駆ける。

 “鬼闘法”は愚か“身体強化”も施しておらず、その上怪我をした状態の走りなので、大した速度は出ない。

 だがそれでも確実に、ドミニクの元へと向かう。


「大丈夫ですか?」

「ああ、俺は平気だ。お前こそ大丈夫か? すまんな、巻き込んじまって」

「いえ……」


 直接攻撃を喰らったわけでもないはずなのに満身創痍な隼人と違い、ドミニクはぱっと見えるところに外傷はない。

 動きからも、特に支障はないようにも見える。


「教皇――マルセラさんは大丈夫なのでしょうか?」

「たぶん大丈夫だろ。あの召喚者の坊主――葵、だっけか?」


 隼人に同意を求めるようにして、ドミニクは質問を投げる。

 答えられる質問だったので、素直に頷いておく。


「葵が置いていたアクティブマジック? とかいう新しい形式の魔術で神殿の向こうから迫ってきた魔物の大軍の大半を足止め、殺害していたらしい。他にも共和国の団長たちが護衛に回ってるし、教皇がそもそも魔術のエキスパートだからな。問題はないだろうよ」

「そうなんですね。よかったです。じゃあ、俺は戻ります」

「ああ、おい。その体でか?」


 痛みがどんどんと増していく体を引き摺るようにして神殿へと引き返す隼人をドミニクは止めた。

 その反応は至って自然なものなのに、それを向けられた隼人とうにんはなぜ止められたのかを全くわかっていない顔をする。


「流石に無茶だ。治せるなら話は別だが、治せないならただの足手纏いだ。大人しく治療にいくぞ」


 言うだけ言って、ドミニクは隼人をヒョイと脇に抱える。

 これでもそれなりに鍛え、部活に所属していない高校生にしてはそこそこの筋肉量を持っている自負はあったが、そんなものは本物からしてみれば大したことではないのだと知らしめられたかのようだ。


「ま、今回はお前のお手柄だ。俺が吹っ飛ばされた時、一瞬でもあの状況を保っててくれたおかげで、ユリエルを倒すことができた。まぁだから、仲良く話でもしながら、大人しく俺に連れ去られろ」

「……それは、なんか犯罪っぽいですね」


 茶化すように言ったドミニクに、隼人は困ったような笑みを浮かべて答える。

 今の状況も相まって、その言葉の犯罪臭がとんでもないことになっている。

 尤も、それが冗談だということはわかっているので、隼人もこれ以上はツッコむことはない。

 ドミニクの言葉通り、色々なことを話しながら治癒ができる共和国の団長のいるであろうマルセラの元へと向かっていった。



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