第十一話 【言葉の力】




「さぁて、召喚者綾乃葵……どうする?」


 不敵な笑みを浮かべて、エアハルトは言った。

 単にこの先の選択を迫るだけの発言だが、この状況に至って言えばどんな発言にも勝る煽りだ。

 ただでさえ疑問で頭が埋め尽くされている葵の脳にその言葉が響き、脳内が混沌としてくる。

 ぐるぐるぐるぐるぐるぐると、思考が空回り出さなければならない結論が遠のいていく。


「葵様ッ!」


 答えを出せない思考が頭を巡る中、遠くで葵を呼ぶ声が聞こえた。

 悲痛でも、悲観でもなく、ただ純粋な呼びかけ。

 冷静さを欠いた耳に、無為の思考を繰り返す頭に、余裕のない心に届かせるための、大きくはっきりとした呼びかけだ。


 その声の持ち主など、振り向かなくてもわかる。

 この場に、葵の味方と呼べる人間は一人しかいない。

 そもそも、葵のことを“様”を付けて呼ぶ人間など、この世界ではたった一人だけだ。


 その呼びかけがスーっと葵の中に浸透し、思考をクリアにする。

 『無銘』を地面に突き立て両手を開けて、葵はその手で自身の頬を思いっきり叩く。

 パァンと乾いた音がその空間に響き、その音源である葵の両頬は紅葉の形に赤く染まった。

 自分の頬を叩くのは、意外に痛い。

 自傷行為は気づかないうちに力にセーブを掛けるものだが、それを差し引いても頬を叩くのは痛い。

 だけど、葵にとってそれは、冷静になるためのトリガーだ。

 結愛もくひょうを見据え、そこに至るための最善最良を導くための冷静を欠いたときに、自らを引き戻すためのきっかけ。

 それを、ソフィアの呼びかけで取り戻せた。


 頬にまだ残る痛みを感じながら、一瞬にも満たない間に集中する。

 疑問はあとで解決すればいい。

 今やるべきことを、やらねばならないことを見誤ってはいけない。

 そう自分に言い聞かせ、空間の全域を把握する。

 一瞬の把握で脱出のための算段をつけ、指輪アルトメナに魔力を通し、一枚の円盤を取り出す。


「ソフィアさん、これを」

「! これは……」

「ええ。例の試作品です。あなたがピンチになるか、俺が合図したら使ってください。ただ動作未確認ですので、失敗すれば意味のないものに成り下がりますから、保険程度に思っていてください」

「……大丈夫です」


 葵が自信なさげに放った言葉に、ソフィアは自信満々に言い切った。

 どうしてそんなに自信をもって大丈夫だと言えるのか、と疑問を抱く。

 そんな面にすら出さなかった疑問に、ソフィアは答えた。


「――だってこれは、私たち魔術陣クラスの結晶ですから……!」


 葵から受け取った円盤を抱きしめて、ソフィアは力強く答えた。

 その回答に、まだ真の意味で誰かに頼ることができていないんだな、と痛感する。

 尤も、その感傷はほんの一瞬だ。

 今は反省する時じゃない。

 ソフィアの頼もしさに勇気を貰い、それを心のうちに留め、地面に突き刺した『無銘』を引き抜いて改めてエアハルトに向き直る。


「俺がどうするかって質問な。答えは一つだ」

「ほう?」


 指抜きのグローブの上からでもわかるくらいに魔紋を輝かせ、先ほどまでよりも多く早く大気中の魔素を吸収しながら、面白そうに葵を眺め、未だ不敵な笑みを浮かべるエアハルトに『無銘』の切っ先を向ける。

 そして、エアハルトに負けないくらいの不敵な笑みを浮かべて、声高らかに宣言する。


「この場にいるあんたら全員ぶっ倒して、満面の笑みで凱旋してやるよ!」


 この洞穴に潜入してからこの瞬間まで、魔紋を解放した状態での“身体強化”だけで戦ってきた。

 周囲の状況把握と戦闘能力の両立をするならばそれが最善だし、魔紋はここひと月ほどでたくさん使ってきたので、慣れているから失敗も少ない。

 だけど、この危機的状況を前にして、失敗を恐れた安定を取っていては確実に敗北する。

 ならば、安定も確実な成功も、一発逆転というほどの制圧力もない、しかし打開する力を得られる“身体強化”の上位互換――“鬼闘法”に賭ける。


「――ハッ! さっきの詭弁といい威勢がいいな! じゃあ、やってみせろ!」


 その言葉を合図に、エアハルトが飛び出す。

 先ほどまでの戦いが嘘だったかのような速度で一直線で葵に突貫し、両手に握った曲刀を先ほどの倍はあろうかという膂力で振り下ろす。

 縦横無尽に繰り出され、突風すら巻き起こす連撃を『無銘』で逸らし、刀の腹を拳で撃ち抜き、あるいはエアハルトの体勢を崩すことで全てを躱す。

 先ほどまでの葵なら確実に仕留められていたであろう攻撃を、先ほどと変わらない対処法で凌がれたことにエアハルトは驚きの表情を浮かべる。


 その隙をつき、葵が攻撃を仕掛けようとするが、そこに水、風、岩の魔術が葵だけを目掛けて放たれる。

 先ほどまではなかったその援護は、“魔力感知”による全方位認識と“鬼闘法”による身体能力を以って、全て『無銘』で斬り伏せる。


「大口叩くだけのことはある! 実力を隠してたのか!?」


 魔術の一波が終わったと思えば、今度はエアハルトが近接を仕掛けてくる。

 ほんの一瞬前の一撃よりもなお鋭く重くなったその一撃は逸らせなかった。

 体勢が悪かったこともあり一瞬だけ押されかけたが、“鬼闘法”による身体能力で巻き返す。

 攻勢に出ようと曲刀を弾き、いざ連撃をと思ったところで再び魔術の波状攻撃が葵を襲う。


 火と雷が屋内の為に使えないと言うのが楽だが、如何せん数が多すぎる。

 それにこの攻撃を凌いだら、またエアハルトが魔術発動までの時間を稼ぎ、再度魔術の防御に回らなければならなくなる。

 喰らう当人としては面倒極まりないが、作戦としては褒めざるを得ないのが何とも悔しい。


 それに――


「頭! ちゃんと抑えといてください!」

「わあってるよ!」


 ソフィアの確保に向かう組織の人間への牽制けんせいも欠かせない。

 “身体強化”では間に合わなかったであろうその牽制も、“鬼闘法”を使った驚異的な身体能力で間に合わせる。

 葵に邪魔され、ソフィアの捕獲に失敗した組織員が、エアハルトに向けて苦言を呈す。


 あの円盤は最終手段。

 葵だけではどうにもできなくなった時の為の奥の手だ。

 葵が“鬼闘法”という奥の手を切った以上、あの円盤はそう簡単に使わせるわけにはいかない。


 床に座り込むソフィアを中心に、葵がたかってくる敵の全てを妨害し、迫りくる魔術全てを斬り伏せる。

 この状況を続けてさえ居られれば負けはしないだろう。

 “鬼闘法”は大気中の魔素を吸収し、己が魔力として体内に取り込んで、自らの魔力量を超えた魔力で“身体強化”を行う術のことだ。

 大気中の魔素を吸収すると言うことは、即ち魔石を使った魔術が使えなくなると言うことであり、それは魔術師を使い物にならなくすることと同義だ。

 魔術による波状攻撃がなくなればエアハルトとの戦闘に全神経を集中させられる。

 そうなれば、葵の勝利は確固たるものとなるだろう。


 しかし当然、“鬼闘法”にも代償はある。

 体内の魔力を高速で循環させるだけで、失敗すれば四肢爆散の可能性があるのに、体外から取り込んだ魔素・魔力を加えたうえで“身体強化”を行うなど、並みの練度の“魔力操作”では無理だ。

 たとえそれができるだけの“魔力操作”の練度があっても、そこに加えて“魔力感知”にまで意識を向けてなどいられない。

 だからこそ、魔力を使わない“気”という感知方法の習得が必要だった。


 だが葵に、“気”を扱う才能はなかった。

 どれだけ習練しても“気”を扱うことは愚か、感じることすら出来なかった。

 だから、自分にできることでそれを代用することにした。

 葵の持つ才能は、狭く深い。

 ならその深さを利用してしまえばいい。

 前例がないのなら、自身が前例になってしまえばいい。

 単純明快、旗幟鮮明きしせんめい

 なんてことはない、“鬼闘法”と“魔力感知”を両立してしまえばいいのだ。


 そんな最も賢くて、それでいて最も馬鹿な発想の末に、今の葵がいる。

 この戦いが終われば、疲労で倒れるのは間違いない。

 鬼人族の元で実験したときも、ほんの数分の使用で数時間はぶっ倒れたのだから、“鬼闘法”と“魔力感知”に、思考による敵の動きの予測まで加わっている現状で、倒れないなんて未来はあり得ない。

 だけど、今を乗り越えなければその未来すらない。

 ならば今こそ、無理の張りどころだ。


「手ぇ出せるもんなら、出してみやがれ!」


 疲労を感じさせない不敵な笑みを浮かべて、葵は敵を薙ぎ倒していった。






 * * * * * * * * * *






 葵様が啖呵を切ってからどのくらいの時間が経っただろうか。

 時間を確かめる術は既になく、肝心の睡眠欲による体内時計だって意味を無くした。

 なにせ、鮮烈で一瞬たりとも目を離せない目の前の戦いを見ていれば、眠気なんて簡単に吹き飛んでしまうのだから。


 正面でラティーフが騎士団員と時々行っていた模擬戦のような目で追うのが大変なほどに早い近接戦をエアハルトと行いながら、視界の外から迫りくる魔術を合間に斬り伏せ、ソフィアを確保しに来る組織員への警戒も欠かさない。

 八面六臂の活躍を当然のようにこなし続けるその様は、はっきり言って異常だ。

 だがその異常すらも、魅力に感じてしまう。

 吊り橋効果でそう感じているのか、危機的状況なのにもかかわらず自らの危険を顧みずに助けに来てくれているという姫のような立場がそうさせているのかはわからない。

 

 ただ一つだけ言えるのは、この場において、ソフィアという人間が綾乃葵という人間の足手纏いにしかなっていないと言うことだ。

 自分で自分の身を守れるならば、葵様の負担は激減するだろう。

 三つのうち、たった一つだけでも意識を向けなくて済むのならば、それに越したことはない。


 だが、軍と渡り合う実力を持つ組織員から自分の身を守れる気がしない。

 所詮は一学生に過ぎないのだ。

 軍の鍛錬を間近で見てきたし、召喚者が来てからはその鍛錬に身を投じたこともあった。

 だけど、両手で数える程度しか参加していない自分が、軍に所属し、それを生業としている人たちと同じ域に達したなんて思えない。

 両親や姉と比較して至らないところだらけの自分が、ならず者にせよ実力者であることに変わりがない組織員に勝てるなんて、思えるはずがなかった。


 だから、葵様から受け取った円盤を大事に抱え、足手纏いではあってもせめて邪魔にならないように、守ってくれることだけを信じて動かない。

 ジッと静止して、葵様がソフィアの周りへ攻撃を仕掛けることを躊躇わないようにだけ気を遣う。


「ッ!」

「どうした!? あんだけの大口を叩いておいてもうへばったのか!?」


 葵様がエアハルトとの戦闘を開始してから初めて傷を負った。

 頬の表面を本当に浅く切っただけの切り傷だが、その一撃は葵の疲労からくる対処の遅れから由来するものだった。

 エアハルトの仲間が集まって以降、エアハルト単体と戦っていた時よりも動きの速度と洗練さに磨きがかかっていた。

 それだけ深く集中していると言うことは即ち、疲労の溜まる速度も早いと言うことだ。

 それが表に出始めた以上、もう今までのように立ち回るのは難しい。


 たった一つの些細な物事で、集中の意図というものは途切れるということを知っている。

 初めてレジーナに攻撃的な言葉を放たれた日、いつもなら集中して取り組めている授業でそのことを思い出し、真面に授業を受けられなかった。

 それ以来、必死に慣れることを優先した。

 魔術陣の授業はカナ先生やライラちゃんと一緒に授業を受けられて楽しかったが、それ以外の学院という場所はソフィアにとって耐えるだけものだった。


 だけどあの日。

 放課後の夕暮れの中、レジーナたちに責められた時、初めて反抗した。

 あの時、どうして反抗したのかは覚えていない。

 あの時だけはどうしても耐えられなかったのか、あるいは他の要因があったのかはわからないが、反抗し、返り討ちに遭いそうになって葵が助けてくれた。

 そして、帰り道にお願いをして、答えを貰えなかった。


 今考えれば当たり前のことだ。

 葵様には結愛という好きな人がいて、自分の命と時間を懸けてまで助けたい、守りたいと思う人物がいる相手に対して自分を見ていて欲しいだなんて、まるで空気が読めていない。

 王族として何を学んできたのかとあの時の自分に物申したいくらいだ。


『ソフィアさんの姿には感服します』


 あの日、葵様から掛けられた言葉で、心にストンと落ちてきた、温かく優しい言葉。

 ラディナの為の助言で、間接的な親切と言えなくないけれど、心に残り、生きるための活力になってくれた言葉。

 ここに来て、不安と緊張で忘れてしまっていた言葉が、なぜかこのタイミングで頭をよぎった。


『だからどうか、自分を見失わないでください。今現状ではなく、未来の為にも』


 再び、葵様の言葉が頭を過る。

 葵様が直接言葉を発しているわけではない。

 今の葵様は、エアハルトと対峙し、迫る魔術を斬り伏せて、ソフィアを守ると言うことにだけ意識を向けているから。

 ならば、この言葉たちはどうして今、頭に響くのだろう。

 そんなきっかけはどこにあるのだろう。


『ソフィアさんの技術は凄いものです。きっと周りにいる人たちを基準に考えてしまうから、そう錯覚してしまうんですよ』


 ……そうだ。

 葵様はそう言っていた。

 自分に自信が持てない。

 そう言った時に、葵様がかけてくれた言葉だ。

 自分に自信を持っていい。

 それは誇るべき才能だと、そう言ってくれていた。


 あの日、知らぬ間に望んでいた、立場なんて関係ない素の称賛を受けて嬉しかった。

 そんな風に言ってくれる人がいると知れて、それも嬉しかった。

 

 だと言うのに、今は何をしているのだろうか。

 ただ座り込んで、助けを待つだけで本当にいいのか。

 嬉しいと言う気持ちをくれた人の危険を放っておいても?




 ――そんなわけがない。




 そんなことをしていては、王女以前に人としてよくない。

 自分に力がないから、自信がないから、守ってもらうだけだなんて甘えた考えは捨てる。

 自覚はないが、葵様は褒めてくれた。

 ならば、それを信じよう。


「「自分が信じられないのなら、自分を信じる葵様を信じればいい」」


 聞いたこともない構文が、ふと頭に浮かんだ。


 それに驚くのも束の間、脳裏に異常なほどの情報が流れ込んでくる。

 圧倒的な情報量を脳に叩きつけられ、その準備をしていなかったソフィアは苦悶にあえぐが、すぐにその情報が頭から消え去る。

 どんな情報があったかなんて覚えている暇がないほどに膨大な情報だった。

 だけど、思い出せる限りの片鱗から、推測できることが一つだけあった。


「葵様の頭にある情報……?」


 目の前の動き、全体の流れ、一点に近寄る存在。

 そんな断片的な情報があったように思う。

 ほんの一瞬だった。

 だから確実ではない。


 それに、どうしてそんなことが起こったのかもわからない。

 何かの魔術か、あるいは知識にない何かがあったのか。

 だけど、今のが自身に由来するものならば、きっと使いようはある。


 葵様を助けると決めた。

 守られるだけじゃ意味がない。

 もう、足手纏いで居続けるのは嫌だ。

 そんなのは、十年以上も前のあれっきりで十分なのだから。




「今度こそ、自分の手で大事な人を守るんだ!」




 ソフィアの咆哮が、その空間に響き渡った。



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