第十話 【成長と疑念と危機】
葵が到着したタイミングで、ソフィアは初めて見た時からなんとなく嫌悪感を抱く男にマウントポジションを取られ、キスをされかけていた。
それを見た瞬間、偵察としてバレないようにと隠密行動をとっていたことも忘れ、魔紋を解放し体内の魔力量を増加させた“身体強化”を使用した全力の拳を男へ叩き込んだ。
結果、想像以上の威力が発揮され、自らが齎した惨状に驚き目を丸くする。
「――あ、葵様……」
大粒の涙を溜め、仰向けで葵を見上げるソフィアの背に手を回して上体を起こす。
先ほどの男が口から噴き出した液体から守れたことを確認する。
「無事ですか?」
「は、はい。私は大丈夫です」
「それはよかった」
そう言って、手と足を拘束している縄を『無銘』で斬り、その間に脱出のプランを練る。
今しがた大きな音を立ててしまったので、早くここを出ようとソフィアを立たせる。
「あっ……」
「っと、立てませんか?」
「す、すみません。足に力が入らなくて……」
「掴まることはできますか?」
「できます」
「じゃあ俺がソフィアさんを担いで逃げます」
ソフィアが頷き答えたので、瞬時に判断を下す。
地面にへたり込んでいるソフィアの背中と膝裏に腕を入れ、そのままヒョイと立ち上がる。
所謂、お姫様抱っこでソフィアを抱え、その重さを感じさせない重量感に驚く。
「時間がないので文句はあとで。今はとにかくここから離れましょう」
突然のお姫様抱っこに驚いているソフィアが何かを言う前に、先制して釘をさす。
その言葉で何か言い淀む気配を感じたが、ソフィアは恥ずかしそうに俯きつつ、大人しく葵の首に手を回した。
心の中であとでちゃんと謝るので今は許してください、と念じつつ、動きやすい位置で調整してから、魔力の糸を圧迫しない程度にソフィアの体に巻き付けて固定する。
「しっかり掴まっててくださいね」
そう言って、葵はソフィアが拘束されていた部屋を脱した。
狭く、道がうねっている洞穴を、風の音が聞こえるほどの速さで駆け抜ける。
慣性はどこに行ったのだろうと感じさせる直角の移動を容易く行い、変わらぬ光景の洞穴を道標でもあるかのように迷わず突き進む。
「道を覚えているのですか?」
「ええまぁ」
“魔力探査”で洞穴の隅々まで見通そうかと言うほどの索敵を行いつつ、多少の整備はされているもののまだ荒い地面に足を取られないようにしながら走っているため、少し返事がおざなりになってしまった。
あとでちゃんと謝ろうと決めて走り続ける。
人が三人横に並んで通れるかどうかという細い通路を抜けて、少しだけ広い空間に出る。
部屋というには大きすぎる、集会場のような大きさのある空間だ。
「――! 止まります!」
その空間に足を踏み入れた矢先、異変に気が付いた葵が直前に声をかけて止まった。
事前の声掛けはあったが、それも直前だったので、ソフィアは疑問を抱く間もなくその静止に小さな悲鳴を上げる。
「ほぅ、気が付くか」
「危うく見逃すところだったよ。で、あんた誰だ?」
葵が見抜いた異変は、視覚的に限りなく見えづらい透明になった男だった。
抜き身の曲刀を両手に握り、防具は何もつけていない部屋着で来ましたとでも言わんばかりの軽装に身を包んだイケメンだ。
魔術か魔道具かは不明だが、何にせよ“魔力感知”でもギリギリまで気が付かなかったその精度に関心と警戒を抱き、背負うソフィアを庇う形で対面する。
「初めまして、召喚者の綾乃葵くん。俺はエアハルト。そこの王女様を
「……なるほど。じゃああんたを倒せば万事解決になるのかな?」
自らの名前を知っていると言う事実により警戒を強めて、しかしそれを悟られないように不敵な笑みを浮かべつつ訊ねた。
しかしエアハルトは葵に負けないくらいの不敵な笑みを浮かべて答える。
「そうだな。だがいくら召喚者でも、王女様を抱えた君に負けるほど弱くはないさ」
「自信を持つのはそのジャニーズみたいに整った顔だけにしとけよ」
「そのジャニーズ? とやらはわからないが、褒めてくれているのはわかるよ」
親しい友人が交わす挨拶のようなやり取りを敵意をぶつけあって行う。
その会話の間に、葵は冷静に状況を見つめ直す。
対面しているのはエアハルトと名乗った組織のリーダーのみ。
しかし、現在進行形で多くの人間がこの場へと急行しているのを“魔力探査”で捉えている。
ここに来るまでにあと少なくとも五分はかかるだろうが、エアハルトとの戦闘で時間を掛ければ、面倒なことになるのは明らかだ。
エアハルトの言葉通り、ソフィアを抱えた葵ではエアハルトを瞬殺するのは不可能だ。
なら一度ソフィアを降ろし、エアハルトを倒したのちに再びソフィアを抱えて脱出をする。
しかし、エアハルトとの戦闘に集中しすぎればソフィアの身の安全が保障できない。
ソフィアの身の安全が第一な以上、ソフィアを傍から離すのは精神的によろしくない。
「悩んでいる暇があるのか? あと一分もしないうちにうちの連中が集まってくるし、そうなればお前に勝ち目はなくなるぞ?」
「だろうな」
エアハルトの言葉に素っ気なく答え、肩越しにお姫様抱っこされているソフィアを見る。
敵から視線を外しいきなり凝視されたソフィアは自身の状況と、敵のリーダーと対面しているという状況を吟味して、葵の瞳を真っ直ぐ見返した。
「ソフィアさん、昨日の朝に渡した手紙は読みましたか?」
「……すみません。まだ読んでいないです」
「わかりました」
悲しいとか寂しいとか、そう言った感情を乗せず、葵はソフィアの返答に頷いてからゆっくりとソフィアを地面に降ろした。
何も言わずに降ろされ、葵の心情が分からず、今もまだ足に力が入らないソフィアはその場に座り込んで、不安そうな表情で葵を見つめる。
「あ、勘違いしないでください。別に手紙を読んでいないから怒って置いていこうとか、そんなことは思ってないですよ。ただあいつの言う通り、ソフィアさんを背負った状態では勝ち目が皆無だったので」
言い訳じみたことを言ったが、それがソフィアを抱えるのをやめた理由の全てなので、それ以上の弁明のしようはない。
「それと、手紙を読んでるか確認したのは、俺の覚悟を知っているかどうかの判断をしようと思っただけなので、それも今の行動との関連性は薄いです」
「覚悟、ですか?」
「そうです。口に出すには恥ずかしいことも書いたので、その部分は
流石に恥ずかしいので、と言う語尾は言わないでおく。
エアハルトをしっかりと両眼で見据え、『無銘』を取り出して正眼に構える。
「ソフィアさんに見守っていて欲しいとお願いされましたよね。あの時は色々と考えて、どうするのがわからなかったから何も言えなかった。だけどよく考えてみれば、あの質問への答えは簡単だった。だから、改めて答えたいと思います」
静かに、意思を込めた言葉を、足に力が入らずへたり込んでいるソフィアに向ける。
「俺はソフィアさんを見守ります。ラディナの為とかそんなんじゃない。俺が俺自身の為にする約束です」
「もう約束事はしないと言っていませんでしたか?」
「俺が守れないのは誓いです。そこに約束は含まれません」
その詭弁にソフィアは目を丸くして、だけどすぐに、優しく微笑んだ。
敵地のど真ん中で、敵対する組織のリーダーと対面しているとは思えない雰囲気でのやり取りだ。
「だから、そこで見ていてください。俺があいつに勝つところを」
「……はい」
葵の言葉に、ソフィアは力強く頷いた。
今の葵には、それだけで十分だ。
目の前で今のやり取りを傍観していたエアハルトに感謝を述べる。
「待ってくれてありがとな」
「構わんさ。むしろ、時間稼ぎをしてくれた君に感謝したいくらいだ」
互いに不敵な笑みを浮かべつつ言い合う。
図らずも、利害の一致が今の余裕を生み出していた。
それがなくなった以上、戦闘に意識を傾ける。
改めて魔紋を解放し、人並みにまで増えた魔力で“身体強化”を全身に施す。
広範囲を認識できる“魔力探査”を解除して、狭い範囲の精密感知を行える“魔力感知”に意識を切り替える。
必要最低限でもって、敵の援軍が来る前に片をつける。
開始の合図はなかった。
互いに最短で開いている距離を詰め、金属音を響かせながら握った得物をぶつけ合う。
鍔迫り合いもそこそこに、刀の角度をずらして刀身一本で抑えていた二本の曲刀を地面へと逸らす。
切っ先を下に向け、それを跳ね上げることで頭の腕を切り飛ばそうとしたが、寸前で岩が間に生成され防がれる。
その反応速度に舌を巻き、羨望を掻き消すように連撃を繰り出す。
身体能力は“鬼闘法”を使っている葵が上、技術的な面は得物の数でエアハルトが上なので、葵が不利だ。
現に、葵の連撃は不敵な笑みを浮かべられたまま捌かれている。
ただ、不思議と焦りはない。
ソフィアに対して恥ずかしい宣言をしたからか、自分を客観視し冷静に現状を理解できている。
今の葵に足りないものから足りているもの、正面で相対するエアハルトの一挙手一投足、背後でこの戦いを見ているソフィアの表情や動きまで、視界に映るものだけでなく葵が把握できるもの全てが、最高のレベルで認識し理解できる。
低い姿勢からの回し蹴りでエアハルトの左足を浮かせ、一回転と上体を起こす勢いを利用して空いた左脇腹に左手で拳を叩き込む。
その拳の甲を右肘で叩き落され、左手で握る刀で放った拳を叩き切られそうになるが、それは『無銘』で斬り上げて躱す。
斬り上げた反動を活かし右足で腹に蹴りを見舞い、よろめいたところに再び『無銘』で斬りかかる。
この世界に来る前から鍛えてい“心為流”の体術と、ナディアから習っている刀の二つを合わせた葵だけの戦闘スタイルでエアハルトを翻弄する。
振り下ろされる刀の腹を素手で弾くと言う相応の反応と反射の必要な行為を推測だけで為すのはかなりの度胸と胆力が要る。
だが現状を全て把握できている今の葵には、未来視と変わりない推測が可能だ。
故に、恐怖も不安もなくそれを為している。
「恐ろしい戦い方をするな? 俺にはとても真似できん」
間合いを詰め、一度呼吸を挟むために鍔迫り合いに持ち込んだところで、エアハルトが話しかけてきた。
おそらく、今の葵にしかできない刀を素手で弾くと言う行為を指して言っているのだろう。
いつもならエアハルトの言葉に激しく同意しているだろうが、今の葵にはそれが当たり前で、その集中は一瞬でも切らせたくないために、無言で膝蹴りを返事とする。
見事に決まった膝蹴りによろめき一歩下がったエアハルトへ、速攻の『無銘』を振り下ろす。
岩の魔術で器用に防ごうとするが、即席の急造では『無銘』を止めることはできない。
しかし威力と速度は落とされ、肩を服ごと裂くことしかできずに終わる。
本来なら肩を斬り落とす威力があったのだが、想像以上に岩が固かった。
だがこの戦いが始まって初めて、まともな攻撃が当たった。
浅い一撃ではあるが、それでも確実に意味のある一撃だ。
その事実を冷静に受け止め、更に攻撃を加速させる。
より深く集中し、精度の高い“魔力感知”で相手の動きを理解して先読みし、この短い間で得たエアハルトの情報から行動を予測する。
攻めの癖や守りの癖などを見抜き、それを利用して立ち回る。
テンポが速くなり、瞬きする暇すら与えない連撃を受け、エアハルトの表情が初めて苦しさに歪む。
その表情を見てもなお、葵は手を緩めない。
油断して時間をかけてしまえば、援軍が到着する。
一対一でまだこの状況なのに、多対一になってしまえばどうなるかなんて火を見るよりも明らかだ。
それに、時間をかければかけるほど、大気中の魔素を吸収し“身体強化”の糧としている葵は不利になる。
卓越した“魔力操作”によって魔力のロスをほとんどせずに済んでいる為そこまで案ずることではない。
だが援軍のことも考えると、いずれにせよ早期決着が望ましい。
だからと言って、功を急いてミスをしてしまえば元も子もない。
あくまで最優先はソフィアの奪還。
エアハルトと組織に勝利することではない。
それを頭の片隅に置いて、葵は『無銘』と“心為流”を使った独自の戦闘スタイルでエアハルトを追い詰める。
『無銘』をチラつかせ、そちらに意識を向けたら体術で殴り蹴る。
刀で斬られるよりもダメージとしては少ないが、のちにじわじわと効いてくるのが“心為流”『火の型』だ。
次第に足が思うように動かなくなり、刀を振るうのが大変になってくるだろう。
いかにその隙をつけるかが勝負の決め手となる。
「召喚者ってのは面倒極まりないな!」
苦々しい表情で悪態をつきながら、両手に握った曲刀でバツを描くように大きく振り抜いた。
事前に察知していた葵はその曲刀をジャンプして避け、上段から『無銘』を振り下ろす。
それに対応し切れず、岩の魔術も寸前で間に合わなかったエアハルトは、その一撃をもろに受けた。
肩口から股関節辺りまでをザックリと斬り裂かれ、今すぐにでも出血死しそうなくらいの血を流している。
「……ハッ。召喚者ってのがこんなに強いんなら、魔王軍に恐れる必要もなさそうだな」
「正直に言えば、あんたほどの実力者をここで死なすには惜しい。だけど、ソフィアに危害を加えようとしたお前を許せるほど、俺は優しくないんでな」
「だろうな。だが、俺もみすみすと命をくれてやるほど優しくないんだ」
エアハルトはそう言って、手に握る曲刀を振り上げる。
何をするつもりでも対処してやる、と集中を増す葵の前で、エアハルトはその曲刀で自らの胸を貫いた。
まだ傷のなかった心臓の辺りを一突きし、曲刀の鋭さと振り下ろした速度でブシュッと血が噴き出す。
何をしているのか理解できない葵に、エアハルトは痛みを痩せ我慢するような、そして戦闘前と同じ、不敵な笑みを浮かべる。
「奥の手、ってやつだ。いずれ軍にでも目を付けられた時の切り札のつもりだったが、背に腹は代えられん」
フハハハハハとでも笑いだしそうなエアハルトの周囲に結界が展開される。
それが物理も魔術も防ぐ最上位の結界であることを見抜き、それが心臓を刺したのとどんな関係があるのかと思案する葵の前で、エアハルトの傷が瞬く間に癒えていく。
傷だけでなく、葵が斬り裂いた服も、髪も、まるで時間が逆行したかのように元通りになっていく。
気が付けば、今までの戦闘が夢だったかのようなこの空間で初めましてをした時のエアハルトがそこに立っていた。
「葵様の時と、同じ結界……」
「あれが……だけどなんで傷が治ったんだ」
「教えてやろうか」
ソフィアの呟きを聞き逃さず、葵は魔人との戦闘後に自分を守って癒してくれた結界の実体を知った。
だが相変わらず、理論も正体も、誰が葵に施したのかもわからない。
そんな疑問と疑念を表に出した葵に、エアハルトは自慢げな表情でそう言って、心臓部に位置する服の内側に手を入れる。
そこで何かを探るように指を動かして、あったあったと一枚の切断されたコインを取り出した。
「これが今の結界と治癒魔術の正体だ。先代賢者が発案し実用化したパッシブマジックの完成形にして現存するものはほとんどない最上位モデル。その効果は、死以外のどんな傷でも治し、持ち主を一時的に外敵から守る結界を発動させるって代物だ」
手に持ったコインを見せつけるエアハルトに、そのコインに見覚えのあった葵はすぐにコートの内側、心臓付近に仕舞っていたコインホルダーを取り出して、中身を確認する。
そこには、ユウコから貰ったコインと、召喚された日に助けた真子お婆ちゃんからもらったコインが仕舞われている。
その二つのうち後者を取り出すと、それは少しだけ傷ついていた。
だが見間違えようがない。
あのコインと葵が持っているこのコインに描かれた紋様は何も変わらない、全く同じものだ。
「お? お前も持ってるのか! 召喚者ってのはすげぇな! そんなもんまで支給されるのかよ!」
やってらんねぇぜ、と楽しそうに笑うエアハルトに対して、今の葵の頭は疑問で埋め尽くされている。
というか、理解できずにパンクしている、と言った方が正しい。
なんで地球にいたお婆ちゃんからもらったコインがこちらの世界で使えるのか。
わからないで埋め尽くされた葵の頭に、ソフィアの悲痛な声とともにコートの裾が引かれる。
その刺激で思考の海から抜け出し、ソフィアの方を見る。
ソフィアは葵の裾を引いたのに葵の方を見ておらず、後方――葵たちの来た道を見据えていた。
ソフィアの視線の先を見てみれば、そこにはゾロゾロとエアハルトの仲間が集ってきていた。
葵にとって来てほしくなかった未来で、エアハルトにとって待ち望んだ未来が、ここに訪れてしまった。
「さぁて、召喚者綾乃葵……どうする?」
エアハルトのその言葉は、絶望を告げる鐘の音そのものだった。
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