第六話 【手掛かりへの一歩】
シンヤから話を聞き終えた葵は、ラディナたちと地下路線を使って帰路についていた。
「召喚の対象が、召喚という儀式より以前に召喚されるなんてことが、あり得るのでしょうか?」
「異世界から人を喚ぶということ自体が初めてだし、そう言った想定外は往々にして起こるものだとは思うけど、流石にラディナの言ったことが起こるかどうかはわからない。ただ俺は、可能性は限りなく低いと思う」
帰り道の電車に揺られながら、葵はラディナの問いにそう答える。
召喚に至るまでのほとんどが初めての連続であるため、統計的なデータは元より、想像すら覚束ないという事実しかない。
「黒髪の少女、と言うのは、本当に結愛様なのでしょうか?」
「……間違いないと思う。その少女の容姿も生き方も、結愛と一致してたし。ただ大前提として、未来――この場合、
過去に起こったことが未来に影響を与える、という話はよく聞く。
有名なもので言えば、バタフライエフェクトがそれにあたるだろうか。
ただその逆は信じられないし、そもそも理解もできない。
葵自身が考え方を改めない限り、おおよそ理解できない領域だから、考えるだけ無駄なのだ。
だが今回に限り、そこに結愛が関わっている可能性がある。
結愛が関わっている以上、葵としては放置できない問題でもある。
故に、特徴からして絶対の自信をもって言えるはずの言葉が、言いきれない。
「もし仮に、未来の召喚が過去に影響を与えたとして、その影響を一身に受けた結愛さんは無事なのか?」
「それもわからない。ただ黒髪の少女が結愛だと仮定して、“黒の聖母”イコール黒髪の少女なら、多分無事ではあると思う」
「じゃあなんで“黒の聖母”が直接人助けをしないのかな?」
ソウファの言葉に、葵は言葉を詰まらせる。
それは、想像もしなかったこと――否。
想像したくもなかったから、考えている間に思考の隅の隅に追いやった
考えなければならないことだが、考えたくはないという矛盾を抱え、葵は自分の心が押しつぶされそうになるのを感じた。
「この話は一旦やめよう。今やることは、これからやることの整理だ」
強引に話題を変えることで一時的に逃げることに成功した。
そのまま口早に、順にやりたいことを羅列していく。
一、ムラトたちが見たという結愛の手掛かりを探ること。
二、黒髪の少女が魔物を狩ったとされる灰の森に行き、何かの手掛かりを探ること。
三、刀術を学び、大戦での勝率と生存率を上げること。
四、落ち着いたカオルから話を聞くこと。
「ざっとこんなところか」
「二に関しては、一に繋がる可能性があるので優先するべきかと思います。灰の森は、ここから北西に一週間ほどの距離にあったはずです。“身体強化”で走れば、三日ほどで着くかと」
「その間に、刀は完成するだろうし、師匠についてきてもらったら刀も教えて貰えるか……。じゃあそれで行こうか。灰の森から帰ってきたら、カオルさんから話を聞こう」
葵の決定に、ラディナたちは頷いて答えた。
旅支度に関しては今日中に整えるとして、何が必要かを移動中に話しておく。
二駅を通過して第零区に到着し、電車を降りてラディナたちには灰の森へ行くための準備をお願いし、葵は少し寄り道をする。
改めてカオルに話を聞くために、組合へと足を進めた。
まだ一日しか経っていないから、それほど有力な情報は得られるとは思っていないが、こちらも念のため、だ。
「お疲れ様です。カオルさんはいらっしゃいますか?」
「すみません。カオルは本日は休みを取っております」
「あ、そうなんですね」
まだ昨日の出来事が尾を引いているのか、あるいは葵の圧で必要以上に負担を強いてしまったのか、あるいは単純に休みだったのかはわからないが、ともあれカオルがいないのであればここに用事はない。
ラディナたちに合流して旅の準備を手伝おう、と踵を返そうとした。
「綾乃葵。ちょっといいか?」
「ヒトミさん、でしたよね? 組合長の」
「ああ。カオルのことで、少し話したいことがある」
真剣な表情でついてきてくれ、と言ったヒトミに従い、後ろを追従する。
昨日カオルと話をした部屋でヒトミから茶を出されて、ソファに腰を落ち着ける。
「それで、話とは?」
「カオルが今日休んでいる、というのは聞いていたな?」
「はい」
「昨日カオルは、君が帰ってから、一年前の衝撃的な出来事を一番近くで体験しておきながら、その内容をほとんど覚えていないという矛盾について考えていたんだ」
カオルは葵に怯えていたように見えたが、そのあとですぐに立ち直った、ということだろうか。
シンヤから聞いたカオルという人物像ならそれもおかしなことではないと思うが、初対面の印象が強く残っているせいで微妙に信じ難い。
「おそらく、色々と考えたのだろう。でも結論は出なかった。そりゃあれだけ君に迫られても思い出せないことを、一人で考えて思い出せるなら苦労はしない」
その通りですね、と頷き、続きを促す。
「夜も相当に更けていてね。カオルに帰るように言ったんだ。時計を見て、カオルも頷いた。だがそこで、カオルは不思議なことを言ったんだ」
「不思議なこと、ですか?」
「ああ。カオルは、自分の家の場所がわからない、と言ったんだ」
「……それは、引っ越したばかりで道を覚えていないとかそういう?」
葵の疑問に、ヒトミは首を横に振って否定する。
「カオルは実家暮らしだ。カオルが生まれてから二十年近く住んでいるから場所は忘れるはずもないだろうし、ここに勤めるようになってから一年近く経っている。そんなカオルが、何の前触れもなく家の場所を忘れると思うか?」
「……俺が色々と負荷をかけたことがきっかけで忘れてしまった、とか?」
ヒトミは再度、葵の質問を否定する。
「可能性がないわけじゃないが、おそらくそれはないはずだ。昨日も言ったと思うが、カオルは今日の出勤時点で様子がおかしかったんだ。いつもは元気を他人に分け与えてるのかと言わんばかりに
ヒトミのフォローに安心しつつ、ならいっそわけがわからなくなった、と葵は首を捻る。
家の位置がわからない、と言うのは、例えばこの国を離れて数十年経っていて、久しぶりに帰ってきてみれば区画などの道が分からなくなっていて――のようなものであれば理解できる。
あるいは、記憶障害などで家の場所を忘れた、とかだろうか。
ただカオルは、昨日も家から出勤してきたはずなのだ。
その時点では、家の場所というのは頭に入っていなければおかしい。
つまり、家を出てから組合に着くまでの間に、何かがあった、ということだろう。
「カオルさんの家へ確認は?」
「行っている。カオルを送っていくついでに、色々と聞いた。結果、朝家を出た時点ではいつも通りだった、とのことだ。病院で検査してもらって、しばらくは休んで養生してもらうつもりだよ」
「だから休みだったんですね」
しかし、なおのことわからない。
何があってカオルの記憶が消えるようなことがあったのか。
可能性があるとすれば、何かの事件に巻き込まれたとかしか考えられない――
「――昨日、
「……ああ。その可能性は真っ先に考えた。何せ、カオルの出勤時間と被っていたからな。だがわからない、というのが答えだ。そのいざこざの犯人はどちらも捕まっていない上、当の本人は覚えていないから、巻き込まれたかどうかも不明なんだ」
「ですが、その可能性は高いでしょうね」
葵の言葉に、ヒトミは頷く。
ふぅと小さく溜息を吐き、ヒトミは自分の淹れた茶を煽る。
「最近は物騒になったものだな。世界一事件の少ない国、という名前も、王国に献上する日も遠くないかな」
「大変そうですね」
全くだよ、と葵の言葉に同意しつつ、ヒトミは天井を見上げる。
葵も釣られて天井を見るが、そこにはただの天井しかない。
蛍光灯が明るく輝いているくらいだ。
きっと、空でも見上げたい気分だったのだろう。
「君はこれからどうするんだい? 十二区の組合で情報収集をしてきたんだろう?」
「はい。そこで、自分の探し人が一年前の黒髪の少女、という可能性が高いと再認識したので、灰の森に行こうと思います」
「そうか。灰の森は北にあるからここよりも少し寒い。それと、数日はただの平原しかないから、薪は用意していかないと夜に困る」
「ありがとうございます。買い足しておきます」
葵は会話を締めて、ソファから立ち上がる。
ドアの前に立ち、そしてふと思い出したことを口にした。
「そう言えば、ヒトミさんは“黒の聖母”をご存じですか?」
葵の何気なく聞いた質問に、ヒトミは驚きの表情を浮かべた。
そこでそのワードが飛び出すとは思っていなかった、というような表情にも見える。
「ああ、知っているよ。有名だからね。それが何か?」
「あいえ。黒髪の少女が“黒の聖母”なんじゃないかって、カオルさんの教育係をしていた人と話し合ったので、どこにいるとか知らないかなーと」
そもそも表に姿を現さずに有名になった人物なので、ダメもとだ。
もとより答えが得られるなんて期待はしていない。
「すまないね。どこにいるかはわからない」
「そうですよね」
ヒトミは、申し訳なさそうに言った。
だがもとよりダメもとだった葵としてはダメージは少ない。
今日はお世話になりました、と礼を言って部屋を出る。
「だが、“黒の聖母”が灰の森と関係がある、という話は聞いたことがある」
「それは本当ですか!?」
ヒトミの言葉を聞いて葵は即座に振り向いて、ギャグマンガもびっくりな速さでヒトミに詰め寄った。
急に眼前数センチに葵の顔が現れたように錯覚したヒトミは、それに驚き硬直しつつ、葵の言葉に答える。
「あ、ああ。あいや、本当かどうかはわからない。噂程度で聞いた話だからな。確証があるわけじゃないんだ。期待させてしまったならすまない」
「いえ、こちらこそ。急に女性に顔を近づけてしまってすみません。でもありがとうございます」
ヒトミの齎してくれた情報は、偶然というには些か神懸っている。
結愛である可能性が高い黒髪の少女イコール“黒の聖母”が、
ともあれ、灰の森に向かうべき理由がもう一つ増えた。
これで結愛の情報を掴めたら文句なしだな、と淡い期待を胸に抱きつつ、自分に冷静になるように訴えかける。
深呼吸を一つして、落ち着きを取り戻し、ヒトミに改めて礼を言ってから組合を出た。
ヒトミとの話し合いを終えた葵はラディナたちと合流し、ヒトミの助言通り色々と買い足した。
気が付けば夕日が沈み、月が闇夜を照らしていた。
夜になれば町が暗くなる、なんてこともないため、慌てることなく宿に戻った。
「遅かったね」
「あ、帰ってたんですね、師匠」
部屋に入ると、ベッドに腰かけ、とても動きやすそうなパンツタイプの寝間着に身を包んだナージャが、丁寧な所作で刀を磨いていた。
その刀身を見るのは二回目だが、やはり目を奪われる。
しかし、既に一度見ていたからか、思いのほか意識から外すのは簡単で、ナージャの言葉にすぐに応えられた。
「師匠じゃない。それで?」
いつものやり取りをしつつ、ナージャが首尾を訊ねてくる。
それに苦い表情を浮かべつつ答える。
「はい。色んな意味で、芳しくはなかったです」
「と言うと?」
「食事にしながら話します。師匠は?」
「私は食べた。ご飯はゆっくり食べていい。あと、師匠じゃない」
ナージャの言葉に甘え、葵たちはルームサービスを利用する。
届いたそれを食べて終えてから、ナージャに経過報告をした。
もちろん、そこにはヒトミとの会話で得た新たな情報もあったので、ラディナたちにも通告する意味がある。
終始、刀を磨きながら相槌を打つこともなかったので、本当に葵の話を聞いているのか疑わしいところだが、時折、エルフの特徴的な耳がピクピク動いていたので聞いてはいただろう。
「――というような具合でした」
「そう。私は森についていけばいい?」
「あ、はい。そうしてくれると助かります」
「わかった。準備は?」
ナージャは拍子抜けなくらい、あっさりと同行を許可した。
どうやって説得しようか考えていたのがアホらしくなるくらいにそれはもうあっさりと。
想定外だがありがたいことなので、内心で感謝する。
「もう済ませてます。明日の朝には出ようかと」
「わかった」
葵の報告を聞いて、短くぶっきらぼうにそれだけ答えると、ナージャは刀を鞘に納め、ベッドに横になった。
まるで、話はこれで終わりだ、とでも言いたげな様子だ。
ただ一つだけ、どうしても聞いておきたかったことを、背を向けてベッドに横たわるナージャに問うた。
「あの師匠。未来で起こったことが、それ以前の過去に影響するなんてこと、あると思いますか?」
その質問に、ナージャはピクリと耳を動かした。
それを見逃さなかった葵は、後ろを向いたまま沈黙するナージャの背中をじっと見つめる。
「……魔法や魔導、恩寵には時間に関わるものもあると聞く。だから未来で起こったことが過去に影響を与える可能性はゼロじゃない」
「でもその場合、その未来ではあり得なかったことが起こる可能性があるわけで、その未来が変わって、過去に影響を与える事象が起こらない場合もあるんじゃ?」
「未来が過去に影響を与えると仮定して、その影響を起こした未来から見た過去と、影響を受けた過去は、それ以前が全く同じでもその時点から別の運命を辿り、並行世界として成立すると考えられる」
私たちに、それを観測する術がないだけで、と興味なさげにそう付け加え、ナージャは口を閉じた。
ナージャの言葉を聞いて、葵は一理あるな、と頷いた。
もしナージャの言葉が正しいとすれば、召喚という事象が起こり、過去が変わった。
しかし変わった過去と、影響を与える未来は別物であるため、召喚は行われ、葵たちが喚ばれた。
そこまで考えて、葵は疑問を浮かべる。
「しかし葵様。それでは、結愛様はこの世界にいない、ということになりませんか?」
「……うん。俺たちが今に、結愛は過去に召喚されたなら、結愛のいる過去の世界から派生した並行世界にいるわけで、俺たちのいる世界とは違う世界線を辿ってるってことになる、よね……」
もしそうなれば、その黒髪の少女とやらは結愛などではなく、ただ偶発的にその場に居合わせただけの、容姿も生き方も、結愛に酷似しただけの少女となる。
つまり、結愛はこの世界にはもう存在しない――
「――私の言ったことはあくまで可能性。全てが正しいわけじゃない。そこを忘れて絶望に浸るな」
葵が最悪の未来を想像し、吐きそうになる前に、ナージャがそうフォローした。
背を向けて、こちらを見てはいないが、それでもその言葉が、葵を気遣ってくれたものだというのは理解できた。
相変わらず、ぶっきらぼうではあったが、それでも、どことなく温かさを感じた気がした。
尤も、それ以上の感情が籠っていた気もするが。
葵は深呼吸をして、両手で頬をパチンと叩き、気合を入れなおす。
「……うん。そうだ。まだそうと決まったわけじゃない。まだ根拠はないんだ。絶望するのはそれからでも遅くない。ありがとう、師匠」
「……師匠じゃない」
ナージャの言葉が、嫌に寂しげに聞こえた。
翌朝。
葵たちは首都ウィルの外である、北の門の前にいた。
葵たちはいつもと同じ姿で、ソウファだけが唯一、人型になっているから服装が違う。
年相応の女の子らしい服装ではなく、機動力を生かすパンツスタイルの洋服だ。
人型になり、体の動かし方が変わったたとはいえ、身体能力は葵を背に乗せながら“身体強化”ありの ラディナと並走できるレベルのままだ。
故に、見た目を第一にした服装ではなく、機動力を損なわない服装になっている。
そしてもう一人、今までの旅にはいなかった人物がいる。
言わずもがな、葵に刀を教えてくれるナージャだ。
ナージャの服装は、最初に会った時と同じで黒いローブに身を包んでいる。
エルフという種族は大気中にいるとされる精霊との親和性が高く、それをより強度なものにするために肌を晒すと本で読んだが、ナージャにそれを重視する気配は見られない。
全身を覆うようなローブを着ているし、その下に着ている服もタイツやアンダーシャツのようなもので覆っていて、その上に薄緑のエルフっぽい服装を着ている。
精霊との親和性云々はわからないが、寝間着と同じで、動きやすさを第一にした服装だ。
「改めて確認。灰の森に行き、ある程度探したらここに帰ってくる。その道中、私は葵に刀を教える。合ってる?」
視線の先にいるナージャが振り向いて、葵に問いかけた。
今はフードを被っていないので、綺麗な薄緑のセミロングの髪が翻る。
「間違いないです。お願いします」
「ん。後ついていくから」
「はい」
最後の確認をして、ナージャは先を促した。
それに従い、葵は灰の森へと駆け出した。
ソウファが人型になったことで思考か“魔力操作”のどちらかを犠牲にしなければならない、という問題があるが、以外にもソウファの加護の吸収率が高く、加護による負荷が軽減されている気がしないでもないので、問題はないだろう。
ラディナたちは、言うまでもなく“身体強化”でついてきているし、ナージャも余裕といった様子が見受けられる。
ムラトたちには“身体強化”を施したままの移動に驚かれたが、エルフの間ではこれが主流なのか、全く驚かれなかった。
ただそこに疑問を抱かないでくれるのは説明の手間が省けるので、丁度いい。
そんなことを考えつつ、その日は走り続け、夜を迎えた。
どのくらい移動したかはわからないが、少なくとも首都ウィルの城壁は見えなくなっている。
ウィルを出てからしばらくは平原が続くため、薪の用意ができないからと準備をしていた甲斐があり、既に手慣れた野宿の準備を完了させた。
「師匠――」
「師匠じゃない」
「……落ち着いたら始めましょう」
「わかった」
相変わらず葵たちのことを君呼びしかしてくれないが、それでもめげずに師匠と呼んでいればいつかは心を開いてくれるはずだ、と言う安易な考えで師匠呼びを続ける。
食事を終え、しばらくのんびりと瞑想をして、ナージャに稽古をつけてもらう。
いつもの服装のままナージャの前に立ち、焚火の光が届く範囲で離れて、腰に携えた刀を抜く。
「まずは基本。刀を真っ直ぐ振る所から」
「はい!」
ナージャの手本を見て、葵も倣って刀を上段から振り下ろす。
ヒュッ、と気持ちの良い風切り音を立てて振り下ろされるナージャの刀に対し、葵の刀はフォン、と少し勢いが感じられない音を鳴らす。
「力が入りすぎてる。余計な力は抜いて」
「はい!」
ふぅ、と息を吐き、もう一度上段に構える。
先ほどのナージャの素振りをイメージし、それをなぞるようにして刀を振り下ろした。
すると、先ほどよりも若干鋭くなったような気がする風切り音が鳴った。
「……センスがいい。じゃあ今の音を連続で百回出せるまで続けて」
「連続で百回ですか?」
「そう。間違いがあったら都度指摘する」
無言になったナージャは、だからやれ、と圧をかけているようにすらみえる。
あこれマジなやつだ、と戦慄しつつ、丁寧にナージャの動きをなぞる。
ナージャの素振りを思い出し、自分の体で再現するイメージをして、そうするためにどこに力を入れるかを考えて、その思考通りに体を動かす。
時折、ナージャに動きの乱れを指摘されたり、実際に手本を見せてもらいながら、それを繰り返した。
いつの間にか、水平線に近い位置にあった月は見上げるまでに昇っていた。
ソウファは人型での長距離移動で疲れたのか、アフィを伴って既に就寝していた。
しかし、集中している葵は気が付かない。
「ん。百回終わり」
「ふぅ……」
「葵様」
ただ素振りをしただけなのに、とんでもない量の汗をかいていた。
それを察していたのか、ラディナは葵の傍にタオルと水を持って控えていた。
礼を言ってタオルを受け取り、とりあえず見える範囲での汗を拭う。
「次は水平斬り。また百回ね」
「はい!」
ラディナにタオルを返却し、水を煽ってからまたナージャの前に立つ。
そして再び、同じことを繰り返す。
こうして、一日目の夜は更けていった。
「おはよう、主」
「おはよう。眠れた?」
「眠れた! 主は寝てない?」
「あ、わかる?」
朝日が昇り始めたタイミングで、ソウファが目を覚ました。
早寝早起きは成長にも繋がるので、とても良いことだと感心する。
「うん! なんかとっても疲れてる!」
「ソウファに分かるくらい目に見えるかぁ。相当疲れてるんだろうなぁ」
ソウファに心配をかけないように、なるべく軽い言葉遣いで返答する。
「夜中、ずっと稽古してたのか?」
「いやそれが師匠が思いのほかスパルタでね! もう大変だったのよ!」
「師匠じゃない。それに、私の師匠なら百回じゃ済まさない。優しい方」
どれだけ大変だったかを大仰に伝えようとしたが、当の本人からぴしゃりと否定された。
字面はきっとそんなことないのだろうが、口数が少ないためにそう聞える。
ラディナが用意してくれた朝食を食べて、今日も今日とて移動する。
順調にいけば、今日で灰の森がある獣人の国に負けず劣らずの大森林に着くだろう。
ともあれ、そこから一日二日しなければ灰の森にはつかないので、まだ道は長い。
昼間は走り、夜は鍛錬し、確実に行こう、と葵は北東へと走り出した。
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