第五話 【師匠】
ナージャを師に迎えたことで、葵は刀を学ぶことになった。
なので、葵の好みと体格、筋力などから最適を導き出し、ケンジがその要望全てを叶える刀を打ってくれると約束してくれた。
完成までは、一週間ほどかかるらしい。
最初に聞いた通りだな、なんて思いつつ、ケンジとその仲間に挨拶をして、工房を出る。
階段を上り、武器が陳列されたフロアへと戻ってくる。
「あ、お疲れ様です」
「ああ。先ほどはどうも」
「体調はどうですか? 工房に長い間いて、気分が悪くなっていたりしませんか?」
そこには、店番をしていたであろう、最初に応対をしてくれた少女がいた。
彼女は葵たちを見つけるや否や、心配そうな顔でそう迫ってきた。
とても真剣にこちらを案じてくれているのが分かり、その優しさが心に沁みる。
同時に、そう在りたいと常々思ってきたが、未だにそうなれない葵の心はダメージを負う。
尤も、そんな些末なことで彼女の優しさを受け取らないわけにはいかないので、それは心に留めておき、葵は
「心配ありがとうございます。今のところ、そう言った支障はないので大丈夫ですよ」
葵の後ろにずっと控えていたラディナも、その背中で眠っていたソウファも、葵とケンジのやり取りを興味深そうに眺めていたアフィも、時折、ケンジとのやり取りに助言をくれたナージャも、みんな元気そうだ。
というか、現状もラディナの背中でスヤスヤと寝息を立てているソウファは、あの熱い工房でも寝苦しくなかったのか、と少し驚く。
寒い地域で暮らしていたはずだが、熱耐性も備えているのか、と疑問が生じる。
アフィは普通に熱そうだったので、単に“銀狼”という種族がそう言った性質なだけかもしれないが。
「そうですか。皆様お強いのですね……。もし気分が悪くなったら、喚起のいい場所でたくさん息を吸って、脇や首などを冷やすと少しは良くなるかもしれません」
「ありがとうございます。えっと……」
きちんとアフターケアまでしてくれる彼女に礼を言おうと彼女の名前を口にしようとして、そう言えば名前を聞いていなかったことに気が付いた。
葵が言葉に詰まったことでそれを察したのか、彼女は名乗ってませんでしたね、と言って会釈をした。
「私はユウコって言います。葵さん……でしたよね?」
「はい。また一週間ほどしたら刀を取りに来ますので、その時はよろしくお願いします。ユウコさん」
「はい! ではまた!」
ハキハキと接してくれるユウコに見送られ、葵は鍛冶屋を後にした。
鍛冶屋を出て深呼吸をすると、とても澄んだ空気が肺に流れてくる。
ユウコの言っていた言葉が、ようやく理解できた。
「空気が美味いな」
「そうですね」
「熱源が直接そこにあったからな」
それぞれは葵の言葉に追従して意見を述べる。
アフィの的確な言葉に同意しつつ、前で太陽の光に手を
工房では刀に見惚れていたのと、溶鉱炉の光でよくわからなかったが、ナージャの容姿はかなり目を引くものだった。
まず目に入るのは髪だ。
太陽の光が透き通るくらいの薄い緑色の髪をしている。
異世界で見かけた人のほとんどが茶色系統だったからか、とても新鮮だ。
次に目だ。
光り輝くんじゃないかってくらいに綺麗な金色をしている。
ちょうど、ソフィアとは髪と瞳の色が逆になっているのか。
顔立ちは美形でかっこいい系。
スタイルはローブに隠れてわからないが、その横幅から推察するに結愛と同じスレンダー体型だろう。
極めつけはナージャの耳だ。
あれは異世界ではよく聞く、エルフという種族の持つ長い耳だ。
工房でもフードを取っていたのに、全く気が付かなかった。
本当に、刀にご執心だったのだろう、と自分の不甲斐なさに辟易する。
葵がナージャを観察していると、当の本人は徐にフードを被った。
「そんな見つめられると照れる」
「え、あっ、すみません」
思いのほか初心なのか、葵がナージャを観察していたことに気が付き頬を染めて――はいなかった。
先ほどと変わらず、感情の乗らない言葉で、如何にも照れた女性の言うような発言をしていた。
無口なんじゃなくてクール系なのかもしれない、なんて考えを改めていると、ナージャが葵に話を振った。
「これからどうする? 今から始める?」
その言葉は、おそらく刀を教えるのを今からにするかどうか、という意味だろう。
先ほど、ケンジが強引にも似た形でナージャに対し、葵に師事するように言ったわけだが、どうやらナージャはそれを全うしようとしてくれているらしい。
だが――
「――ナージャさん。その前に一つ、言っておかなきゃいけないことがあります」
「何?」
「ここではあれなので、とりあえず宿に行きましょう」
「わかった」
葵の言葉にナージャは素直に頷く。
正直、出会ったばかりの異性から「話があるから宿に行こう」なんて言われて、頷ける人なんてそうそういないだろう。
それが葵を信頼しての返答なのか、あるいは葵が何か不埒なことをしても対処が可能だという自信の表れなのかはわからないが、ひとまずは葵の身の上の話をするための場を整える。
そもそも、こちらは不埒なことをするつもりなど毛頭ないのだから、気負う必要はない。
そう考えなおし、十数分歩いて葵たちが泊っている宿の部屋に到着した。
「それで、話って?」
部屋に着くなり、フードを外し、開口一番ナージャは訊ねた。
目を真っ直ぐ見据えて訊ねるナージャに、座ってくださいと促して、真剣な表情で応対する。
「話す内容は二つあります。一つは俺の立場、もう一つは目的について」
「目的はケンジから聞いている。大戦だろう?」
「それも間違ってはいませんが、正確に言えばそれは通過点です」
葵の返事にナージャは疑問の表情を浮かべる。
ナージャの反応を見て当然だな、と思いつつ、それの説明に入る。
「それを説明するために、まずは立場の方から説明させてもらいます――」
ナージャが頷き、葵は話した。
自分が三か月ほど前に異世界から召喚された人間であること。
ラディナは葵に与えられた従者で、ソウファとアフィは道中で仲間になった魔物であること。
召喚と同時に行方不明になった、結愛という家族を探していること。
その手掛かりを見つけたとこの国を訪れたこと。
最終的に元の世界に帰るためには、魔王軍と戦い勝利しなければならないこと。
「――以上になります」
それらを、淡々と、なるべく感情の乗らないように伝えた。
ナージャは葵が話している間、口一つ挟まずに静聴してくれていた。
「私に刀を習うのは、その通過点を通過するために必要だから、ということでいい?」
「はい。その過程で、自分は結愛に関する情報があれば今やっていることを放り出して、真っ先に向かいます。なので、こちらの事情に巻き込む可能性が極めて高くなります。それでも師匠は、俺に刀を教えてくれますか?」
葵の質問に、ナージャは深く考える。
目を閉じて腕を組み、俯きがちに。
数瞬ののち、ナージャは口を開いた。
「私の目的の進路と、君の目的の進路が重なっている間は、最大限手を貸すよ。でももし、違う道を行くことになったら、私は君たちを切り捨てる」
「はい。それで構いません」
葵の即答に、ナージャは少し驚いたような表情になる。
それを受けて、何か? と訊ねる葵に、ナージャはやはり面を食らった表情のまま呟いた。
「君は目的の為なら手段を選ばない人だと思ってた」
「ああ。そういうことですか」
確かに、手段を選ばないのであれば、ナージャの申し出は少し考えるところがあるだろう。
何せ、ナージャの目的とやらの詳細が分からず、いつ違う道を行くかもわからない相手に、何かを教わるなんて未来のない方法は、リスクが高い。
手段を選ばない人種なら、こんな申し出は断るか、多少の迷いの末に、譲歩の道を探るだろう。
例えば、せめてナージャの目的を教えて欲しい、とかだ。
だが葵は、そんな状況なのにナージャの提示した条件に即問題ないと頷いた。
葵が手段を選ばない人種だと思っていたからこその驚きだ。
確かに、葵が葵のままであれば、結愛を探すために手段は選ばなかっただろう。
そもそも現状からして、葵は手段を選んでいない。
結愛捜索のために組合へ破格の依頼料で依頼を出し、その担保に国の名前を借りて、国王の権限と召喚者の権限を最大限利用してここまでやってきた。
だがそこには、葵の絶対に譲らない一線があっただけ。
「単純な話です。結愛を救うために手段は選んでない。でも、その手段の中に救った結愛を悲しませることをしない、という線引きがあるだけです」
「それは、大切な人を失うことと天秤にかけても変わらないの?」
「……正直なところ、結愛を失った俺がどうなるか、全く予想がつかないんです。生きる気力を失うのか、狂乱に陥るのか、あるいはもっと悲惨な何かがあるのか」
結愛が死んでしまった以上、葵が生きている意味はない。
すぐに、結愛の後を追うだろう。
もし仮に他殺であれば、結愛を殺したやつを地の果てだろうが地獄の果てだろうがどこまでも追っかけまわして、生きていたことを後悔するくらいの拷問の末に、食わずに生きていられる限界まで、生死を彷徨わせ続けるくらいのことはするだろうが、どのみち、葵はそのあとに死ぬ。
地球で葵たちの帰りを待っているだろう家族には申し訳ないが、一足先にあの世へ行って、結愛の両親に『約束は果たせませんでした。すみません』と謝ることになるだろう。
結愛を救えないということは、イコール葵の死だ。
だからこそ、葵は生存本能を持つ生物として、手段を選んでなんかいられない。
でも――
「――例えば結愛を救って、でも救ったその手が血に塗れていたら、それは嫌でしょう? 結愛は優しいから、
「そんなんじゃ、救えるものも救えないよ」
妙に実感の篭った、圧のある言葉だ。
きっと過去に、ナージャも何かあったのだろう。
この言葉は、すでに似たような道を辿ってきた先人からの助言なのだ。
だとしても、葵の心は変わらない。
「いいんです。だって、そこを曲げて結愛を救っても、結愛は喜ばない。他人の為に自分を犠牲にする
結局は、全てが結愛の為なのだ。
葵という人間がどこまでも結愛を想い、結愛の為に尽くしても、結局、結愛を尊重する。
その為なら、おそらく結愛を殺すこともするだろう。
そして、大切な人を守るために大切な人を殺すという矛盾を抱えて、苦しみ藻掻き足掻いた末に死ぬ。
綾乃葵という人間は、そういう壊れた
「――羨ましい」
「? 何か?」
「なんでもない。君の言いたいことはわかった。その上で、私は君に刀を教えよう」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
立ち上がり、ナージャは葵の目を見てそう宣言した。
その綺麗な金色の瞳に映る葵の表情がパァッと明るくなる。
葵もナージャに倣って立ち上がり、右手を差し出して握手を求める。
差し出された手を前に、一瞬ナージャがびくついたように見えたが、すぐにそれを握り返すことによって応える。
「そうだ。一つ言い忘れてた」
「何でしょう?」
思い出したようにナージャは言った。
ナージャは疑問の表情を浮かべる葵の瞳を見据えて一つだけ言った。
「私を師匠と呼ぶのはやめて、」
「では俺のことは葵って呼んでください」
「それは嫌」
「じゃあ師匠呼びは確定ですね」
こうして、葵に師匠ができた。
* * * * * * * * * *
ナージャとの呼び名をどうするか問題は平行線になったためそこで打ち切り、葵たちは昼食を取った後、十二区外周部の組合に赴いた。
理由は、一年前の事件を調べ、結愛に繋がるかもしれない情報を得るためだ。
昨日カオルという受付嬢に話を聞いたが、よく覚えていないようだったので、他に事情を知っている可能性のある人のいる組合に向かうのだ。
ただ、こちらはあくまで念のため、というくらいだ。
実際に担当をしたのはカオルだけであり、その周りにいた人はほとんどがその事件に関わりを持っていない。
なので、あくまで念のため、だ。
ちなみにだが、ナージャはいない。
一時間ほど電車に揺られ、第零区から第十二区の外周部の組合に着いた。
第零区組合のビルのように、ビル全体が組合になっているのではなく、ビルの一から三階部分が組合のフロアとなっている。
とはいえ、他の国の組合と比較しても遜色ない大きさを持っている。
一階が受付で二階が食事処、三階はその他の部屋が並んでいる形だ。
「すみません。一年前に、カオルという人が担当した魔物が現れた事件について、どんな小さなことでもいいので関わりのあった人っていらっしゃいますか?」
「一年前の事件、ですか? 少々お待ちください」
組合に入って受付嬢にそう尋ねると、少し疑問の表情を浮かべながらも受付の奥へと入っていった。
アフィが
数十秒ほどして、先ほどの若い受付嬢が、少し恰幅の良い男性を連れて戻ってきた。
「お待たせしました」
「いえ。そちらの人は?」
「初めまして。私はカオルの教育係を務めていたシンヤと言います。カオルから少し話を聞いているので、お力になれるかと思います」
そう自己紹介した男性に案内され、三階の会議室で話をすることになった。
長机と椅子が十数脚あるだけの質素な部屋で、対面する形で座る。
「その事件についてですが、まずカオルの名前を知っているということはカオルからすでに話を聞いていると考えていいですか?」
「はい。昨日、十二区の組合でカオルさんから話を聞かせてもらいました。ただ、カオルさんはその件をよく覚えていなかったようなので、他に知っている人がいるかもしれないここに来ました」
「なるほど。当時カオルはここに勤めていましたからね。……しかし、カオルが当時の事件を覚えていない、といったのには、少し違和感を覚えます」
「違和感、ですか?」
葵の疑問に、シンヤは神妙な顔で頷いた。
「当時、カオルはその話を嬉々として私にしてくれました。『この国で誰も体験したことないことを経験しちゃった!』と新しいおもちゃを買ってもらった子供のように
シンヤの言葉で、葵は頭上に疑問符を浮かべる。
その言葉通りであれば、カオルは嘘をついたということになる。
だが葵の目から見て、カオルが嘘をついている様子はなかった。
観察眼に優れたラディナもそう言っていたし、おそらくそれに間違いはないはずだ。
そうなれば、シンヤが嘘をついているということになる。
そう考えて、葵はラディナに視線を向ける。
その視線の意図を察したのか、ラディナは首を横に振った。
つまりそれは、シンヤは嘘をついていない、ということだ。
カオルは事件のことを覚えていないと言い、シンヤはカオルは事件のことを覚えているだろうと言っているという矛盾に、頭を悩ませる。
しかも、信頼できるラディナの目から見ても、二人は嘘をついていないと言うのだから、余計その真実が分からなくなる。
「……考えても答えは出なさそうなので、シンヤさんがカオルさんから聞いた話というのを聞かせてください」
「わかりました――」
シンヤは丁寧に、カオルから聞いた話を伝えてくれた。
自然発生の魔物を始めて見たこと。
ダンジョンに出てくる魔物よりも顔が怖く、体も大きくてびっくりしたこと。
でも体の構造はカオルの知るものと大差なく、授業で習った通りだったこと。
共和国初の出来事を対処して、同期や先輩と話すきっかけができたこと。
そのせいで、マスコミやら野次馬やらに注目されて、大変だったこと。
それを、魔物を連れてきた共和国でも滅多に見かけない、飲み込まれそうなくらいに綺麗な黒目と黒髪を持つ美人な少女が庇ってくれたこと。
「――それでも、この国の五千年の歴史において初めての事件らしい事件に、騒動は収まる気配を見せなかった。だから、カオルの安全のために、一時的に他の組合へ転属させる形になった。転属先を知っているのは、私とここの組合長と転属先の組合長、そしてその提案をしてくれた総理だけだ」
シンヤの言葉を聞いて、葵はやはり違和感を覚えた。
そこに出てくるカオルは、シンヤの言ったように子供のようで、昨日会って話を聞いた人物と同一人物なのかを疑うほどだ。
十中八九、昨日のカオルはおかしかったのだろう。
教育係という一番近いと言っても過言ではない距離で接していた人間が見てきた人間の性格やら何やらが、僅か一年程度で根底から覆るはずもない。
そもそも、ヒトミが『カオルの様子がおかしい』と言っていたから、それが事実な可能性は高い。
それともう一つ、嬉しい情報が聞けた。
それは、魔物を連れてきた人間の容姿のことだ。
共和国は黒目黒髪の割合が高いが、それははっきりと黒目黒髪というわけではない。
黒っぽいや一見すると黒、というものが多くであり、日の光や蛍光灯など、強い光の下では黒に見えない髪を持つ人が大多数を占める。
そんな中で、“共和国でも滅多に見かけない、飲み込まれそうなくらいに綺麗な黒目と黒髪”と表現したカオルの言葉は、それが結愛だと断定しても問題ないくらい有益な情報だ。
もちろん、断定はしない。
というかできない。
ここで結愛が一年前に魔物を連れてきた、ということを断定するには、まだ明確に不足しているものがある。
それは、召喚された日時と事件の日時の問題だ。
葵たち召喚者が召喚されたのが約三か月前で、その事件が起こったのが一年前。
つまり、そこで結愛が魔物を連れてくることが、まずもって物理的に不可能なのだ。
なにせ一年前に結愛は、この世界にいないのだから。
だがありえないわけじゃない。
この世界には魔術が存在し、その中には時間を操作するものもあるという。
尤も、それは全員が扱える魔術という枠から外れた、初代勇者とその仲間が使ったとされる魔法や魔導、あるいは神が使うとされる神通力などと呼ばれる代物に近いが。
ともあれ、そう言った言葉がある以上、可能性は限りなく低く、物理的には不可能であるが、極小にも満たない可能性があるというだけで、調べる価値はある。
そして、その可能性を高める言葉が聞けたことが、葵にとっては何よりの成果だ。
「一つお聞きしたい」
「何なりと」
「その魔物を連れてきたという黒目黒髪の美人な少女とやらは、まだこの国にいますか?」
「わからないな。ただその女性に関してだと思われる噂なら、ここ一年でたくさん聞いているよ」
「それは?」
「まず前提から話そうか。この国の依頼を見てもらえばわかるんだが、まず魔物の盗伐依頼はない。何せ、魔物がダンジョンにしかいないんだからね。でも組合がたくさんある理由は、人手を必要としている人がたくさんいるからだ」
「知ってます。元は人助けが主流だった、万事屋のようなものだった組合が他国に広まり、魔物を討伐できる人間がそれを始めてから、一番需要のあるものとしてそれが残り、主流になっていったと」
葵の言葉に、シンヤは頷く。
「その通りだ。そしてその依頼の半分以上が、企業や会社などから出されているものだ。その個人が辞める、あるいは会社からクビにしない限り給与の発生する正社員やアルバイトなどではない、一時的に力を貸してくれて、こちらの都合で切ることも容易である万事屋、というのは、重宝されるからね。そしてそれ以外は、個人が出しているものだ。子守や買い出し、人探しや物探しなどが主だね」
「へぇ……」
それは知らなかったな、と葵はシンヤの説明を興味深く聞く。
組合で依頼を見る機会は何度かあったが、その時は結愛の依頼の進展の有無だけ確認していたから、その辺に目が行っていなかった。
「ここからが本題。この一年で、個人依頼が極端に減った。正確に言えば、依頼が出されてからすぐにその依頼が完了されるんだ。前までは早くとも半日は残っていたはずの依頼が、数時間程度で完了されている、というような感じでね」
「……それを、その黒髪の少女がやっていると?」
「いいや。その依頼完了までが早いのは、うちだけじゃない。他のどの組合でもだ。この国に全部で三十七ある組合の依頼が、更新されてから僅か半日足らずで全て解決するなんて常人にできる技ではないよ」
その通りだ、とシンヤの言葉に頷く。
確かに結愛なら、そう言った依頼を見たら、何か特別な事情でもない限り、報酬や見返りなどを見ずに即引き受けるだろう。
しかし、いくら多才な結愛も、あくまで人間だ。
この広い国において、その依頼量を一人でこなし続けるなんてことは、それこそ不可能だ。
「その依頼を受けているのは、あくまで別々。ただ、組合ごとに決まった人が、その依頼を受けているらしい」
「……例えば、この組合でAとBとCという人がいて、その三人がローテーションを組むようにして、個人の依頼を受けていて、他の組合ではD、E、FやG、H、Iといった人たちが、それぞれの組合で依頼を受けている、と?」
「その通りだ。説明が下手だったね」
シンヤの説明を解釈し、理解した。
しかし、その説明に黒髪の少女がどう関わってくるのかがわからない。
「その例を使わせてもらうよ。A、B、Cと言う人たちと、D、E、Fという人たちに直接の関わりはない。共通点も多くないんだ。身分も性格も、貧富の差も何も、明確にこれだ! と言えるものがない。ただ一つだけ、その人たちは依頼を完了したあとで、依頼主に言う似たようなフレーズがあるそうだ」
「それは?」
「『助けがいるなら助けを。救いがいるなら救いを。依頼主の望みを可能な限り叶えよう。だから遠慮なく“黒の聖母”を頼って欲しい』と」
「一気に胡散臭くなりましたね」
「ええ。ですが、事実として“黒の聖母”を頼って欲しいと言った人たちの仕事ぶりは、人気があるんです。中には、“黒の聖母”を指名して依頼をしてくる方もいるくらいに」
如何にも怪しげなその文言を言うだけの実績は残しているということか、と葵は納得する。
部外者も甚だしい葵たちがいくら胡散臭いと言っても、当事者の間では何の問題もなければ、それ以上こちらが口を出す権利はない。
「その“黒の聖母”っていうのは、何かのクラン――パーティですか?」
「いいえ。そのようなパーティは申請されていません。ただ、そこ“黒の聖母”、というのが気になったんです」
「それが一年前の黒髪の少女に関わってくると?」
葵の質問に、シンヤは頷き、人差し指を立てて、まず一つ、と前置きする。
「“黒の聖母”、という名前が広まり、こうして指名されるまでになったのは、ここ数か月です。それまで、似たような文言で触れ回っていたとして、この国全土に広まるまでには最低でも半年は必要でしょう。その前段階も含めれば、ざっと一年ほどの期間は必要だと考えます。そして一年前に絞り、“黒”に関する事柄を調べたら――」
「その黒髪の少女が浮上した、と」
「はい。もちろん、これだけでは証拠たり得ません。何せ、今の推理は、推理ともいえないこじつけに近い暴論です」
その通りだ、と葵は頷く。
確かに、シンヤの言うことは間違ってはいないだろうが、それでも飛躍が過ぎると言わざるを得ない。
人のイメージカラーとして挙げられやすい髪と目の色から、黒と連想づけるのは自然と言えるが、それは推理材料の一つで推理そのものたり得はしない。
「なので、私はもう少し深く、掘り下げることにしました。興味本位、というのが一番の動機ですが、もし“黒の聖母”というのが個人を指す言葉で、それが一年前、魔物を連れてきた少女ならば、カオルを庇ってくれたことへの礼もしたい、という気持ちもありました」
独白するように、シンヤはそう言った。
葵は静かに、言葉の続きを待つ。
「そして調べた結果、“黒の聖母”の文言を最後に言う人たちに、たった一つだけ、共通点があることが判明しました」
「……それは?」
「“黒の聖母”という人物が実在し、その人物は見惚れるような黒い髪と瞳を持っていること。“黒の聖母”を文言にしている人は皆、“黒の聖母”に助けられた過去があり、組合に申請していない、“チルドレン”というグループで活動している、ということです」
シンヤの発言から、とても詳しく調べ上げたことが分かった。
手段はわからないが、ここ数か月で浮上してきた正体不明の人たちのことをここまで調べるのは、簡単なことではなかっただろう。
「そこまでの情報を調べ上げるのは、大変だったのでは?」
「……いや、お恥ずかしい話、“黒の聖母”を文言にしている人から直接聞いたのです。情報を隠すつもりがないらしく、むしろこうやって広めていって、多くの人を救えるようになりたい、と接触した人は言っていました」
シンヤは頭を掻きつつ、恥ずかしそうに言った。
確かに、葵が想像していたよりもだいぶ楽に情報収集をしていたようだが、そこにかけた時間と熱量は認めるべきだろう。
「……そうなんですね。その組合に申請していないグループというのは、組合の立場からして認めているんですか?」
「ああ。組合に申請していないと、魔物の盗伐時の階級差が出る、というデメリット以外、何も不都合はないし、組合を通して依頼のやり取りをしてくれているのだから、むしろ依頼主の依頼を素早く達成している、という点において感謝しているくらいだ。パーティの申請をしていない、という点では、葵さんたちも同じでは?」
「なるほど確かに。ではシンヤさんは黒髪の少女に出会えたんですか?」
葵の質問に、シンヤは首を横に振った。
そして悲し気に、ポソリと呟くようにして言った。
「会えていない。そもそも“黒の聖母”を文言にしている人ですら、“黒の聖母”に会ったことがあるのは助けられた時のたった一度だけで、それ以来会うことも、話すこともできていないそうだ」
「……そんな状況なのに、“黒の聖母”を文言にして人助けをするんですね」
「それほど、“黒の聖母”に感謝しているということだろう。彼女の目的がそもそも、“人助け”らしいからね」
「……」
その言葉を聞いて、葵は考えた。
もし黒髪の少女と“黒の聖母”が同一人物だとして、それらがイコール結愛である可能性。
まず外見の容姿はカオルと“黒の聖母”が文言の人たちの証言から、綺麗な黒髪と黒目。
次に中身だが、黒髪の少女は困っていたカオルを助け、“黒の聖母”は人助けをしていて、それは助けた人たちにまで伝播している。
そして結愛の容姿は、日本人でも滅多に見ないくらいに綺麗な長い黒髪と、漆黒の瞳を持っていて、性格的な面で言えば、他者を助けることを生きがいにしている。
証言と葵の知る結愛は、ほとんど一致する、という結果になった。
これだけで結愛だ! と考えられなくもないが、そうなればまた問題は浮上する。
というより、これよりも前に分かっていた、根本的な問題。
それは、三か月前の召喚で一年前に召喚されるという矛盾だ。
タイムリープやそう言ったものは地球において全てが空想でしかなかったので、現実に起こるとどうなるかはわからないが、そもそもこれはそんな次元の話ではなくなる。
現在で行われたことが過去に影響するという、因果関係という言葉を無視するかのような現象の説明がつかない。
現在は過去の積み重ねであり、未来は現在の積み重ねである、という持論を持つ、葵の考えからすれば、到底理解の及ばない領域だ。
なので、一旦考えるのは止めた。
わからないことを考えるのは、今じゃなくていい。
そう結論付けて、葵は立ち上がる。
「お話聞かせていただき、ありがとうございました。参考になりました」
「それはよかった。僕の方でも、カオルに話を聞いておくよ。また聞きたいことができたら、いつでも来てくれ。その時にはまた違う情報を渡せるように調べておくよ」
「よろしくお願いします。では俺は一度、黒髪の少女が魔物を連れてきたとされる灰の森に行ってみようと思います」
そう言ってシンヤと握手を交わし、組合を後にした。
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