第四話 【出会い】




「たった一年前の、それも五千年の歴史を持つこの国で起きた初めての事件を担当しておいて、覚えてないってのは信用できないな」

「そうは言われましても……当時の私はまだ新人で、事件だなんだと色々な人たちから話を聞かれて大変だったんです。どんな容姿の人が連れてきたかなんて覚えてません……」


 葵の少し強めの口調に怯えつつ、しかしちゃんとした対応をする目の前の女性は、一年前、共和国建国から初めての魔物出現事件に関わった受付嬢のカオルだった。

 カオルは身を縮こませ、肉食獣から睨まれながらも必死に耐えている小動物のように、小さく小さくなっていた。


「葵様。落ち着いてください」

「……ああ」


 ラディナに窘められ、自分がカッとなっていたことを自覚し、大きく深呼吸をして出された茶を飲み干す。


「怯えさせてしまいすみません。俺はただ事実が知りたいだけなんです」

「は、はい。でもすみません。本当に覚えてないんです。あの時はマスコミや見ず知らずの人からも質問攻めにされて、それもあってここに転属されることになったんです。だから……その」


 カオルの言葉を聞いて、それが思い出したくもない過去だということがわかった。

 誰しも一つくらい、そんな過去を持っていてもおかしくはない。

 今回の場合、カオルにとってはそれが思い出したくない過去だったのだろう。

 葵がカオルを呼んだ時でさえ、少しびくついていたから、元々顔見知りするタイプの人なのだろう。

 だったら、見ず知らずの人から詰め寄られれば、怖いと感じてもおかしなことじゃない。

 単に、葵がそのトラウマを想起させるような人物だとわかった故の反応だったのかもしれないが。


「あなたはその事件のことを知らないのですか?」

「事件自体は知っているさ。でもそれだけ。その事件に関わりもしていなければ関わろうともしなかったからな」


 葵はこれ以上カオルに聞くのは酷だと思い、葵は話を聞く相手を、壁に背を付けて腕を組んでいるここの組合長のヒトミに変えた。

 態度自体は凄く女性とは思えないが、そのさっぱりとした態度とは裏腹に凄く親しみやすいと評判らしいヒトミは、葵の質問に毅然とそれに答える。


「カオルさんから聞いたり……は、できませんよね」

「話したがらないことを無理やり話させる趣味はないからね。他に、この事件に関わった第十二区外周部の組合に行ってみたらどうだ?」

「んー……この事件は話題の大きさとは対照的に担当した人が少ないと聞いていたんですけど」

「それでも行ってみると意外と、なんでこともあるかもしれないよ」

「そう、ですね。そうしてみます」


 葵がヒトミの言葉に頷く。

 すると、ヒトミはちょいちょいと手招きした。


「今日、カオルは朝からどこか上の空だったんだ。だから、何か辛いことでもあって、今は記憶が混乱しているのかもしれない。また日を置いてから来てもらったら、何か変わっているかもしれない」

「わかりました。ではまた後日、訪問させていただきます。カオルさん、嫌なことを思い出させてしまっていたらすみません。これは謝罪の意だと思って、受け取ってください」


 カオルの前に金貨を三枚置いて、ヒトミにも挨拶をして組合を出た。

 外は変わらず明るかったが、先ほどまでの熱量はなくなっていた。

 月がもうかなり高いところまで昇っている。


「ごめん、遅くなっちゃったね。早く戻ろうか」

「主、お腹空いた」

「ごめんね。宿に着いたらすぐにご飯にしよう」

「やったー!」


 子供のようにはしゃぐソウファを尻目に、葵は何か、物凄い見落としをしているのではないかと、そんな不安に苛まれていた。






 その日の夜。

 宿に戻った葵はソウファが人型になったため部屋を取り直し、三つベッドがある部屋にいた。

 部屋についてすぐにソウファを風呂に入れ、ラディナに色々教えてあげるように言った。

 その間、アフィに今日のソウファの様子を尋ね、四足歩行から二足歩行になって初日だが、もうコツを掴んだのか、走る動作は簡単にできるまでに成長しているらしい。

 まだ細かい動作は苦手なようだが、それでも初日でこの成長っぷりは目を見張るものがある。

 前世は人だったのかもしれないな、なんて冗談を言い合いつつ、風呂から上がってきたソウファ、ラディナたちと夕食を取って、その日は床に就いた。


 葵はベッドに寝転がり、天井を見上げながら悶々とした気持ちを抱えていた。

 欲求不満なわけではなく、今日の出来事のことだ。

 一つは夢で出会った初代勇者のこと。

 一つは気が付いたら寝てしまっていたこと。

 一つは二つのことの直前が全く思い出せないこと。

 一つは一年前の事件のこと。


 主にその四つが、今のところ葵を悶々とさせている原因だ。

 ともあれ、そのどれもが解決するには手間のかかりそうなものばかりだ。

 それが余計に、葵を悶々とさせる。


 それに――


「初代勇者の言っていたあれって結局何なんだ……?」

「何かあったのですか?」


 葵の小さな呟きを、ラディナが拾った。

 声の方に視線を向ければ、布団に入ったまま、こちらを窺うようにして見ているラディナの姿があった。


 一瞬、夢の中で初代勇者と会ったことを話すべきかどうか迷う。

 それは、初代勇者の言っていたことを伝えていいかを考えたからだ。

 何せ、彼女の言っていたことは、この国を建国から縛り、自身の思うがままに操ってきた、と言っているのに他ならないからだ。

 たとえ、ラディナがこの国とは縁もゆかりもないとしても、何らかの影響があるかもしれない。

 初代勇者という存在は、それほどまでにこの世界の人からは大きなものなのだ。

 そこまで考えて、ふと葵は思い出す。


「ラディナって初代勇者のこと、どう思ってたっけ?」

「特に何も。初代勇者様が行ったことはこの世界の改革ですが、直接私に関係のあることではありませんので。それが何か?」


 昔、そんなことを聞いたような覚えがあった。

 だから、改めて聞いたのだ。

 葵は自分の記憶が正しかったことになんとなく安堵し、ラディナに体を向ける。


「さっきの質問に答えるよ。何かあったのかって質問。今日、ラディナたちが俺を起こすまでの間、夢を見たんだ。そこで、初代勇者と会って、話をした」

「初代勇者と? しかし初代勇者は既に故人。会話などできるのですか?」

「初代勇者曰く、俺と初代勇者は同じ恩寵を持っていて、それを介して初代勇者が残した意識というか記憶というかと話をした感じらしい」

「そうなのですね。葵様は“魔力操作”の練度だけでなく、恩寵まで初代勇者と同じものだったのですね」

「“魔力操作”は正確には同じじゃないけどね。とにかく、夢の中で初代勇者と話した。時間がなくて聞きたいこと全部聞けたわけじゃないけど、一つだけ、お願いされたことがある」

「それは?」


 真剣に葵の言葉を聞いてくれるラディナに、葵は荒唐無稽で、しかし事実であるそれを口にする。


「この国にかけられた呪いとやらを解いてほしいってことを、お願いされた」

「呪い、ですか?」

「うん。科学を使用した武器の製造禁止と、それの伴う輸出入の禁止、の二つらしい」

「科学を使用した武器、というのは何かわかりますか?」

「たぶんだけど、銃とか核爆弾とかじゃないかな」

「……それはどういったものなのでしょうか?」


 この世界に来て共和国まで旅をしてきて、疑問に思ったことがあった。

 それは、移動にひと月ほどかかる距離における無線通話や、組合などで使われているデジタル要素そのものであるタブレットやデータバンクなる言葉、他にも板ガラスを多用できるレベルの科学力があるのに、武器や兵器として、その科学力が発揮されていなかったことだ。

 異世界モノにおけるテンプレは、科学力が低く、主人公の知識で科学を発展させたり、あるいは自分のものとして他の誰にも扱えない武器として利用したりといったものが多かった。

 もちろん、科学の発展した異世界もあったが、その場合は武器や兵器としての利用がされている。

 それなのに、この世界には他の異世界モノを凌ぐ科学力がありながら、武器や兵器としての科学利用がされてこなかった。

 その原因が、初代勇者が仕掛けたこの呪いだ。

 そして、科学を利用した武器や兵器が存在しないのだから、銃や核爆弾なんて単語を聞いてもラディナは理解できない。

 ラディナの知識が浅いのではなく、この世界に普及していないのだから知る由もないのだ。


「銃っていうのは、本体と弾があって、本体についてる引き金を引くことで球の中にある火薬を爆発させて、球の先を打ち出して攻撃するっていう遠距離で使用できる武器のことで、使い方さえわかれば誰にでも扱える、という最大の利点がある」


 右手で銃の形を作って見せて、葵は知る限りの知識で銃の説明をした。

 葵も一時期、ピストルやら拳銃やらにハマっていたことはあるが、専門的な知識を持っているほど詳しいわけではない。

 だから、少し雑な説明になってしまったとも思う。


「その“銃”は強いのですか?」

「人を殺すくらいなら簡単にできる」


 葵が淡々と告げた事実に、ラディナは驚きの表情を見せた。

 その反応は予測できたが、それでもこの事実は、あくまで地球でのことだ。


「でも多分だけど、この世界だとそこまで有効にはならないと思う」

「どうしてでしょうか?」

「この世界の人は、みんな身体能力が高い。それに伴って、動体視力や反射神経もね。それに“身体強化”によってそれを引き上げることもできるでしょ? 人を簡単に殺せるとは言ったけど、それはあくまで避けられなかったらの話で、この世界の人なら避けられると思う。だから多分、有効にはならない」


 ラディナもそうだし、ラティーフやアヌベラなど、この世界の人間は身体能力が高い。

 弾丸の速さは秒間数百メートルから数千メートルと聞いたことがあるが、少なくとも前者ならば、ラディナたちは避けられるだろう。

 後者ともなればわからないが、少なくともそれらはスナイパーの部類だったはずなので、そもそも使われたら避けようがない。


「“銃”というのもわかりました。おそらく“核爆弾”というのも、相当強いものなのでしょう。ですが、それらの製造を禁止していた理由も、今更それらを解禁する理由もわからないのですが」

「それは俺にもわからない。ただ初代勇者は俺の知らないことを色々教えてくれた。だから少しは、それに報いたいとも思っているし、何より大戦において、銃が使えるようになったらこっちの戦力を増強できる。だから、出来れば解呪したい」

「……わかりました。それで、その呪いの解呪方法とは?」

「ああ、それは――」


 ラディナに解呪方法の説明をしようとして、その方法が頭に浮かんでこなかった。

 ボケるにはまだ早いだろ、と思いつつ、記憶の中を探り、そして一つの答えに辿り着く。


「――解呪方法、聞いてないや」






 * * * * * * * * * *






 解呪方法が分からず、先に進めなくなったその話をやめて、葵が初代勇者から聞いたことをラディナに話した。

 途中で話声を聞いて起きたソウファとアフィも交え、夜も更けってきたころに話を終えた。

 明日も色々な場所に行く予定があるからだ。

 尤も、中途半端なところで起こしたせいでソウファは朝食の時からとても眠たそうだった。

 アフィは寝不足と感じていないのか、いつもと変わらない様子で、ラディナもいつも通りだった。

 昔の葵であれば確実に欠伸の一つや二つや三つはしていたので、二人の睡眠耐性に脱帽する。

 そんなことを考えつつ、葵は朝食を取りながら今日の予定を話す。


 今日は、昨日のうちに訪ねる予定だった武器屋に行くことにしている。

 武器というのは一日や二日でできるものではないし、昨日、最有力でもあった人から話を聞いたが、有力な情報を得るどころか疑問を抱えることになってしまったことで、少し心が折れかけてしまった、という理由がある。

 今までのように、何の情報もないまま日にちだけが過ぎていく、というのも中々心にくるものがあったが、今のように、情報があって、もう少ししたら手が届くかもしれないのに手が届かない、というのも、中々に辛い。

 そんなわけで、気分転換も兼ねて武器屋に行くことにしたのだ。


 朝食を終え、支度を済ませた葵たちは、零区に程近い三区の内周部に位置する武器防具を扱う鍛冶屋のいるお店の前にいた。

 高層の建物の多いこの国には珍しく二階しかない建物で、レンガや石などを基調とした重厚な建物だ。

 他の建物と比較すると些か古臭さが拭えないが、それでもその面構えは歴史を感じさせる。

 それに何より、他の建物にはない煙突があった。

 モクモクと煙を上げているわけではないが、それでもしっかりと煙突が存在している。


「ここがコージ様のお薦めされた武器屋ですか?」

「そうだね。“イワダテ武防具店”って看板あるし、会ってると思うよ」

「なんかこの町に馴染めてない感じがすごいな」

「スケスケじゃないですね、主」


 その建物を前にアフィとソウファはそれぞれ感想を述べる。

 と言っても、ソウファは夜中に中途半端なタイミングで起こしてしまったせいか、少しうつらうつらと眠たそうにしている。

 眠たいならホテルで留守番していてもいいと言ったのだが、嫌だ、と首を振って眠気と戦いながらここまで歩いてきた。

 アフィ曰く、早めに人の姿での生活に慣れたいんじゃないか、とのことだったが、単に一人で留守番をしているのが寂しいという説も、アフィは提唱していた。


 ともあれ、葵はその建物の正面にある、重たそうな岩の扉を開ける。

 想像していたよりも随分と軽いその感覚に驚きつつ、来店を判別するための鈴が鳴った。

 心地よい音色を響かせるそれを聞きつけたのか、戸棚の奥から一人の女の子が姿を見せた。

 とてもこの店の店主とは思えない風貌で、ラフな服装をした黒目黒髪短髪の十七歳くらいの細身の女子だ。


「いらっしゃいませ! 本日はどのようなご用件でしょうか!」


 元気よく張り上げた声は、老若男女問わず聞きやすい声だった。


「今日はこの国の首相のコージ・ハツカさんからの薦めで、武器を作ってもらいに来ました」

「……あ、えと、店主を呼んでまいりますので少々お待ちください!」


 葵の言葉に、目の前の女子は少し驚き、しかしすぐに仕事モードに切り替えたのか、そう言って店の奥に走っていった。

 首相の薦めで来た、ということに驚いていたような気もするが、何かそれ以外の思惑を感じるが、まぁいいか、と葵は少女が戻ってくるまで店内を見て回ることにした。


 戸棚には、主に剣や槍や棍棒などのオーソドックスな武器から、ファンタジー世界ではよく見かけるモーニングスターやブーメランなどの遠距離系の武器、あとは盾などの手持ちのできる系統のものが多く見受けられた。

 “イワダテ武防具店”という名前なのに対して防具が少なすぎる気がするが、一階が武器系統、二階が防具系統と分けられているのかもしれない。

 そんなことを考えつつ一階をウロチョロしていると、会計を行うレジの奥からトットット、という先ほどの少女の足音と、もう一つは少女の足音と比べると少し重い足音が聞えた。


 すぐにレジの奥にある暖簾から、先ほどの少女ともう一人、がっちりとした体格の青年が姿を見せた。

 こちらも黒目黒髪で、少女よりもなお短いベリーショート。

 服装は白いのタンクトップにダボっとしたズボン、そしてオレンジ色の生地の厚いエプロンだ。

 こちらは少女よりも肌を晒す服装で、仕事でできた鍛えたわけではない自然の筋肉が、惜しげもなく晒されている。


「あんちゃんがコージの依頼を受けてきたっていうお客さんか?」

「そうです。綾乃葵と言います」

「わかった。じゃあついてきな」


 青年はそれだけ言うとスタスタと来た道を引き返していった。

 思いのほかあっさりと会話が進み、これだけ、と疑問に思っていると、先ほどの少女が顔を覗き込んできた。


「大丈夫ですか? ケンジさんの熱気に当てられましたか?」

「ああいや、首相の薦めってどういうことだとか、それが本当なのかとか、そういうやり取りをするものだと思っていたので少し呆気に取られていたというか」

「ケンジさんは数日前にパ――首相から連絡を受けていたんですよ。念のため、聞いていた容姿と同じかの確認に来たんだと思います。それと、今日は大きめの案件があるから、時間が惜しいんだと思います」

「そうなんですね」

「おーい! 早くこっちこーい!」


 少女とそんな会話をしていると、暖簾の奥から先ほどの青年の声が聞こえてきた。


「説明ありがとうございました。行きますね」

「はい。これから行かれる場所は鍛冶場でかなり温度が高いので注意してくださいね」

「忠告、ありがとうございます」


 少女に頭を下げて、葵は暖簾をくぐる。

 蛍光灯が照らす二、三人が通れる幅の広い階段を抜けて、再び暖簾をくぐるとブワッと熱気が葵たちを襲った。

 その熱風に思わず顔を顰め、目を閉じてしまう。

 しばらくしてその熱に顔が慣れたのを認識して目を開けると、そこには溶鉱炉や熱した鉄を打つ重厚な台などが多数点在する、工房のような場所に出た。

 そこでは三名の男性と一名の女性が今も鉄を打っており、ピンと張りつめた空気はこちらにまで伝染しそうだ。


 さてケンジはどこだろう、とあたりを見回すと、ふと入り口から左の方の台の上に丁寧においてある一振りの刀に目が行った。

 鞘に収まるそれがなぜ刀だと断定できたのかはわからないが、とにかくその刀は葵の気を惹きつけた。

 色は鍛冶場にある溶鉱炉の火に照らされてはっきりと判別しづらいが、おそらく黒を基調にした、緑のアクセントのある色のように見える。

 某怪物狩りのゲームに登場する緑色の雷光を放つ竜の武器みたいなイメージ、というのが妥当だろうか。


「こっちだこっち」


 その刀に見惚れていると、右の方からケンジの声が聞こえた。

 声の方を見てみれば、暖簾から顔を出しているケンジが手招きしていた。

 そちらに向かい暖簾をくぐると、そこそこ広めの部屋に、背の高い広く頑丈そうな机があった。

 葵が来たのを確認すると、コージは手に持つバインダーに挟まれた用紙をトントンとペンで叩きながら口を開いた。


「まずはお前の体を測る。お前にあった武器を探すためだ。そこから、お前の望みとか好みを反映して武器を作るから、完成までは一週間くらいを目安に考えてくれ。もし待てないってんなら上の武器から選ぶことになるがどうする?」

「今は急ぐ必要はないので、測定からお願いします」

「わかった。少しくすぐったいかもしれないが、我慢してくれよ」


 そう言ってケンジは持っていた用紙とペンを置き、葵の体を服の上から触りだした。

 脱がなくてもいいのか、とも思ったが、上に着ているコート以外だと肌着のようなものなので、測定にそこまで支障はないのだろう。

 しばらく体をまさぐられ、ケンジはそれを用意していた用紙に書き込んでいく。

 そこに書き込んだものを見て、ふむ、と一つ頷いた。


「ちょっと待っててくれ」


 そう言うと、ケンジは近くにあった扉を通って、さらに奥の部屋へと入っていった。


「主、少し寝ていいです?」

「……いいけど、熱くないか?」


 ソウファが眠たそうに目を擦りながら絞り出すようにして言った。

 ここは先ほどの工房らしき場所の真隣だ。

 鉄を溶かすほどの溶鉱炉の熱量は、暖簾一枚でどうこうなるものではなく、向こうよりはマシ程度にしかなっていない。


「大丈夫。ラディナお姉ちゃん」


 ソウファは葵の心配も他所に、ラディナの方に両手を広げる。

 それを受けたラディナは葵の方を見て、視線で大丈夫かと訊ねてくる。

 意図が分からず、しかしなんとなく、呼び名と態度から色々な情景を察し、とりあえず頷いておいた。

 ラディナはそれを受けてソウファの前に背を向けてしゃがみ込み、ソウファはその背中におぶさった。

 どうやら、また葵の知らぬ間に、二人の仲が進展していたようだ。


 その光景に何とも微笑ましいものを覚えつつ、ケンジが戻ってくるまでの間が暇になったので、どうしようかと悩む。

 ムラトたちと旅をして、色々教えていてわかったのだが、葵の武器として重宝してきた“魔力操作”の練度が上がりにくくなっている。

 正確に言えば、上がらなくなったのだ。

 たった三か月で完成される才能などもはや才能とは呼べないかもしれないが、葵は暇さえあれば“魔力操作”の練度を上げていたし、何なら暇でなくとも“魔力操作”を使っていた。

 才能の範囲が少ない分、それを誰よりも伸ばせ、と師範に教わってから、苦手分野をどうこうするのではなく、まずは得意分野を徹底的に鍛える、という方針をしてきた結実ともいえるが、それにしても完成までが早すぎる。

 たとえば野球の才能を持っていたとして、四六時中野球に没頭できる環境があったとしても、素人がたった三か月でプロの中でもトップレベルになれるか、と言われたら確実にノーだ。


 ここで考えられる結論は二つ。

 一つは葵の修練方法が間違っているという可能性。

 今まで行ってきた“魔力操作”を精密に、高速に、という鍛錬以外の何かがある可能性だ。


 もう一つは、初期値がアホほど高かったため、それを才能と間違えた可能性。

 ステータスで例えれば、初期値の平均からずば抜けていたが、成長できる限界は他の誰とも変わらないくらい、という可能性だ。


 “銀狼”の加護の影響で、思考か“魔力操作”のどちらかにしか全力を振れない以上、もっと“魔力操作”の練度を上げて、大戦までには“銀狼”の加護を持っていながらその両方を扱えるようになっておきたいので、出来れば前者であればいいなと思う。

 とりあえず、ここで考えていても何も進まないので、何かパッと思いついたことをやろうと考える。

 そして、葵は暖簾から顔を出して、先ほどの工房を覗く。

 先ほど見惚れた刀をもう一度だけ、見たくなったのだ。


 葵が顔を出した正面の、先ほどまでケンジと似た格好をした人たちが刀を眺めていた場所には、黒いローブに身を包んだ、一人の女性が立っていた。

 葵が先ほどまで、思考に耽っていたせいで“魔力感知”による探知を切っていたからか、女性の接近に気が付かなかった。

 言葉で表しづらいが、独特な雰囲気を持つ女性だ。

 その女性は先ほどまで端の方に置かれていた刀を手に取っており、鞘からそれを引き抜いていた。

 惜しげもなく晒されたそれは、やはり葵の目を奪うほどに綺麗だった。


 よく剣と刀の違い、というようなお題で、剣は叩き切ることに重きを置き、刀は斬ることに重きを置いているといわれることがある。

 しかしそれにしても、葵の目に入るその刀は異常じゃないか? と自問する。

 何せ、その刀の刀身は紙と見紛うくらいの薄刃で、切っ先を向けられたら刀身がどこにあるか見えなくなってしまうんじゃないかというほどに薄い。

 それに、刀――この場合は日本刀だが、日本刀は砂利での戦いを想定し、刀身は砂利と同化しやすい鋼色をしているが、この刀は刀身が鞘と同じ黒ベースの緑のアクセントがついている。


「どうしたあんちゃん? 頭隠して尻隠さずに工房なんか眺めて」

「え? ああ、さっき向こうにおいてあった刀を眺めてたんだよ。なんか妙に気になっちゃって」


 目立つ色してるなぁ、なんてことを考えつつ、その刀身をまじまじと見ていると、背後から声をかけられた。

 そちらを振り向けば、頑丈な机に次々と武器を並べていっているところだった。


「刀? ……ああ、ナージャのか。あれの刀身は紙くらい薄いからな。あれの調整は骨が折れた」

「ええ。見ましたよ。凄いですね、あれ」

「ん? 見た? 刀身をか?」

「はい。今そこで丁度、女性が刀を抜いてますので」


 葵がそこまで言うと、ケンジはああ、そうだった、と思い出したかのようにして、武器を丁寧に机に置き終えると、ちょっとすまんな、と言って暖簾をくぐって工房に戻っていった。

 それを疑問に思い、ソウファを背負うラディナと顔を見合わせて、暖簾から工房を覗いた。


「早いな。今日の夕方ごろって話じゃなかったか?」

「これがないといまいち調子が出なかった。調整は?」

「しっかりやっておいた。いくらこれが頑丈だって言っても、もう少し丁重に扱って欲しいものだな? これほどの刀を調整するのは楽しいが、その分大変でもある」

「丁寧に扱ってる。ただ使用頻度が高いだけ。それよりも、そっちの子は?」


 ケンジと黒ローブの女性の話を盗み聞きしていると、唐突にこちらに視線を向けられた。

 あはははは、と作り笑いを浮かべつつ、頭を引くことで暖簾による視界ガードを試みる。


「さっきも随分熱心にこの刀を見てたみたいだけど」

「盗み見では飽き足らず盗み聞きまでしてしまい、大変申し訳ありません」


 日本人のとりあえず謝罪がここでも発揮され、葵は反射的に頭を下げた。

 そんな葵に、女性は何も調子を変えることなく答える。


「構わない。それよりも、この刀を見ていた理由を聞いてもいいかな?」

「……特に深い理由はありません。強いて言うなら……そうですね。目を奪われ、心に焼き付いたから、でしょうか?」

「……ふーん」


 一瞬、何かうまい言い訳をしようとしたが、自分が嘘を得意としないのは身に染みてわかっているので、素直に答えた。

 その返答に、女性は関心したような、納得したような息を漏らす。

 何が彼女の関心を引いたのかわからないが、ひとまず間違えた答えを言ったわけではなさそうだ。


「君、刀に興味あるの?」

「え? ああいや、刀に興味があるというか、前使ってた短剣をダメにしちゃって、新しい相棒を探している最中で」

「……そう」


 フードのせいで表情はわからないが、声音から察するにそこまで悪い印象は持たれていない。

 ぶっきらぼうにも感じるが、それが彼女の持ち味なのだろう。

 無口系のヒロインだと思えば、それほど嫌な気持にもならない。


「あ、そうだ。あんちゃん、刀使ってみたらどうだ? 大戦で使えるようにするのが目的なら、まだ一年近くあるだろうし、その間、ナージャに師事すればそれなりには扱えるだろ」

「自分は構いませんが……ナージャさん? は、いいんですか?」


 ケンジが思いついたように――というか事実、今思いついたのだろう。

 そんな突拍子もないことを言い出した。

 しかし、葵にとってその提案は願ってもないものなので、断る理由はなかった。

 もう一人の当事者である、ナージャの同意さえ得られれば、すぐにでも実行したい。


「……私は誰かに教えられるほど刀を極めてない。師事するなら、エルフの里のウォーレスって老人に頼むといい」

「ナージャ。人に物を教えるのは大切なことだよ。誰かに教えられるということは、まず自分がそれをしっかり理解していなきゃいけない」


 渋るナージャにケンジが論じるが、ナージャはやはり、俯きがちにして首を横に振っていた。

 まるで、師事されることに怯えでも感じているような様子がある。

 そんなナージャに対し、ケンジはじゃあ一つ聞くが、と前置きして口を開いた。


「ナージャ、最近思うように上達できてないだろ?」

「……」


 図星だったのか、ナージャは苦い顔をして顔を逸らした。

 それをみたケンジはしたり顔をする。


「それを理解するためにナージャ。あんちゃんに刀を教えてあげな。そうすれば、自ずと答えは見えてくるだろう」


 ケンジにそう言われ、ナージャは葵の方を向く。

 ジッと、フードの奥にある金色の瞳が、葵を覗いている。

 心の奥底まで見透かすような、ここではないどこか別の空間へ連れていかれるような錯覚を覚える。


「……わかった。名前は?」

「あ、はい。綾乃葵と言います。えっと、“師匠”とお呼びすればいいですか?」


 なんとなく、冗談で言ったその言葉に、ナージャはピクリと反応する。

 そして一言だけ、ぶっきらぼうな口調で言った。


「ナージャ」



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