第二章 幕間

【次のステージへ】




 カンッ、カンッと、不規則に木剣のぶつかる音が響く。

 時折、パァンと何かが弾けるような音も聞こえてくる。

 その音たちを鳴らす三つの人影は、アルペナム王国の王城の敷地内にある訓練場にあった。


「ハッ! ハッ!」

「……」


 全身全霊で右手に握られている長めの直剣を振るうのは、二宮翔。

 直剣を振るう速度は、それを使い始めてひと月の人間のものとは思えないほどに鋭い。

 王国の騎士団に入団すれば、間違いなく戦力として換算できるレベルだろう。


 もう一つの人影である小野日菜子は、その翔を援護するように、結界の範囲ギリギリのラインから魔術を行使している。

 その精度は、翔と同じくひと月で身に着けたものとは思えないほどに精密で、今では王国の魔術師団に入団しても通用するレベルだ。

 その一例として、放った水弾を途中で曲げるという高等技術を行使して見せている。


 しかし、その二人を相手にする、アルペナム王国騎士団団長のラティーフには、まるで通用していない。

 ヒュッ、と風切り音を鳴らす剣戟を、息を切らすことなく容易く捌き、遠方から見事なタイミングで放たれる魔術を、時に躱し、時に弾き、剣と並列して処理をしている。

 その様は、まるで予め決められた動きをなぞる面白みのない芝居を見ているようだ。

 しかし、それが芝居でないことは、間近で木剣の刃を合わせている翔の表情と息遣いをみれば一目瞭然だ。


 やがて、防衛に徹していたラティーフが、口を開く。


「時間だ。俺も攻勢に出る」


 剣呑な雰囲気を纏って放たれた短い言葉で、ラティーフの中の防衛という意識の中に、攻撃と言う意思が加わる。

 たったそれだけで、ラティーフに剣を向けていた翔が、防衛で手いっぱいになる。

 本当に芝居なのではないかと思わせるくらいに、目に見えて攻防が反転した。

 それだけではなく、ラティーフは魔術を行使し、日菜子の魔術を妨害し始めた。

 そのせいで、日菜子が魔術をラティーフに向けて発動しようとするタイミングや、あるいは軌道を修正しようとする絶妙なタイミングで、日菜子は魔術の制御を失い、行使途中の魔術は大気の魔素へと還元されていく。

 ラティーフがたった一言を告げてから僅か三十秒ほどで、翔と日菜子は地面に座り込まされていた。


 現在、訓練場には、ラティーフと翔と日菜子、そして二人の傍付きしかいない。

 と言うのも、外は赤く染まっており、既に今日の訓練は終了しているからだ。

 それを、翔と日菜子が無理を言ってラティーフに付き合ってもらい、自主練をしているのだ。

 その自主練に嫌な顔せず付き合っているラティーフは、そんな二人を見下ろす形で、先ほどまでの剣呑な雰囲気をどこかへ置き捨て、快活に笑った。


「さすがは、連携なら召喚者の中でも一番の二人だ。俺が攻勢に出ても、翔が前衛を張り続け、日菜子は後衛で翔を援護するという当たり前で一番重要な形を最後まで崩さなかった。それに、二人とも技術の進歩が著しいな。もう半年もするころには、おそらく勝てなくなっていそうだ」

「はぁ、はぁ……あ、ありがとう、ございます。でも、その計算は、多分、間違いですよ……。俺たちは、まだラティさんに汗一つかかせられてない……。それに、攻勢に出られてから一分足らずで壊滅させられてりゃ、連携も意味を成しませんよ……」


 所々で息継ぎをしながら、翔はラティーフの言葉に反論する。

 座り込む翔の傍に寄ってきた側付きから礼を言って水を受け取り、それをひと煽りする。

 そんな翔を見て、ラティーフは面白そうな笑みを浮かべて言った。


「いいや? そんなことはないぞ? 確かに汗はかいちゃいないが、お前は俺の攻撃をまともにもらっちゃいないだろ? 今のは全力じゃあないが、それでも俺の攻撃を捌き切ったのが、俺の言葉を裏付ける証拠になると思うぞ?」

「……ですが、全力を出されてたら十秒も持たないですよ」

「そりゃそうだ。これでも俺はこの国が保有する最強の戦力で、人類単位で見ても上から片手で数えられるくらいの実力者だぞ? 先天的な才能があるとはいえ、そう易々とお前たちに負けてやるわけにはいかないってなもんだ」


 どこまでも自分を下げる翔に、ラティーフは自分が高いすぎるだけで翔が低いわけじゃない、と遠回しに励ます。

 それをしっかりと受け取ったのか、翔はそうでしたね、とラティーフの言葉に同意する。


「それに日菜子も、お前の魔術を操作するセンスはずば抜けてるな。位置取りを戦況に応じて変えなきゃいけないという魔術師の弱点とも言える部分を完璧にカバーしてる」

「ありがとうございます。でも、位置取りなら走れば済むことですし、まだ魔術師団の人たちには及びません」

「それもそうだが、位置を変えず、常に状況を見ていられるってのは、他の奴らにはないアドバンテージだ。それを極めていけば、いずれは最強の後衛になれるだろうよ」

「ですが、位置を変えなかったせいでラティーフさんの魔術をもろに食らいました。やはり、動かないのもリスクがあるように思います」


 日菜子の言葉を聞いて、ラティーフはふむ、と頷く。

 確かに、日菜子の魔術は軌道を変えて、予想だにしない方向からの奇襲を可能にするだろう。

 もちろん、“魔力感知”に長けた人間ならば、自身が感知できる範囲内に魔術が入った場合は避けるだろうが、魔術は銃弾ほどではないがそれなりに早い。

 感知してから避けるなんて芸当は、相当上のレベルの人ではないと不可能なので、そこは気にしないでいいが、日菜子が気にしているのは、的が動かないせいで魔術の標的にされやすいということだ。

 知覚できる魔術なら避けることで事なきを得るが、ラティーフの使った魔術のように、知覚しづらいものもある。


「ラティさんの魔術は、火と水を使った混合魔術ですか?」

「ん? ああ、その通りだ。さすが、魔術を見ただけで看破できる恩寵だ。俺の魔術は火の光を水で拡散、収束させて、光で相手を妨害するものだ。日菜子が魔術の制御を失ったのは、眩しさに気を取られたせいだな」

「……やはり、動いていないと標的にされやすいのですね」

「それもそうだが、日菜子の場合はそれよりも、魔術を抵抗レジストするのを覚える方が早いかもしれない」

「レジスト、ですか?」


 聞き慣れない単語に、日菜子は首を傾げる。

 これは戦う召喚者やつらが魔術の知識をつけてから言おうと思ってたんだが、と前置きして話し始めた。


「レジストってのは、簡単に言えばある魔術に対してこれで対抗するっていう定石みたいなもんだ。例えば、日菜子がよく使う水弾なら、同じ水弾を使って弾くか、水弾以上の威力を持つ魔術で飲み込むか、火や炎で蒸発させるか、土魔術で壁を作って防ぐとか、まぁ色々だ。上位に近づけば近づくほど、レジストの幅は狭くなっていくが、基本的な魔術はそれで対応できる」

「なるほど……ちなみに、ラティーフさんの魔術に対するレジストは何があるのですか?」

「少なくとも現在は見つかってないな」

「……ないのですか?」

「いや、ないとは限らない。まだ発見されてないだけって可能性もあるしな。一応、対策として自身の目の周りを光が屈折するように魔術を使ったりって手法はあるけど、これは自分の視界が歪むっていう弱点があるから、今のところ、まともに俺の魔術をレジストする方法はないってことだ」

「なるほど……だから、“光の騎士”がラティーフさんの代名詞なんですね」

「よく知ってるな。そう言うことだ」


 ラティーフは、日菜子が言った自身の代名詞に、それを知られていることに少し驚きつつも同意した。

 確かに、二つの属性の魔術を同時に行使するには、ある程度の技量が必要となる。

 さほど難しい技術ではないが、それを剣で戦いながら行っているのだから、難易度は跳ね上がるだろう。

 ラティーフの代名詞ともなるのも頷ける。


「さて、今日はこのあたりで終わろうか。もうすぐ飯の時間だ。訓練後はストレッチして飯を食って寝る。大事なことだからな」

「はい。こんな時間までお付き合いいただき、ありがとうございました!」

「ありがとうございました!」


 ラティーフが終了の宣言を死、翔と日菜子が礼を言ってその日の訓練が終了した。

 側付きからタオルを受け取り、汗を拭いながら王城の自室へと戻る。


「そういえば、今日葵が来てたらしいぞ」

「綾乃が? もうこの国の町を回り終わったんですか?」

「らしいな。十人の町長と話をつけてきたらしい。道中、北の町で魔物とも戦ったって聞いたな」

「魔物……」


 ラティーフの口から出た単語を、翔が無意識でリピートする。

 その単語自体を知らないわけではない。

 王城で暮らしている間に、何度も聞いた単語だ。

 翔がリピートした理由は、その存在と相対したときのことを想像したからだ。


 自分が直接命を狩ることができるのだろうか。

 魔物と戦って、勝利できるのだろうか。


 そう言った不安が、まだ見ぬ魔物に対しての恐怖心を煽っていく。

 それを察したのか、あるいは切り出すタイミングだと判断したのか、ラティーフは言い辛そうに口を開いた。


「魔物で一つ、言っておきたいことがあるんだが……」

「何でしょう?」

「お前たちもそれなりに技量が増したし、一人前としてみてもいい頃合いだ言うのが、俺たちの見解だ。だから、今週中に共和国か帝国に行って、そこに在るダンジョンに潜って、実戦を経験してもらうつもりだ」

「実戦……つまり、魔物と戦う、と言うことですか?」

「その通りだ。もちろん、そこまで難しいところに行くわけでもないし、俺たちが護衛につくから、死ぬ心配はない。翔と日菜子だけで決められる話じゃないだろうから、あとで戦う召喚者あいつらにも伝えておいてくれ。ただその前に、一番やる気のあるお前たちには、事前に話しておいてもいいんじゃねえかな、と思ってな」

「……」


 ラティーフの言葉に、翔と日菜子は黙り込む。

 それは、他の八名に内緒で先んじて話をしてもらったことに思うところがあったからではない。

 魔物という未だ得体の知れぬ存在でありながら、その脅威だけは知っている存在への恐怖があったからだ。

 いくら、魔物との戦闘経験のあるラティーフたちが護衛についてくれるとはいえ、戦闘をするのは翔たちだ。

 この世界に来てからの戦闘は、全てが命を懸けることのない、言ってしまえば生温いものだった。

 訓練で戦っている時も、エキシビションマッチで師団長ペアと戦った時も、葵と戦った時も。

 互いに命を懸けて戦うという未知の経験を前に、尻込みをしてしまっているのだ。


「ま、よく考えてくれ。それでもし、魔物と戦えないってなったら、遠慮なく言ってくれていい。魔物を殺すことができないと、魔人を相手にしてもまともに戦えないだろうからな」

「――そんな奴は、初めから戦うなんて言いませんよ」

「……隼人」


 ラティーフの言葉を否定するように呟いたのは、廊下の角から側付きを伴って現れた中村隼人だった。

 ここ一か月、隼人は部屋に籠っていたので、その姿を見るのは久しぶりだった。

 だからか、隼人の体格が少しがっちりしているように錯覚した。

 正確には、部屋に籠っていたのではなく、図書館にも出ていたのだが、訓練には一切姿を見せなかったためそれを翔たちは知らなかった。

 そんな隼人に、ラティーフが心配そうに声をかける。


「……隼人お前、大丈夫か? 葵に負けてから塞ぎこんでたみたいだったが」

「はい。その節はご迷惑をおかけしました。自分が他人を圧倒できるほどの力を持っていると勘違いしていたので、傲慢になってしまっていたみたいです。翔と日菜子さんも、心配かけてごめんね」

「それは大丈夫だけど……隼人君、もう大丈夫なの?」

「うん。この通り元気だよ。葵には悪いことをしちゃったから、今度会ったら謝らないとね」


 隼人は自嘲するように笑いながらそう言った。

 きっと、過去の自分の行動を反省しているからこその表情だろう。


「それで、ラティーフ騎士団長。明日から、俺も訓練に戻ります。勝手にお休みして、すみませんでした」

「ああ。休んでたことは気にするな。明日からの訓練に参加することも了解した。その体から見るに、トレーニングは怠っていないようだから、すぐに戻れるだろうな」

「……そこまでわかるんですね。流石です」

「おだてても何も出ないぞ? ただ訓練に戻る前に、ちゃんと他のやつらには説明しておけよ。それが最低の礼儀だ」

「はい。心得ています」

「ならいい。じゃあ、俺は一度王の元に行く。お前たちはしっかり飯を食って明日に備えろ。ああそれと、できる限り早めに説明をしておいてくれると助かる」

「わかりました。おやすみなさい」


 ラティーフと言葉を交わし、その場で別れた。






 その後、翔、日菜子、隼人の三人は、戦う召喚者を集め、翔の部屋で臨時の集会を開いた。

 その場には、三人のほかに、戦うと表明した七人が思い思いの場所で座っている。

 部屋には椅子が二つしかないので、全員が床に座っている。

 それぞれの側付きは、それぞれの部屋で待っているのか、部屋の中には翔の側付きの姿しか見えない。


「――まずは、この一か月、無断で休んですまなかった」


 隼人は開口一番、頭を下げて謝った。


「俺は自分の力が最強だと過信して、傲慢になっていた。みんなに不快な思いをさせたと思う。本当に、ごめん」

「だ、大丈夫だよぉ。私たちは何も被害を受けてないんだからぁ。ね、舞ちゃん?」

「うん。大丈夫」


 佐伯雪菜が戸惑うように隼人の謝罪を受け入れ、雪菜に話を振られた木村舞もその言葉に頷く。

 他の面々の表情を見ても、特に咎めるような視線をしている人はいなかった。

 そのことに、ありがとう、と感謝の意を示し、明日からの訓練に参加することを伝えて、隼人のターンは終了した。


「それで二宮。呼び出したのは、これだけじゃないだろ?」

「はい、先生。今日の訓練後、ラティさんから次の訓練内容を教えてもらいました」

「……それは?」

「魔物と、戦うことです」


 翔が、議題を口にした。

 それを聞いた面々は、みんな少したじろいだように見える。


「――魔物……まだ説明でしか聞いたことない、人や家畜を襲って食べたりする獣の進化版、だよね?」

「ああ。正確には、過剰に魔力を取り込んだ獣が、その生態を子孫に引き継いだ結果生まれた、新しい種族らしい。殺すには、心臓と魔物の原動力ともいえる魔石のどちらかを潰すしかない」

「戦うだけじゃなくて、殺さなきゃいけないんだよね……」

「うん。多分、生物を殺すことに対する忌避感をかなり覚えると思う。蚊を潰すみたいな、片手で済むようなことじゃないから」


 人間や他の生き物もそうだが、基本的に自分たちが生きていくためには何かを犠牲にしている。

 人であれば、動物の肉を食べたり、あるいは剥いだ皮を使ってカバンや服にしたり。

 宗教的な理由や好き嫌いなどでそれをしない人もいるだろうが、基本的には何かの命を奪って生きている。

 だがそれのほとんどは、自分ではない誰かに任せて、お金を対価として任せた誰かから享受している。

 故に、蚊やゴキブリなど、手のひらに乗るようなサイズの生物以外を殺すという行為をしたことがない人間が多い。

 魔物の中には、無視ほどのサイズのものもいないことはないが、基本的には動物が魔力を過剰に取り込んだ結果生まれたものなので、その大きさは人と同じくらいのものが多数だ。

 つまり、命を奪うという行為を、自らの意思で行わなければならない。


 翔の言ったように、鬱陶しいから、なんてありきたりな理由で蚊を潰すようなものでは済まない。

 自分と相手の命を懸けて戦い、その果てに、命を奪うか奪われるかの二択が残るだけだ。


「ここで命を奪いたくない、奪える気がしないっていうなら、ラティさんたちは何も言わずに、それを受け入れて、他のクラスメイトと同じように接してくれるそうだ。だから、周りに流されずに、自分の考えで決めてほしい」


 翔は、みんなの目を見てそう言った。

 真っ直ぐ、何の含みもないその瞳と言葉に、日菜子と隼人以外の七人は、目を見合わせた。


「俺は生徒を守る立場の人間だ。どうあれ、生徒が危険な場所に赴くのなら、俺もついていこう」

「わ、わたしも、翔君が行くならいきますぅ!」

「私も」


 翔の言葉に龍之介が同調し、続いて雪菜と舞が同意の言葉を口にした。

 それを見た他の四人も、それぞれ覚悟を決めたような表情で口を開く。


「俺は、まだ生き物を殺せるかはわからない。でも、やれることはやっておきたいと思ってる」

「私も健斗君と同じ。やれることはやっておきたい」


 空手部であり、龍之介の教え子でもある渡辺健斗わたなべけんとがまず自分の意見を口に出し、それに同調するように、クラス委員長である木下彩花きのしたあやかが真剣な表情で言った。

 彩花とは仲がいいのか、雪菜と舞の表情が少し緩やかになった。


「俺も、健斗と委員長に同じだ。ただ、香奈が行きたくない、出来ないというなら、辞退するつもりだ」


 次に口を開いたのは、柔道部の石塚昌義いしづかまさよし

 その言葉は、隣にいる飯田香奈いいだかなに全てを委ねるような、ある意味無責任ともとれる発言だが、その場にいる誰もがそれを咎めない。

 なにせ、昌義と香奈の関係は周知の事実だからだ。

 昌義の言葉に、香奈は深呼吸を一つして、キリッとした格好の良い表情をした。


「私は行くよ。この世界を守るためとか、そんな崇高な理由じゃないけど、大戦に勝てなきゃどっちみち私たちは帰れないから、少しでもその勝率を上げるために、私は戦う」

「なら、俺も行く。香奈には誰にも近づかせないからな」

「昌くん、ありがと」


 当人はそれはもう真剣に言ったであろう発言は、もはや単なる惚気にしか聞こえない。

 一瞬で、場の雰囲気が和らぐ。

 非リアがいたら恨みがましい視線の一つでも湧き出ただろうが、あいにくこの場にはリア充と呼べる人達しかいなかったのでそんな視線はなかった。

 気まずそうな表情をしている人は何人かいたが。


「わかった。じゃあまた明日にでも、その旨をラティさんに伝えよう」


 翔がまとめ、それに全員が頷く。


「夜遅くに付き合ってくれてありがとう。何か言いたいこととかある人――」


 翔が締めに入ろうとしたとき、部屋の外に気配を感じた。

 “魔力感知”でその人影を捉えてみれば、それがラティーフだと気が付いた。

 つい数時間前まで訓練で常に捉え続けていた形なので、すぐにわかった。

 本来なら、壁を一枚隔てた向こう側の魔力など、“魔力感知”で形を捉えることすら難しいのだが、やはり慣れは偉大だということか、と翔の好きなゲーマーの発言を引用する。

 それを裏付けるように、部屋のドアがコンコンと二度ノックされ、外からラティーフの声が聞こえた。


「すまん、翔。今大丈夫か?」

「はい。大丈夫ですよ。どうぞ、入ってください」


 翔の言葉を聞いてラティーフがドアを開ける。

 その場に戦う召喚者が全員揃っていることに少し驚いたような表情をしたが、すぐに真剣なものに変わった。


「翔。ここにみんながいるってことは、もうあの話はしたのか?」

「はい。ちょうど今終わったところで、これから解散しようとしていたところです」

「ならよかった。その話で、どうしても話しておきたいことが増えた。みんな、聞いてくれ」


 いつになく真剣な表情で話しかけてきたラティーフに、その場にいた全員が居住まいを正した。

 ラティーフは大きな深呼吸を一つしてから、一つ一つ確認するように言った。


「板垣結愛らしき人物が共和国で見つかったと、綾乃葵から報告があった」

「――!? それは本当ですか!?」

「ああ。それが本当かどうかは今のところわからないため、葵自身がその場所へ赴いて確かめるらしい」


 ラティーフの発言で、その場にいた誰もが驚いた表情を見せた。

 それもそのはず。

 この一か月、国の捜査網にも引っかからず、生存が絶望的だと思われていた人物の発見情報がもたらされたのだから。


「それは信用できるのですか? 葵が組合で馬鹿みたいに大きな褒賞をかけて会長の捜索をしていると小耳に挟みました。その褒賞目当ての嘘かもしれませんよ」

「それは俺も考えた。が、少なくともあいつは自分に対する害意や悪意を見逃す男じゃない。それに、葵の側付きは視る目に関しちゃ一流だ。葵が間違えたら助言はするだろうから、それが嘘とは考えづらい。とはいえ、報告主の見間違いの可能性もあるから、葵自身がそこに行くと先ほど組合伝手で連絡がきた」


 ラティーフの説明を受けて、その場にいた全員は口をつぐんだ。

 葵の側付きのことなど知らないが、この一か月国の中では影すら見つけられなかった知り合いの安否がわかるかもしれないという事実に、色々な感情が重なった結果、何も言えなくなったのだ。


「……じゃあ、私たちも共和国に行くべきだと思う」

「日菜子?」


 無言の空間で一番最初に口を開いたのは、日菜子だった。

 日菜子の発言に翔がどうして? と問いたげに日菜子の顔を覗き込んだ。

 それを決意の篭った瞳で見つめ返して、日菜子は理由を答える。


「この一か月、この国の騎士団が可能な限りの人員を出して、綾乃くんも個人で働きかけていたのに何も得られなかった情報が、初めて出てきた。なら、その情報を信じて、より効率が高くなるようにするのも、一つの手だと思うの」

「……一理ある。けど小野さん。もし仮に、その情報が間違いだったとして、例えば会長が帝国にいた場合、俺たちが共和国に行ったことで助けられない可能性だってあるよ?」

「それはどこの国に行こうとありうる可能性だよ、隼人くん」


 隼人の言い分も一理あるのに変わりはない。

 ただ、そんなことを考えてしまえば何もできなくなってしまう。

 だから、今は可能性の一番高い方法をとるべきだ、と日菜子は主張した。

 隼人は日菜子の意見を聞いて、納得したように無言で頷いた。


「みんなは、私の意見、どう思う?」


 他の面々に目を配らせて、そう問いかける。

 それを受けた残りの八人は、みんな口々に同意を示した。


「ラティーフさん。そういうことなので、次の実践訓練は、共和国のダンジョンで行えますか?」

「わかった。その前提でこちらも動く。出発は一週間後だ。図書館のシナンって司書に聞いて、共和国の地理と歴史、あとダンジョンについての本も読んでおいてくれ。旅装や諸々の準備はこちらで済ませる」

「わかりました。お願いします」


 ラティーフはそれだけ告げると、部屋から去っていった。

 それを見届けて、何か言いたいことはないかと再確認し、何もないことを確認してから解散となった。

 その場にいた部屋主を除く八人が部屋から去ろうとしている中、日菜子だけは扉の前で立ち止まった。

 パタンとドアが閉じ、部屋に日菜子が取り残されるのを、翔は黙ってみていた。

 そこには、新たな展開を期待するようなものはなかった。

 そもそも、そんなことを期待できるほど、翔は日菜子に対して純粋な気持ちを抱けていない。


 それはともかく、翔と日菜子は幼稚園以前からの友人だ。

 だから、こういう時は何も言わず、日菜子から話すのを待つのがいいとわかっている。


「翔くん」

「なに?」


 日菜子はドアの方を向いたまま話しかけた。

 それに、なるべく優しい声で聞き返す。

 数瞬ののち、日菜子は振り返り、翔の顔を見る。


「絶対に、みんなで帰ろうね」

「……もちろんだ」


 キリっとした、可愛い系とのギャップが凄い、覚悟を決めたかのような格好の良い表情で、日菜子は言った。

 その表情を、言葉を。

 翔は真っ直ぐ受け止めて、真摯に返す。

 その返事で満足したのか、日菜子は表情を和らげて、笑顔になった。


「じゃあ、おやすみ、翔くん」

「ああ。おやすみ、日菜子」


 翔の部屋のドアが閉じた。



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