【試験の後に】




「疲れたぁ」

「今日もお疲れ」


 日は傾いて空を赤く染め、時計の短針が下を向いた、午後六時。

 この世界では七の鐘と呼称される時刻。

 そんな夕暮れに、訓練場には達成感と疲労感を感じさせる声が響いた。


「そういう翔は疲れた様子が見えないな?」

「体力の回復が早いだけですよ、ラティさん、タオル要ります?」

「貰おうか」

「翔は向こうにいた時も体鍛えてたから、それもあるんじゃない?」

「なるほどな。元々高かった基礎体力に加えて、召喚時に色々と強化された影響があるのかも知れないな」


 翔からタオルを受け取って、今日の騎士団にくっついて行った訓練ででた汗を拭う。

 ラティーフも豪快に汗を拭っているが、粗野というわけではないのが不思議だ。

 雑な言葉遣いや荒々しい態度などが目立つラティーフではあるが、実際はしっかりとした教養を身に着けているので、こっそりとその所作などは真似させてもらっている。


「いいなぁ……翔くんは体力回復が早くなったんだ……。私は運動系はからっきしだよぉ」

「同じく。個人差あるよね」

「雪ちゃんも舞ちゃんも、お疲れ~」

「お疲れぇ日菜ちゃん」

「お疲れ」


 語尾が少し伸びるのが特徴的な佐伯雪菜さえきゆきなと、一言一言が短めな木村舞きむらまいが疲労感たっぷりな様子で会話に入ってきた。


「佐伯さんも木村さんも、タオルどうぞ」

「ありがとぉ翔くん!」

「ありがとう」

「どういたしまして。でも個人差あるのって、なにか原因があるんですかね?」

「わからん。体感できた限りでいいから、変化があった場合は報告するように頼んでいるが、まだ何が要因でその変化が起こったのかは解明できてない。すまないな」

「いえ、そんな。解明してくれようとしてるだけありがたいですよ」


 日本人らしい謙虚な対応をする翔に、ラティーフは困ったように眉をひそめる。


「こちらの勝手を押し付けてるんだから、それくらいは当然だ。あと、あまり下手に出ないほうが良い。それがお前の良いところでもあるんだろうが、これから先、その態度だと自身がないように見える。そうなると、民衆に不安の種を巻くことになりかねん」

「……なるほど。わかりました、気をつけます」

「頼むな。じゃあ俺は先に失礼する。明日は魔術士団の訓練だからな」


 翔の返答に満足したのか、ラティーフはいい表情で頷いて、翔たちに背を向ける。


「あっ、そう言えばラティさん。一つ聞きたいことが」

「なんだ?」

「今日の綾乃の試験で、綾乃が急に早くなったのって、あれなんだったんですか?」

「そう言えばぁ! あれってなんですか? なんか危険みたいなこと言ってましたけど?」

「ああ……まぁいずれお前たちにも会得してもらうから、言っておくか」


 あの試験後、呆気にとられている間に訓練が始まってしまい、聞き出すタイミングを失っていたことを、翔が聞いてくれた。

 ラティーフは少し思案して、まだ疲労困憊で床に倒れていた他の戦う召喚者五名を呼び集め、真剣な表情でこちらに向き直る。


「葵が使ったのは、“身体強化”という技術だ。体内の魔力を高速で循環させることで、身体能力を爆発的に高めることができる」

「“身体強化”……ですか。しかし魔力を高速で循環させるってことは、魔力操作をしっかりしなければ暴走してしまいますよね?」

「そうだ。だから、魔力操作の基礎ができていないやつが使うと、高確率で暴走させることになる。いくら葵の魔力操作能力が優れているとしても、魔力を知り、体感して一週間のやつが使うにはリスクの高すぎる技術だと注意したんだ」

「それは確かに……でもあんな瞬間的に強くなれるなら、多少のリスクを負ってでも使うべきなのでは?」

「その認識は違う。確かに、“身体強化”は爆発的に身体能力を高められるが、綾乃のあれは少なくとも、騎士団員や俺が使う“身体強化”よりも速く魔力を循環させている。つまり、強化の倍率が俺たちの比じゃないし、倍率を高めるには速度を上げる必要がある。いくら魔力操作の練度が高い葵でも、簡単に死に至るほどのものだ。まだ認識が甘いようだからはっきり言っておくが、魔力操作は一歩でも間違えれば自滅する。最悪、四肢爆散だと言っただろう」

「それは……はい」


 ラティーフの包み隠さないド直球な発言に、翔は自分の考えの足りなさを自覚する。

 それは翔だけでなく、その場にいた戦う召喚者全員が、それを実感させられた。

 同時に、死ぬ可能性があり、自らその可能性を引き上げてでも勝ちをもぎ取ろうとするその常軌を逸するとも言える綾乃葵の精神力に、尊敬とも、畏怖とも取れる感情を抱く。


「話を戻そう。具体的な数値を挙げると、俺たちが二倍や三倍とするならば、葵のは五倍はある。いずれお前たちにも会わせるだろうから先に言っておくと、帝王と呼ばれる帝国の王の“身体強化”に匹敵するレベルだ」

「五倍……凄まじいですね」

「ああ。だがそれにはリスクが伴う。お前たちが使うときは決して無理をするなよ?」

「勿論です。あと一つ疑問なんですが、“身体強化”ってパワーやスピードを上げるだけじゃないんですか?」

「よく気がついたな。“身体強化”は身体強度や動体視力なんかも上がる。だから反応速度の遅い葵でも、あの速度に適応できた」


 納得顔で翔は頷く。

 ラティーフはそれ以外に質問がないことを確認してから、訓練場を出ていった。


「あぁ、それとな。散々脅しておいて何だが、まだお前たちに無茶をさせるつもりはないから、時間をかけて、確実に覚悟を決めてくれ。俺たちはいつでも、お前らの意思は尊重する」


 そう言って今度こそ、通路に消えていった。

 残された九人は、静かにその場に留まった。

 ただただ静かに、ラティーフの言葉を吟味して。






 * * * * * * * * * *






 日が暮れて、夜の帳が下りる頃。

 窓から差し込む優しい月光が荒れた部屋を照らす。

 椅子は倒れ、床には鋭い物で裂かれたような傷跡と、色々と書き込まれた紙が散乱しており、壁やベッドのシーツには床にあるものと同じ傷が刻まれていた。

 そんな山賊にでも襲われたかに思える部屋の主は、ベッドにうつ伏せに倒れ込んでおり、よもや死んでいるのではないかと疑われるほどに、何の反応も示さない。


「隼人様」

「……あぁ。ごめんな、スイ。部屋散らかした」

「いえ、それは。それより私は、隼人様が心配です」

「――いや、もう大丈夫。綾乃葵あいつには負けたけど、もう大丈夫。吹っ切ったからさ!」


 キィ、と傷のせいでうまく開かなかった扉が軋む音を立てて開いた。

 その向こう側から、桃色の髪を持った一見フワフワした印象を受ける美少女が、その豊満な胸に手を重ね、部屋の惨状と起き上がった部屋主の重い雰囲気を見て、不安そうな表情を浮かべる。

 自身の側付きであるスィーク・デイジェントに、笑顔を浮かべて答える。

 クラスメイトの誰もが見たことのないであろう爽やかな笑みは、差し込む月光で隼人本来の魅力を引き上げている。

 いそいそと自らが荒らした部屋の片付けを始めた隼人に、扉を閉めたスィークは頭を下げる。


「申し訳ありません。隼人様」

「なんでスイが謝るの? むしろ部屋を荒らしちゃった俺が謝るべきだよ」

「私は隼人様に部屋を出ているように言われ、ずっと部屋の前に居りました。だから、まだ隼人様が吹っ切れていないことは、よく理解しています」

「……そっか。聞かれてたのか」


 スィークの言葉を聞いて、隼人はただ静かに拾った紙を手に持ったまま、ベッドにストンと腰を落とした。

 その声音は、怒っても悲しんでもなく、言うなれば恥ずかしさのような感情を孕んでいたように聞こえた。

 だから気がつけば、スィークは隼人を抱きしめていた。


「隼人様は優しすぎます」

「……俺は優しくなんかない。いくら綾乃を嫌っているからって、言って良いことと悪いことの線引もできなかった。俺は……優しくないよ」

「そんなことはありません。隼人様は自身が荒れると気が付き、私に当たらないように部屋から出してくださいました。それだけで、十分に優しいです」


 スィークの優しい言葉と暖かな包容に、隼人はどうしようもなく救われた気がした。

 そう言えば、召喚された初日にも、綾乃に対しフラストレーションを溜めていた俺を、こうやって慰めてくれたことを思い出した。

 スィークの纏う雰囲気とは全く違う、包容力溢れるその対応に、隼人はしがみつく。


「隼人様。私なら大丈夫です。隼人様の気が晴れるなら、お好きなように私を使ってください」

「……でも、スイにそこまでしてもらうのは……」

「大丈夫です。私なら……隼人様なら、大丈夫です」


 自らの服をはだけさせ、隼人を押し倒すように覆いかぶさる。

 頬は紅潮し、艷やかな吐息が漏れる。

 月明かりのせいで、余計に艶やかさが増しているように思う。


「まだ俺、二回目だけど……ほんとにいいの?」


 学年一だか学校一だかのヤリ○ンなんて言われているが、実のところ女性と付き合うところまで行っても、その先に発展したことがない。

 なので、付き合い、別れ、また付き合い、また別れるを繰り返していたら、見た目も相まってヤリ捨ててるだのと言われただけだ。

 召喚初日に八つ当たりでスィークに流されるがままシたのが初経験だ。


「私も同じです。ですが、隼人様になら構いません。嫌なら、そう言ってください」


 初日とは違い、今度は自分の意志で、はっきりと決めることができる。

 そうさせてくれている。

 ならこちらも、はっきりと答えるべきだ。


「じゃあ、えっと、その……よろしくおねがいします」

「はい」




 月明かりのみが照らす暗い部屋で、二つの影がぎこちなく乱れる。

 艶めかしい声と音が、防音の効いた部屋に一晩中響き渡っていた。



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