「あの、俺と橘さんはただの友だちなんで、そんな将来的とか……」

「またまた。私に謙遜は無用よ。ぜんぶ承知してるもの。なにせ、橘くんの主治医なんだから」


 そのあと松宮さんは、橘さんからは頭痛の件だけじゃなく、恋愛の相談も受けていたと話した。


「といっても橘くんから話したわけじゃないのよ。じつは私、初めて会ったときから、彼の性癖には気づいていたの」

「ま、まじすか」

「普通の男子は、本人が意識していなくても、女子のここには目がいくものなのよ。あなたに初めて会ったときのようにね」


 松宮さんは自分の胸を指さした。

 ……ということは、あのときの俺の目線はバレバレだったのか。


「でも、彼はちらとも見なかった。それで、ぴんときたのよ。だから、ズバリ言ってみたら、さすがに驚いていたわね。そのうち、好きな子はいないのかって話になって」

「……」

「あるコンビニに行ったとき、笑顔が素敵な、ものすごくタイプの子を見つけたと言っていたわ。それが──」


 松宮さんがじっと俺を見た。


「……俺?」

「ええ。たしか、こっちに来て二週間くらいたったころじゃないしら」


 だとすると、かなり前から、橘さんは俺を知っていたことになる。あの日にいきなり現れたんじゃなくて、少なくとも橘さんは、以前から俺を知っていたんだ。


「やっぱり告白しないのって訊いたら、橘くん、笑っていたわ。はなからそういうつもりはなかったみたい」

「……でも」

「そうね。……私が思うに、彼はいままで、特定の恋人は作らなかったんじゃないかしら。もちろん、一生の相手が簡単に見つかる胸の張れたことじゃないし、その場しのぎの相手がいればよかったんだと思うわ。あと、職業柄もあって、自分はいつなんどきどうなるかわからない。もしなにかあって、相手が悲しむことになったら、自分は永遠に謝ることができない。それがいやだったみたいよ」

「……」

「だけど、そんなの少しも格好よくないでしょう。どんな性癖があったって、どんな職業であったって、そこにチャンスがあるなら、自分の幸せを追い求めるくらい、平等でなくちゃ」


 松宮さんはにっこりと笑った。


「だから、私が背中を押してあげたのよ」


 具体的にどうやって「背中を押した」のか。

 それを訊こうと思ったけど、次の患者さんを診なきゃいけないってことで、終了の時間となった。

 松宮さんに挨拶をし、クリニックのカウンターで清算をすませると、俺は一目散に専属護衛のもとに駆けた。

 その橘さんは、駐車場で車に寄りかかり、辺りを窺っていた。

 いろいろと言ってあげたいこともある。やはり訊きたいこともある。

 でも、いまはこのままでいいと思う。

 それが、この人への愛なんだ。


「佑」


 と、手を上げて応えた橘さんは、さっと助手席のドアを開けた。

 俺が完全に腰を下ろすとドアを閉め、運転席へと回る。


「あんたさ、どこぞの執事じゃないんだから、そこまでしなくてもいいのに」


 二重にも三重にも周囲を確かめ、やけに慎重に発車させたことにも、俺は苦笑した。


「え? ひつじ?」

「ひつじじゃなくて、し、つ、じ」

「それより松宮先生はなんて?」

「……うん、まあ、もう大丈夫だって」

「ほんとに?」

「俺、思うんだけど、あのとき突きつけられたのが刃物だったら、もっとショックが大きかったかもしれない。拳銃ってオモチャもあるから、どこか非現実的な気がして。たしかに危ないんだけど、あんまりぴんときてなかったっていうのもあるかもしれない」

「そんなこと、冷静に判断して言えるの、たぶんきみぐらいだよ」


 ふうっと息を吐いて、橘さんは苦笑した。

 ──俺はべつに、ぬくぬくと過ごすだけの人でいたいわけじゃない。

 つねに危険と隣り合わせだと、橘さんは覚悟しているならなおさらだ。もっと強くなって、足手まといには決してならないことを、言いたい。


「ちょっとスピード出すけどびっくりしないでね」


 ぐんとアクセルが踏み込まれた。

 記者でも追いかけてきたのかもしれない。

 橘さんは、いつかの定岡さんみたいに、細い道路へ入ったり、大通りに出たり、また小路へ入ったりしている。

 しかも、これから行こうとしているごはん屋さんからも遠ざかっている。

 やがて後ろの車はまけたらしいものの、自分の知らない道に入ったみたいで、橘さんは唸り始めた。

 俺は、そんな肩を叩いて、微笑む。


「いいじゃん。まっすぐでも、ゆっくり行こうよ」


 橘さんも徐々に目を細めていく。何度か小さく頷いて、またアクセルを踏んだ。




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