コーリング



 それから三日がたった。

 俺は、バイトへ行くのに、相変わらず警察から送り迎えをしてもらっている。

 ただ、その顔ぶれは毎回違う。人当たりのよさそうな人もいるけど、中には無愛想な人や、イヤイヤ来てるような人もいる。晴海さんにもぜんぜん会わなくなってしまった。

 肝心の橘さんにだって会えていない。だから仕方なく、そしてありがたく、警察のご好意を頂戴している。

 あの夜の次の日、朝のニュース番組で、晴海さんが言っていた「検問突破」と、そのあとに繰り広げられたらしいカーチェイスの映像が流れた。なんとか組という暴力団の人が捕まり、車の中には覚せい剤もあったと伝えていた。

 でも、その人は「神崎」という名前ではなかった。


「え、あの放火犯? さあ……あれから捕まったっていう話は聞いてないなあ」


 その日のバイト中、店長の顔を見て、どこかで耳にしていたと感じていた神崎のことを、俺は思い出した。東京で、任意同行中に逃げたという放火犯だ。

 その人と、あの夜、晴海さんが口にした神崎が同じ人物なのかはわからない。

 ただ、橘さんが担当している事件が、俺のだけじゃないというのは知れた。

 やっぱり、コンビニのバイトとは次元が違い、警察官は大変な仕事だというのも知れた。現に、三日も帰ってきてない。

 風呂上がり、生乾きの髪のまま、俺はベランダへ出た。いつもの穏やかな夜だ。

 それでも、この辺りはアパートのほうより都会だから、眠らない街の音がより濃く聞こえる。警察署もちらっと確認できる。

 ひゅうと風が吹いた。木々を揺らし、俺の前髪も撫でていく。初夏とはいえ、夜風はまだ冷たく、どこかもの悲しい。

 俺は厚手のトレーナーを着ていたけど、寒さで肩をすぼめ、それを自分で抱えた。

 後ろで床の軋む音がした。ぱっと振り返ってみても、やっぱりだれもいない。

 橘さんに三日も会えないなんてことは以前にもあった。というか、一ヶ月ほど前までは、見ず知らずの人だった。

 だれかを深く知ってしまうというのは本当に不思議だ。それまで意識しなかったものに心を奪われ、一人のときより心配事が増えたのに、そんな煩わしさも歓びだと、なぜか思える。

 リビングに戻り、俺は戸を閉めた。もしかしたら今夜は帰ってくるかもしれない。間接照明の灯りは点け、寝室へと向かった。




 ふと目が覚めた。頭上のシーリングライトの明るさがいまは霞んでいる。なにか物音がしたような気がして、俺はベッドから抜け出た。

 この三日間なかったあの人の気配。寝室のドアを開けた途端、それを感じた。

 でも、姿はない。そのこともすぐさま感じ取れた。

 リビングに残されたタバコの匂いが、なんとも言えないじれったさを伴って鼻をついてくる。

 帰ってきたのなら、起こしてくれてもよかったのに。

 俺はぶつぶつとぼやく。

 余計な気づかいだけは忘れないあの人が恨めしくて、悪たれ口を撒き散らしながら、ソファーセットのそばに立った。

 灰皿に五本の吸い殻がある。それから推測するに、二時間はいたと思う。


「……だからさ。なんで起こしてくれないかな」


 きょうぐらいは咎めたりしないのに。

 灰皿だけじゃなく、テーブルにはなにかの紙切れも乗っていた。俺はソファーに腰を下ろし、それを取った。

 橘さんからの置き手紙だった。洗濯物よろしくとか、俺の好きなケーキを買ってきたとか。挙げ句に、あいしてるよとまで書いてある。

 ……出たよ。愛の大安売り。


「べつにどうでもいいんだけどね」


 置き手紙を戻し、冷蔵庫を確認する。ケーキの箱が例の店であることと、中身のチェックをすませ、脱衣場へ向かった。

 きょうはバイトが休みだ。

 だからといって、ここにこもりきりというのもイヤだけど、出かけるのに、いちいち警察官がついてくるというのも考えものだ。

 そろそろ家の掃除に行きたいし、郵便物の回収にも行きたい。

 橘さんのマンションからアパートまでは、バスに乗っていけばあっという間だ。明るいうちに行って帰ってこれるなら、一人で行動してもいいんじゃないかと思う。

 橘さんのワイシャツや下着を干し、ベランダからリビングへ戻った俺は、あの夜のことを、ふと思い出した。

 検問のニュースを見たとき、それで捕まった暴力団の人こそあの暴漢じゃないかと、ちょっと思った。

 しかし、迎えに来てくれる警察官がだれ一人としてそのことを口にしないし、厄介にしかならない一般市民の運転手を未だに続けているんだから、それは違うんだろうとわかった。

 第一、俺はヤクザに狙われる覚えなんてない。まさか、オヤジがサラ金に借金でもしてて、その支払いのかたにされたわけじゃあるまい。

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