第31話 「レコーディング?」

 〇里中健太郎


「レコーディング?」


 俺はその言葉を聴いて、首を傾げて神を見た。


 今、神が言ったのは…


「レコーディングするから、予定を空けてくれ。」


 …F'sの録音はフェスが終わった後…って話だよな。

 SHE'S-HE'Sも今はそれどころじゃないし…


 少し考えた後で。


「誰の。」


 瞬きをしながら問いかける。

 すると、神はそれを待ってたかのように…


「…高原さんの。」


 少し声を低くして言った。


「……」


 高原さん…

 って…


「え…っ?」


 少し間を開けて首を前に出してしまうと。


「おまえ、ジジイか。」


 神が俺の額をパチンと叩いた。


「同じ歳だろ。俺がジジイならおまえも…」


「はいはい。で、どれぐらい空けられそうだ?」


「どれぐらいって…」


 俺は…何の心の準備もないまま、ビートランドの社長になった。

 そして、その毎日は…

 驚くほど、今までとさほど変わっていない。


 …が。


「フェスの準備がある。」


 俺は目を細めて若干凄みをきかせて言うものの、内心は…ドキドキしていた。


 …高原夏希が…レコーディングをする。

 手術をして、もう歌えない…と、誰もが思っていたに違いない。

 俺だってそうだ。

 それが…

 レコーディング…!?


 しかも…


「高原さん、おまえに任せたいらしいぜ。」


 な…なんて光栄な…!!



 …しかし、社長として…これを受けていいものか少しだけ悩む。

 フェスに向けて、まだ人選が完全じゃない。


「受けるだろ?」


「もちろん。」


 受けていいものか。なんて悩んだのは建前の一瞬。

 俺は即答した。


「で、フェスの方なんだけど。」


 俺は浮つきまくりそうな気持を押し殺すように、真顔になって。

 タブレットを神に差し出した。


「何。」


「設営スタッフが言うには、5ステージいけるらしい。」


「…5か。」


「ああ。」


 当初、春に予定されていたフェスは。

 ビートランドが買い取って改装したB-Lホールでの開催が考えられていた。

 昨秋、F'sの強行ライヴをした時に、全てにおいて予想以上に使いやすかったからだ。


 だが…フェスが夏に延期になって。

 そうなると、わずかながらでも考える時間と余裕が持てて。

『どうせなら』と欲張りになるのが…ビートランドの上層部のみならず…


 スタッフだ。



「SHE'S-HE'S初の顔出しですよ?どうせなら、でっかく行きたいじゃないですか。」


「もっと多くの人に見てもらうためにも、こんな企画どうですか?」


「会場の件ですが、ここ…どうでしょう。」


「交渉なら僕に行かせてください!!」



 誰が頼んだわけでもないのに…

 熱意を持って、取り組んでくれる。



「5ステージなら…枠を増やしてもいいかもしれないな。」


「それなんだよ。3つをバンドのステージにするなら、バンド枠増やせる。」


 神は顎に手を当てて。


「ポールと奏斗に追加オーディションを打診するか?」


 俺の目を見た。


「神がそれでいいと思うなら。」


「おまえが決めろよ。社長。」


「…こんな時だけ…」


「頼りにしてるぜ。」


 ポンポンと肩を叩かれて、歩いて行く神の背中を眺める。


 …社長…か。

 まだ実感はないけど、色んな期待に応えたいとは思う。

 だから…


「…高原さんのレコーディングか…」


 フェスも録音も、全力でやるしかない…!!




 〇島沢真斗


「まこちゃ…あっ……寝てる…」


 少しうとうとしてると、心地いい声が聞こえて来た。

 目を開けると…


「…知花。」


 ドアを閉めようとしてる知花がいた。


「ごめん…起こしちゃった。」


 首をすくめる知花に、小さく笑ってみせる。


「大丈夫。あまり昼寝しちゃ、夜眠れないし。」


「ほんと?鈴亜ちゃんが『ずっと寝てる』って言ってたよ?」


「あっ、あいつめ…」


「ふふっ。」


 知花は部屋に入って来ると、椅子を引いて座って。


「これ、見て。」


 バッグからクリアファイルを取り出した。



 …年が明けて、僕は交通事故に遭った。

 そして…左手が動かなくなった。


 毎日毎日…メンバーのみんながお見舞いに来た。

『待ってる』って言葉に、最初は復帰する意欲も見せてたけど…

 それは何をしても動く事のない左手を知れば知るほど…自分の中で小さく、そして消えてしまいそうになった。


 そして…


 もう、弾けない。


 その事実を突き付けられて…僕は抜け殻になった。

 だけど落ち込むわけにはいかない。

 察されちゃいけない。

 その時、僕は自分を捨てた。

 感情を失くせば…落ち込まなくて済む。

 それが余計…みんなに心配をかける事になってるなんて、気付かなかった。



 感情を捨てる事に慣れ始めた頃、知花が言った。


『SHE'S-HE'Sは、誰も欠けちゃいけないの。』


 そんな事言われたって…



 だけど僕は感情を捨てた人間。

 みんなに励まされれば『ありがとう』と笑い、『頑張ろう』と言われると『うん』と頷く。


 それでも、もう…諦めてた。

 SHE'S-HE'Sは僕がいなくても…どうにかなる。



 三度の手術を経て、左手が動かない以外は元気なはずなのに…

 気が付いたら五月。

 最後の手術から二週間以上経った。


 もう退院の話が出てもいいはずなのに…まだ僕はここにいる。


 ここで…

 色んな事を諦める覚悟をしてた。



「これは……?」


 ゆっくり起き上がると、知花が僕の膝の上に紙を並べた。


「出来たんだよ。まこちゃん専用キーボード。」


「…知花…」


 二度目の手術の前、知花は『絶対どうにかするから』って言った。

 そんな事言ったって、知花はお医者さんじゃないのに…

 だから適当に…いつものように笑顔で『頼もしいな』って言った。


 …なのに…知花は本気だったんだ…



「まこちゃん、退院しなくちゃね。」


「……」


「リハビリ、始めようよ。」


「…リハビリしても、左手は…」


「違う。右手と両足と…感覚の、だよ。」


「……」


 膝に並んだ紙には…僕のために作られたキーボードの説明図。

 左手が使えない分、僕は両足を駆使しなきゃいけなくなる…らしい。



「…これ、あらかじめ左手のパートを打ち込んでおくって事?」


「うん。でも右手でカバーできる所はしなくていい。で、プログラムしておいた物を足でコントロールするの。」


「……」


 簡単そうに話す知花に笑いたくなりながら、膝に置いた紙を手にして見入る。


 …僕のために、考えてくれたんだ…

 僕だけのために…


「あとね、見て。ここ。」


「…音色の信号?」


「当たりっ。さすがまこちゃん。」


「……ふっ。」


 うつむいて小さく笑うと、知花が首を傾げてるのが視界の隅っこに入った。


 …さすが…って。

 それは、こっちのセリフだよ。

 誰がこんな事思いつくんだよ。



「あたし、本気だからね?」


「……」


 知花に…スイッチの入った目で見つめられた。


 …ああ…

 歌う知花は…本当にカッコ良くて。

 ずっと、僕の自慢だった。


 ……また、自慢してもいいのかな。

 知花の声に合う鍵盤を弾けるのは、僕だけだ…って。



「…使いこなせるかな。」


 少し弱気な声で言うと。


「当たり前じゃない。まこちゃんのクセを知り尽くしてるあたしが作ったんだもん。」


 知花は満面の笑みで…威張ってそう言った。

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