第19話 「マジで夢みたいやな。」
〇
「マジで夢みたいやな。」
そう言って、笑顔が止まらないのは…ハリーだ。
俺と浅井さんは同じ病室の隣同士のベッドで、その笑顔を見て笑う。
「それ言うの何回目だよ。」
「しゃーないやん。まさか生きてる思うてなかったし。オマケに…」
ハリーはそう言うと、病室を見渡して…さらに笑顔になった。
病室には、うちの両親と華月と…
初めて会う、ハリーのおふくろさん。
自分の人生にあり得ない事が起きた。
この一ヶ月…生きた心地がしなかったけど、そのおかげでか…
今、むちゃくちゃ生きてる気がする。
「華月ちゃん、頼むから明日帰国してくれる?」
母さんがそう言ったけど、華月はベッドに座って俺の腕にしがみつくと。
「詩生の退院までは帰りませんっ。」
頬を膨らませた。
「でも…ご両親…いや、お父さん…怒ってるよ?」
親父が苦笑いしながら腕組みをする。
「大丈夫です。母が助けてくれる事になってるから。」
「知花が?」
「はい。電話したら『任せて』って。」
「…それなら…まあ、大丈夫かな。」
親父が頬を掻きながらそう言うと。
「そう…ね。神さん、知花ちゃんに弱いし…」
母さんも納得した。
でも俺は…
「華月…」
俺の腕にしがみついてる華月の頬を指でそっと撫でて。
「出来れば…帰ってくれ。」
目を見つめて言った。
「え……」
「大丈夫。」
「……」
「来てくれて…嬉しかった。」
そのまま、ゆっくりと抱きしめて…華月の首元で小さく息を吐く。
「…弱い俺を、信じてくれて…ありがとう。」
それは…今までにはない俺だったと思う。
華月のために強くならなきゃ。
守らなきゃ。
傷付けた分、ずっと笑顔にさせなきゃ。
って…俺、ずっと気を張り続けて来た。
本心ではあっても、虚勢を張り続けてちゃ…俺自身はどこに行ったか分からない。
「…華月を愛してる。これからもずっと。」
「……」
みんなが病室を出て行く気配がした。
もしかしたら…あんなことがあって弱ってると思われたかもな。
…でもそうじゃない。
小さな事が、どうでも良くなった。
あの地下牢に15年も閉じ込められてたケビン…俺のじーさんの想いにも触れ、今までの自分の生き方がどうでも良くなった。
居場所?
そんなの、自分が立てる場所なら…どこだっていいんだ。
「…詩生。あたし、詩生にお願いがあって…追い掛けて来たの。」
耳元に、華月の心地いい声。
「…何でも言う事聞くよ。」
マジで…何でも。
それが、どんな願い事でも…今の俺には叶えられる気がする。
「…あたしと、組んで欲しいの。」
「……」
それには一瞬言葉を失くした。
華月と…組む?
「何を…」
相変わらず華月の首元に顔を埋めたまま問いかけると。
「あたし…歌うから。」
「……」
「詩生、曲作って。」
「……」
「そして…出来れば、ギター弾いて。一緒に…ステージに立って。」
「……」
華月は今…俺に『ユニットを組もう』って申し出た…のか?
モデルは?
少し瞬きが増えた。
俺のまつ毛が首筋に当たってくすぐったかったのか、華月は小さく笑って。
「あたし、サラブレッドだから。歌わない手はないよね。」
俺の髪の毛を撫でた。
ようやく顔を上げて華月を見る。
「…おまえ、モデル…」
「出来る範囲で。」
「…歌を本業にするつもりか?」
「そうしたい。」
「なぜ…」
「だって…二人でやっていけそうだから。」
「……」
「あたし、もう待たないよ。」
そう言った華月の目は…すごく強くて。
俺が返事をしようとすると…
「それ、ええな。」
そう言って笑ったのは…隣のベッドにいたケビン…
じーさんだった。
〇富樫武彦
「富樫さん。」
ボスをお迎えにご自宅に行くと、咲華さんがリズ嬢と共に庭に出て来られた。
「おはようございます。」
「おはようございます。あの…海さん、ちょっとシャワー中で…」
「え?」
ボスが寝坊とは…珍しい。と思って目を丸くすると。
「リズがオレンジジュースをぶちまけてしまって…」
咲華さんは眉を八の字にして苦笑い。
足元のリズ嬢は、悪ぶれた風もなく満面の笑み。
「あはは。そうでしたか。分かりました。では…少しその辺を歩いて来ます。」
伸ばされたリズ嬢の手に少しだけ触れて、歩き出そうとすると。
「中で待って下さい。コーヒー入れますから。」
なぜか…『断らせない』と言わんばかりの力で、咲華さんに腕を引かれた。
「…はい…」
素直に従う事にし、私はリズ嬢を抱きかかえて咲華さんに続いた。
「あの…」
まるで最初からこれが狙いだったかのように、即座に出されたコーヒーと目の前に座った咲華さんに首を傾げる。
「あの時…何があったんでしょうか…」
「…あの時?」
「あの日以来…海さん、少しおかしいんです。」
「……」
あの日…とは。
あの、カトマンズでの一件以来…と言う事だ。
「全員無事に救助された。お義父さまにそう聞きました。なのに…海さんは…あの日以来ずっと沈んでます。」
それは…
ボスだけではないんですよ。
…とは、言えない。
実際、私も何も出来なかった自分に呆れ果てた。
そして、完璧なまでに私達を救助し、敵にも一人の死亡者を出さず眠らせるという作戦を…
誰が立てて、どんな組織が遂行したのか。
私達は未だ…それを掴めずにいる。
恐らくボスは、今までにない屈辱を味わっておられる事だろう。
命あってこそ。なのは分かる。
だが…二階堂で生きる私達にとって、今回の件は…本当に…
「…大変なお仕事をされてるのは分かります。だけど…二階堂の皆さんは、大事な事を忘れてらっしゃる気がします。」
そう言った咲華さんの唇は、気持ち…尖っている。
本当なら、ボスにガツンと言いたい所を…沈んだ様子に遠慮されているのかもしれない。
「大事な事を忘れているように…見えま」
「はい。」
「。」
私が言い切らない内での即答振りに、少し背筋が伸びる。
テレビでやってるダンスの振り付けを真似るリズ嬢の笑い声が、私に向けられてるような気さえした。
「え…その…二階堂の者は、何を忘れてる…と?」
「自分の命も一つだと言う事を、です。」
「……」
ハッとさせられた気がした。
私は瞬きを繰り返して咲華さんを見つめる。
この人は、なんて…
「全員助かっても、予定通りに事が進まなかったら失敗になるんでしょうか。でも、もし失敗したとしても…命があったんです。命以上に大事な失敗なら…」
「……」
「命がある限り、挽回できるじゃないですか…」
…ああ…
この人がボスの奥様でなければ。
私はすぐさま立ち上がって、抱きしめたかもしれない。
それほどに、強く…いじらしい。
唇を噛みしめて、小さく一つ頷く。
「…そうです…ね…確かに、二階堂は…大事な事を忘れているのかもしれません。」
『誰か』に救われた事を、喜ぶよりも疑問に思っている。
それは、あの現場に関わったほぼ全員がそうだ。
唯一…頭だけが…
『よくやった』と。
「……」
小さな違和感を覚えた。
いや…まさか…と思う自分と。
…そう言えば…と思う自分。
…バカな。
頭を疑うなんて、どうかしてる。
「富樫、来てたのか。待たせて悪い。」
私が考え込んだ瞬間、ボスがシャツのボタンを留めながら顔を出された。
「あ、いえ…おはようございます。」
立ち上がって挨拶をするも。
「すぐ行く。」
「大丈夫ですので、どうか…ごゆっくり…」
つい、語尾が必要以上にゆるやかになってしまい。
咲華さんが俺を見上げる。
私はその不安を帯びた瞳に笑いかけながら。
「咲華さんにそんな顔をされては困ります。今日はボスと反省会をして、頭を柔らかくすることにします。」
そう言った。
…近い内に…
頭に会わねば。
〇二階堂 海
咲華と富樫の会話が聞こえた。
普通にしてるつもりだったのに…
俺は、夫としてもトップとしても失格だな…。
今朝、出掛ける寸前に、咲華の腕にいたリズが俺にオレンジジュースをぶちまけた。
咲華は慌てて『海さん!!シャワーに!!』と、俺のシャツを脱がしにかかった。
…嘘の下手な咲華が、そこまでして富樫と話したがってたなんて。
自分達の命も一つしかない。
…そうだ。
しかし、二階堂の者は…それを二階堂のために差し出す覚悟をする。
今回、家族を人質に取られた木塚も、自分が死んでどうにかなるなら…あんな行為はしなかったはず。
そして、自宅で人質にされた妻も…二階堂の人間ゆえ、自ら死ねない状態で『人質』にされた事と、自分を守るために二階堂を裏切った形を取った夫を責めた。
全員が助かっても、許せない、と。
「……」
同じじゃないか。
お互いを、自分を許せ。と、俺や富樫は木塚夫婦に言った。
だが…俺達も同じ気持ちを抱えたままだ。
何も出来なかった。
それどころか、完璧に救われた。
救う立場である俺達が。
見事なやり方で…犠牲者の一人も出さず、救われた。
その手段には嫉妬すら覚えた。
誰が、どんな状態で、どんな手段で…
あの状況をクリアしたんだ。
一条の上層部は捕まってはいない。
あの場で眠らされて逮捕に至ったのは、『兵隊』と呼ばれる下層メンバーだ。
これからも…一条との闘いは続く。
『命がある限り…挽回出来るじゃないですか…』
咲華の声が耳に焼き付いて離れない。
不安にさせたくないのに…
なぜ咲華は俺の小さな変化にも気付くのだろうか。
「…奥様は、とても敏感な方ですね。」
今夜は華月と泉が泊まりに来てくれると聞いて、富樫とホテルのバーで飲む事にした。
「…さくらさんの血が流れてるからな。」
「ああ…なるほど…そうでしたね。」
富樫も納得したのか、うんうんと頷く。
「俺は…」
期待されていないのかもしれない。
その思いを口に出していい物かどうか悩んでると…
「一緒にいいか?」
不意に…親父が現れた。
「か…頭…」
富樫が立ち上がって一歩下がる。
「ああ、いい。座れ。」
「はっ…恐縮です…」
親父は俺の隣に座ると。
「犠牲者は一人も出なかった。なのに…納得のいってない顔だな。」
斜に構えて俺を見た。
「……」
それに答えられずにいると…
「…二階堂は秘密組織じゃなくなるが…ここではもっと厳しい現場に身を置く組織を…と、国に言われた。」
親父が低い声で言った。
「え…っ?」
「そうなると、二度と家族にも会えない。」
「……」
「だから…今回の任務は、私が依頼した。」
「…依頼?」
富樫と同時に声を上げた。
親父の言ってる事の意味が解らず。
俺は…親父の横顔を見つめるしかなかった…。
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