第三話。みちしるべ。

 ハチコについてわかったことがいくつかある。

 こいつは本当になにも食べない。

 なにも食べないどころかなにも飲まない。こんなことってありえるだろうか。

 最悪、メシは食わずとも数日間はなんとかなる。しかし一切の水も摂らないとなると何日間生きていられるだろう?


 どうやら普通の人間でないことは確からしい。

 俺が横でこれ見よがしに栄養飴をなめても、ねちっこく水を飲んで見せてもなにも言ってこない。強がっているわけではないだろう。そもそもハチコと会って六日が経つから、強がりで我慢できる時間ではない。


 ハチコは自分のことを人造人間と言っていたか。

 俺がコロニーに暮らしていた頃、ワンダがよく言っていたことを思い出した。鯨に飲まれる前の世界は、今では想像もできないほど技術が発達していた。だからその時代の遺産が、この鯨の中のどこかにあるのだと。


 ワンダは、この鯨から脱出するための旅は、遺産を探すことと同じ意味を持つかもしれないとも言っていた。

 例えば怪物を置き去りにできる速さで移動できる手段があれば。例えば無尽蔵に溢れる食料があれば。例えばホネを穿ち道無き道を進むことができれば。そんな道具があれば。あんな道具があれば。

 ハチコ……踏査型作図兵器とは、その遺産のひとつなのだろうか。


「ロクスケ」


 前を歩くハチコが、はたと止まって足元を指さしていた。

 ほっそりと伸びた指の先には、灰白色のホネに赤い斑点が染みついていた。


「血液です、ロクスケ。もう少し先に、血だまりが」

「あまり時間が経っていない血痕だな」


 その血だまりは、ここ数日間でできたようだった。

 血だまりに靴で擦れたような跡があった。靴の跡は少なくとも二人以上ある。そして<怪物>の破片が飛び散っていた。乾いた骨と肉、そして歯の欠片だ。血だまりからは血痕が真っすぐ先へと伸びていて、しばらく点々と赤い斑点が見える。誰かが戦闘で怪我をして、そしてその誰かは幸運にも単独ではなく、誰かしら煮引きずられて退き、手当をされ、背負われて移動している。血痕からそこまで推測できた。


寄合ギルドかもしれない」


 ギルド、とハチコは首を傾げた。

 冒険者、狩人、情報屋、技術者……鯨の中にはなにかしらに長けた者たちがたくさんいる。狩人であれば怪物たちを巧みに出し抜き、食用カビや鯨油をコロニーのために獲ってくるし、情報屋であればその洞察力で狩人の助けを行う。俺がコロニアンだったときは、ワンダという技術者とよくつるんでいた。


 ギルドの連中は、自分の能力を持ち寄ることで生存確率を上げているのだ。

 地形を読めないもの、罠の知見がないもの、武器の修理ができないもの……ギルドの人間たちは、できないことや持っていないものを持ち寄ることで補っている。

 ギルドだけではない。人間は、そうやって今日まで生きてきた。

 俺のような冒険者だってそうだ。コロニーからコロニーへと渡る生活を続けていると、前に訪れたコロニーでは当たり前だった技術や知識が新鮮なものとして喜ばれることがままある。なんせ隣のコロニーまで数年かかるような場所だってザラではない。俺はコロニーを渡ることでコロニアンへ貢献し、コロニアンは備蓄や休息の場所を提供することで俺に貢献してくれる。


「血痕を追うのですか?」

「ああ、この血を辿れば、少なくとも人間には会えるはずだ」

「人間に会いたいのですね」

「そりゃそうだ」


 鯨油の残りも少なくなっている。

 栄養飴はまだあるけれど、鯨油と、鯨油を精製して作る栄養飴とでは使い勝手がずいぶん違う。

 コロニーで少し分けてもらうか、それは難しくても鯨油溜まりの場所を教えてもらいたい。


「そういやハチコ、この辺の地図はあるのか?」

「ありますよ。この区画に入ってからまだ日が浅いので、情報は少ないですが」

「鯨油溜まりは見たか?」


 ハチコは首を傾げた後、合点がいったように手を打った。


「ああ、滲み出た鯨油が溜まっているところを、鯨油溜まりと呼ぶのですね。この区画ではまだ見ていません。痕跡はありましたが、枯れていました」

「そうか……コロニーで良い話を聞けりゃ良いが」


 鯨油が無いといよいよ旅が続けられなくなってしまう。

 いい加減、コロニーで一息つきたいという気持ちもあるが、なによりも鯨油溜まりの情報を集めなくてはならない。

 点々と滴る血痕は、俺にツキが回ってきたことを知らせてくれるしるしにも見えた。


「ロクスケは、寂しがりですね」

「ああ?」

「わたしは誰かに会いたいなどとは思ったことがないもので」

「ふうん」


 確かに、ハチコは人と話すのが初めてと言っていた。

 遠くで人間を見ることがあっても話すことはなかったと。

 思わず声をかけるという考えも浮かばなかったのだろう。なにかが視界の隅で動いている……その程度だろうか。


「おい。にやにやするな」

「ひとりで歩いているくせに、ひとりは寂しいのかと思い。知識として知ってはいましたが、やはり人間とはたくさんの矛盾を抱えて生きているのですね」


 くそ、なんだこいつ。にやにやするな。

 感情なさそうにしてやがるくせに、そういう機能はあるのか。


「……矛盾はしてない」


 にやにや、にやにやと笑いながらソウデスカと相槌を打ってきた。

 そうだ、矛盾はしていない。

 俺には目的がある。目的の達成のために、コロニアンとして生きることはできないし、ギルドの一員になるのも得策ではない。


 寂しがりだからこそ、一人で歩かなくっちゃならないんだ。

 小さい頃……コロニアンだったときにワンだと誓った、ワンダが託してくれた夢の達成のために。

 そう、この鯨の腹をやぶって、外の世界に出るために。

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ハチコの人生 きゃのんたむ @canontom

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