第18話 自分がわからなくて
二十分後、ほんとうに、玲があらわれた。タクシーで。いつもは、守銭奴のくせに。
「さくら、だいじょうぶか。皆も」
さくらは、皆ごと玲に飛びついてしまった。玲の身体はあたたかった。
「ありがとう。うれしい。でも、ごめんなさい」
「とりあえず、乗れ。うちへ帰ろう」
玲はさくらをタクシーへ促した。もう、戻れない。
今夜のシェアハウスでの顛末を、簡単に話して聞かせた。
「追い出された? すぐにうちへ来いよ。ずいぶん長い時間、外にいたのか? 具合、悪くないか。冷えただろ。五月になったとはいえ、夜は寒いのに」
「私はだいじょうぶ。だけど、あわてていて、皆くんのおむつを替え損ねちゃった。早く、交換してあげないとかわいそう」
「……心配するところはそこか。さくららしいな」
玲の身体に寄りかかる皆。さくらも真似をした。とても落ち着く。
「よかった。玲がいてくれて」
「鍵を渡したり、この前のことがあるから遠慮したのか。今回は緊急事態。俺は、人の弱みにつけ込んで、迫るようなことはしたくない」
「れい……」
「た・だ・し、さくらに隙があったり、ガードが甘い場合は別だけど」
「は、はい」
結局、皆のおふろは明日の朝にした。もう、眠くてぐずぐずだった。おむつを替え、軽く身体を拭いてやり、おふとんへ。
「今夜は俺が皆と寝るから、さくらは二階のベッドを使うといい」
「え、でもそれじゃ玲が」
「いろいろあって、今日はさくらもおつかれだろ。最近の俺は、開店休業状態なんでね。弟の世話ぐらいさせてくれ。それとも、この前みたいに三人で川の字? 自制できる自信、ないけど」
「了解です。二階で休ませてください」
玲がおふろに入っている間は、さくらが皆を見守った。
暗い夜の町をうろうろさせてしまって、ごめん。反省。
今は、すやすやと眠ってくれている。ありがたい。
添い寝していると、自分も寝てしまいそう。い、いやだめだ。『隙』や『甘さ』を見せてはならない。言い訳できない。正座で待機。
……静かだった。
こうしていると、自分の子どもは皆で、夫は玲のような気もしてくる。
「さくら。おふろ、空いた」
結局、座ったまま、少しだけ、うとうとしてしまった。
「あ……、うん。ありがとう」
玲は笑っている。苦笑かもしれない。
「今の、無防備な寝姿は見なかったことにする。ノーカウント」
襲われても仕方なかったのに、見逃しくれた。さくらは素早く立ち上がり、玲の真横をすり抜けようとした。でも、言いたいことがある。
「いつも、ほんっとにごめん。ありがとう」
さくらは素直な気持ちを伝えた。
「そういうさくらだから、俺も好きなんだ」
たぶん、顔が真っ赤だった。部屋が薄暗くて助かった。
玲の真摯なところ、よく覚えている。さくらは思った。
胸が、どきどきしている。類以外にときめくなんて、あってはならないのに。
だめだと思いつつも、さくらは目を閉じていた。
玲が、さくらの両腕をつかんだ。
「さくら」
唇が重なってしまっている。今夜は、さくらも心が乗っている。
玲は、大切な存在。さくらのことをずっと見ていてくれた、特別な存在。
気持ちが、伝わってくる。流れてくる。玲は、今でもさくらを愛している。うれしい。すごくうれしい。
「玲。一緒にいてほしい。同じ鍵でいたい」
「うん。一緒に過ごそう、ずっと」
「みんなで暮らすの。父さまもお母さんもみんなで。私、みんなで住む家を考えたんだよ」
「分かった」
自分には類がいるけれど、玲も近くにいてほしい。
ずるいと分かっている。でも、止まらない。
「れい……、もっ……」
いけない。そのあとに続くことばを言いかけ、やめた。
さくらは玲から身を離した。玲は驚いていた。
「お、ふろ……借ります」
なかば駆け出しながら、さくらは浴室に籠った。
今の、なに? 『もっとほしい』って訴えそうになった。玲に?
信じられない。夫が、だいすきな類がいるのに。完全に浮気。ほんの少し離れたぐらいで、ゆらぐような仲だったなんて。
こわい。自分が、わからない。こわい。
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