第27話 正しいこと

「ちょっと、私は保険の外交員じゃないと何度言えば──」

俺は相沢に、保険の証券と契約書の控えを見せた。

受取人は美矢と美月。

金額は二人合わせて最大約一億円で、保証期間は六十歳まで。

俺が六十歳までに死ねば、二人に毎月三十万が支払われる形で、死ぬのが早ければ早いほど、長い期間お金が受け取れる訳だ。

それ以上に長生き出来れば、掛け捨てだから何も残らないが、毎月の支払いは二万以内で済む。

勿論、他にも終身保険を掛けているし、生命保険以外の保険もあるから、毎月の支払いは決して安くはない。

けれど、二人のことと、そして子供が出来た場合のことを考えると、俺がもし不本意な生の終わりを迎えたとしても何とかなる金額が、二人に支払われると思う。

「何よ……これ」

「二人が、大切なんだ」

そう堂々と、はっきり言えることが心地よかった。

「二人目の子が内縁の妻で、もう一人は何だっていうの? まさか恵まれない子を引き取ったとか? それともただのお友達? 家出少女なんて言わないわよね?」

まくし立てるように言う。

まるで、不正を暴こうとするかのように。

「どっちも、妻だ」

「ふざけないでよっ!」

眉間みけんしわを深くして、書類を机に叩き付けそうな勢いだ。

「三人で生きていこうって、三人で決めたんだ」

きっと、言葉にしても伝わらない。

三人が共有する、三人でつちかってきた思いだ。

「そんなことが可能だと思ってるの?」

思ってる。

そのために、出来るだけのことはする。

「形式上の婚姻関係は結べない。それによって得られる保証、税の控除や年金、色々あるけど、そういったものの恩恵を得られない分、民間の保険が大事になってくる。生活基盤が揺らぐことの無いよう、最大限の努力はしてる」

「そういうことを言ってるんじゃないの! 三人で、幸せになんてなれると思う?」

「思うよ」

「馬鹿じゃないの? あんな若い子、すぐに心変わりするわよ。孝介って昔からそう。お人しが過ぎるのよ」

「委員長らしいな」

「何がよ!」

「若い女性に夢中になってるとか、囲っているとか言わずに、お人好しで済ませてくれた」

「だって、判るじゃない……。一人目の子は玄関で警戒心き出し、二人目は最初っから私を撃退させる気満々だし、あの子達がここの生活を必死に守ろうとしてることくらい。でも、二人に慕われて、あなたはそれに応えようとしてるだけでしょう?」

「違う、そうじゃない。さっきも言ったように、三人が三人であることを望んだんだ」

「あなたの思いも、毎月の保険料も無駄になるに決まってるわ」

「そうなっても構わないつもりでいる。アイツらが、今とは違う幸せな生き方を見つけたなら、俺は祝って送り出すつもりでいる」

「この、お人好し! 分らず屋! ロリコン!」

最後のだけは訂正してほしいが。

「あなたの収入、調べるわよ」

「へ?」

「毎月の保険料や二人を養える生活費を、ちゃんとまかなえるだけの収入があるのか」

「いや、お前、何言って」

「私、役場に勤めてるの」

「あ、なるほど。ていうか相沢らしいな」

「何よ。面白味の無い堅い女って言いたいの?」

「言ってない。真面目で、真っ直ぐで、堅実に仕事をこなすんだろうなって」

委員長は多分、大人になっても委員長のままだ。

「……同じことじゃない」

本人は不服みたいだが、その真っ直ぐさは委員長の美徳だと強く思う。

「その相沢が、立場を利用して個人情報の収集をするなんてなぁ」

「ちょ、私はただ、あなたがこの先やっていけるのかどうか──」

「ほら、すぐ人の心配して面倒を抱え込もうとする」

「っ! わ、私はただ、住民が借金抱えて路頭に迷うのを未然に防ごうとしてるだけよ!」

「大丈夫だ」

「何でそんなことが言えるのよ」

「絶対に必要な生活費と、将来に備えた保証とは家計を分けている」

「どういうこと?」

「保証に関するお金については、親の遺産から取り崩している」

「それこそ大丈夫じゃないわ! せっかくご両親が遺してくれたお金を、どうしてそんなことに使うのよ!」

委員長は語気を荒らげる。

そう言えば、両親の葬式でいちばん泣いてくれたのは委員長だったな。

「両親が遺してくれたお金、だからだ」

でも、委員長の涙はアイツらとは違うんだ。

委員長は、両親を亡くした俺の悲しみを思って泣いてくれたのだろう。

けれどアイツらは、俺の成長を最後まで見届けられなかった両親の無念さを思ってくれるのだ。

でなければ、どうして毎日、仏壇におそなえをして、掃除をして、語りかけるように手入れをするのか。

どうして、お墓の花がしおれてしまう前に、次の花を墓前に手向たむけるのか。

まるで、いないはずの両親を、安心させようとするみたいに。

「なんでよ……」

「俺を大事に思って遺してくれたお金を、俺が大事に思うものに使う。そうやって、思いは繋がって、願いは伝わっていく」

「願い?」

「幸せになること。幸せになってほしいと願うこと。それが叶えられたら、また次へと」

「そんなの……おかしいよ」

「相沢」

「私は認めない」

「認めようが認めまいが、俺達は変わらない」

「何度でも説得しに来るわ」

「遊びに来てくれるなら歓迎する。特に美月は、最初に出迎えた子の方は、委員長になつきそうな気がする」

委員長はお母さんみたいなところがある。

美月は、父性だけでなく母性にも飢えていたから、ひょっとすれば。

「やめてよ。そんなつもり無いから」

「そっか。じゃあ一応これだけは言っておく」

「何よ」

「この生活を壊す気なら、俺は全力でお前を排除する」

「っ!」

「今日は会えて嬉しかった」

ほんの少しだけ、委員長は眉を下げた。

悲しげにも見えるその顔を、たとえ一瞬であっても見せたくなかったのだろう、無理やり掻き消すように、まゆを吊り上げ、強い視線を向けてきた。

「また来るわ。頻繁に来て必ず問題を解決してみせるから!」

声の強さとは裏腹に、敵意は感じられなかった。

正そうとする気持ちと、何が正しいのかと戸惑う気持ちが見え隠れしたような気がする。

それを悟られまいとするかのように、委員長は一度も振り返らなかった。

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