第22話 日常と、また夏に

「実家に帰らせていただきます」

……。

珍しく、朝の食卓に全員が揃っていた。

今日も天気は良さそうで、庭を照らしているであろう初夏の朝日が、ガラス障子しょうじ越しにうかがえた。

平和で何より。

「ちょ、ちょっと、誰かツッコんでくださいよぅ!」

いろはが今日帰ることは、みんな知っている。

また日常に戻るのだ、と言いたいところだが、もはやいろはがいる状態が日常のようになっていた。

いろはが来て、何か特別なことをしただろうか。

豪華な食事で歓迎くらいはしたが、田舎を案内したり、バーベキューをしたりといった、イベント的なことは何もしなかった。

田植えを手伝ってもらったりもしたけれど、あれは毎年の通常作業だ。

指輪探しは、まあイベントと言うよりハプニングだな。

つまりいろはは、俺達の日常を、俺達と同じように過ごした訳だ。

「あなたが帰る家は実家しか無いのですが?」

冷ややっこに乗せられたミョウガを取り除きながら、美月が冷めた口調で言う。

「いやぁ、ちょっと言ってみたかったっす」

「承認欲求というヤツですね。判ります」

「なんすかそれ!? あたしを欲求不満みたいに言わないでくださいよ!」

「親御さんは何て言ってるんだ?」

「え、いや、新婚家庭にいつまでお邪魔してるんだ馬鹿娘が! てなことを」

「……」

「……」

「……」

「ちょっ、肯定っすか!? 三人揃って肯定っすか!?」

「まあまあいろはちゃん、ご両親も心配してるんだって。あとタマちゃん、ミョウガも食べなさい」

今朝も美矢はお母さんだなぁ。

「普通の親なら馬鹿娘の受験の心配では?」

美月は毒舌だなぁ。

「田舎の静かな環境で勉強してくるって言って出てきたんすけど!?」

勉強してるとこ、見たこと無いなぁ。

まあ指輪探しのせいでもあるんだが。

「勉強しにやってきて勉強しに帰る……終わりの無い旅路……」

「ちょっと多摩さん! 嫌なこと言わないでください!」

「そうだよ、タマちゃん。来年にはいろはちゃんも女子大生なんだから。あとミョウガも食べなさい」

「これは、人間の食べ物ではない……」

まあ独特のクセがあるか。

「大好きだけどなぁ」

俺がそう言うと、美月が皿の隅っこに押しやっていたミョウガをつつく。

あ、食べだした。

しかめっ面が可愛らしい。

「多摩さん弱っ!」

「うるさい、非貧乳が!」

何その独創的な罵倒ばとう

だが考えてみると、乳魔人や巨乳と言ったところで、それは罵倒には当たらないかも知れない。

もしかしたら誉め言葉だ。

「ここでは貧乳がステータスだからね」

美矢もニッコニコだが不敵な笑みで言う。

どうも二人は、巨乳に対して並々ならぬ敵意を抱いている気がする。

貧乳がステータスであるなら、非貧乳と言えばそれは非人間と言うに等しい罵倒だろう。

って、貧乳がステータスって誰が決めた?

これではまるで、俺が貧乳大好きなかたよった嗜好しこうの持ち主みたいではないか。

「孝介サン」

「ん、なんだ?」

「ミョウガ大好きでも、ミョウガばっかり食べてられませんよね?」

「ああ、そりゃあな」

「ふっ」

何その勝ち誇ったような笑み!?

「くっ」

「ちっ」

二人も何でそんなに口惜しそうなの!?

だが、すぐに美矢は正妻のオーラをまとい、ひるむことなく巨乳を見据みすえた。

「その目から放たれる圧倒的に禍々まがまがしいオーラは、漆黒しっこくの翼を広げ、今まさに巨悪の巨乳に襲い掛かろうとしていた」

美月、変なナレーション入れんな。

「いろはちゃん」

「な、なに」

いや、いろはもなんで怖気おじけづいてんだよ。

「こーすけ君は、偏食家なの」

勝手に決めつけんなコラ。

俺はそんなオーラには屈しない。

「だよね?」

まさかの念押し!?

妻こそが正義、妻こそが世のことわり

そこに疑念の余地は無く、そこに異論などあろうはずも無かった。

「……はい」

初夏の陽気は、まだ家の中にまでは届かないようだ。

今日も平和で何より……。


いろはは昼前の汽車に乗る。

四人で駅まで歩いてお見送りだ。

田圃たんぼと畑、作物の生育具合を見たりしながら、美月がいっぱしに出来の良し悪しを語ったりする。

農道を歩いていると、農作業をしている人から何度も挨拶された。

孝ちゃん、みゃーちゃん、タマちゃん……そして、いろはちゃん。

なんだ、俺の知らないところで、コイツはちゃんと田舎に溶け込んでいたのか。

「また夏に来まっす!」

いろはは色んな人と挨拶して、道端のお地蔵さんにもそう言った。

「あ、サバっちに挨拶するの忘れた!」

「まあサバっちは、いろはさんのことは歯牙しがにもかけてないので問題ないかと」

「多摩さんだって、美矢や孝介サンほど懐かれてないっしょ!」

「ぐぬぬ」

最後まで騒がしい奴らだ。

いや、きっとずっと、騒がしい奴らだ。

騒がしくて、賑やかで、俺の日々を彩ってくれる。

駅が見えてきた。

三人が駆け出す。

無人の改札がゴールだ。

元気だなぁ。

俺はアイツらを、こうやって後ろから見守っていこう。

不意に、美矢が立ち止まる。

「こーすけ君」

俺が追い着いてくるのを待つ。

その間に、美月に大差をつけていろはがゴールする。

運動神経ゼロのくせに、無謀な勝負をして口惜しがる美月。

だが、それよりも俺と美矢が並んで歩いているのに気付くと、「ああっ!」という顔をして駆け戻ってきた。

前も後ろもないな。

寄り添って一緒に歩くのだ。

「狡いっす!」

一人、取り残されたいろはも戻ってきた。

列車が来るまでの間もやっぱり賑やかで、無人のホームは我が家の日常の延長になった。

そして日常に終わりが無いように、いろはは当たり前のように言った。

「また夏に来まっす!」

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