7話目「辺境の聖夜」

 私の一生で最後となるクリスマスを、私はおまえとともに過ごしたかった。

 それがもうかなわないと知ったいま、伝えておこうと思う。


 ひとの一生は、常に危うさと背中合わせだ。偶然と偶然が重なり合って、わずかな均衡の上に成立している。

 こんな仕事をしていてさえ、私はそれを自分ごととして考えたことがなかったのだ。


 私は自分の命の限りを知り、それでも時は過ぎていくのだと理解したとき、絶望とともに、おまえの「声」が聞きたいと思った。


 なぜだろう。

 おまえのことを思うと、少し恥ずかしそうな笑顔と、不釣り合いなほど朗らかな、深い笑い声が懐かしくなる。

 つい一時間前に別れたばかりのように、余韻がいつでも心地よく、耳の奥でこだましているのだ。


 私という存在はもうすぐ消えるだろう。ものとしての存在だけでなく、この感情も、も、私と関わった人々のなかにしか存在しなくなる。

 それがこれほど辛いとは、思ってもいなかった。


 私は、常に現実主義者だった。

 それでも、いまは信じたくなる。

 私という存在は、消えることはないと。私の心は確かに存在し続け、私の魂は永遠の時を生きていくと。


 むかし、有名な茶人の死を映画で見た。

 茶人らは床の間の掛け軸を前に、「無」ではなにもないが、「死」では確かにある、などと言っていた。

 その言葉の意味を、私は震えるほどにいま、痛感している。


 「死」は無ではない。「無」ではありえない。


 クリスマスまで、標準時間で二十日と十八時間と三十七分。

 時計を見ずにいられない。


 私は今年のクリスマスをおまえと過ごすつもりだった。おまえと昔のように祝いたいと、そればかりを願ってきた。


 あの樅の木の下で子供の時のようにキャンドルをかかげ、歪んだ天空の二つの月を見上げながら、紅く闇に踊る太陽フレアを眺めながら、丘に並んで座り旧い賛美歌を歌いながら、鳴り止まない雷鳴と大地を削りとる烈風のなかで、太陽もろとも堕ちてくる昊は、さぞかし壮大な眺めだろう。


 この惑星ほしに閉じ込められ、私はやがて灼かれる。

 だからこそ、私はおまえの声を、最後にもう一度聞きたかった。




(終)


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