51,横須賀の風に吹かれて

 ココアを飲みながら、空を見上げる。


 軍港の街に漂う風は、砂の街、茅ヶ崎よりもカラッとしていて、空も幾分澄んでいる気がする。


 同じ海辺の街でも、こんなに雰囲気が違うんだな。


 お互いに緊張している。それが伝わるから、かえって居心地は悪くない。


 流れる雲、通りすがりの声、小鳥のさえずり。穏やかに、にぎやかに流れる時間。


 ココアを飲み終えた私たちは、武道くんの提案で三笠公園の艦艇を見学、その後しばらくアニメの舞台になった場所を巡った。


 お腹が空いたので横須賀中央駅前のとんかつ屋さんに入った。武道くんは明太チーズカツ定食、私はご当地名物であり日本のカレーの定番、横須賀海軍カレーを食した。


 カツはサクサクでボリュームたっぷり、カレーは女子でも食べられる量で、本場らしくサラダと牛乳がついていた。


「ふう、お腹いっぱいだね」


「あぁ、食った食った」


 地下にあるとんかつ屋さんの階段を上がって地上に出た。目の前は横断歩道で、いまは赤信号。横断歩道を渡ると横須賀中央駅前の広場になっていて、見上げるとYデッキというペデストリアンデッキもある。


 この横須賀中央駅周辺が、横須賀の中心部。自動車やアミューズメント施設から漏れる音、人の足音も混じっている、雑多な都会の街並み。


 左上にはちょうど、京急けいきゅうの赤い電車がゆっくりと横須賀中央駅に入っているところだった。


「さて、これからどこに行こうか」


「うーん、どうしたものか、もっと調べておけば良かったな……」


 アニメに登場する場所も艦艇がある場所も、ほとんどが横須賀の中心部。ゆっくり街を巡ったつもりだけれど、もう行き尽くした感じもする。


 でも、もうちょっといっしょにいたい。


 そう思うも、部活以外では訪れなかった横須賀を私たちはよく知らず、少しの間、外国人の多いどぶ板通りや、中央のメインストリートを当てもなく歩いていた。


 どぶ板通りはまるでアメリカのストリートを歩いているようで、開け広げられたバーでは昼間にも拘わらず外国人たちがガヤガヤ酒盛りをしていた。歩いている人々は武道くんを凌駕するほど体格が良く、ギャングのように堂々としていて、物怖じした私は思わず彼に身を寄せた。


「凄い通りだったな」


「そ、そうだね……」


 どぶ板通りを出ると、引っ切り無しに路線バスが行き交うメインストリートに出た。


 行き先別にバス乗り場が異なるようで、ターミナルでもないのにいくつも設置された停留所にバスが縦列停車。バスに乗れば新しい発見ができるかな。


「ねぇ武道くん、路線バスの旅、してみない?」


「おう、いいなそれ! 最近流行ってるよな! やってみよう!」


 バス停のポールに記された行き先の一つが聞き覚えのある場所だったので、そのバスを待って終点まで行ってみた。


 観音崎かんのんざき。東京湾、浦賀水道うらがすいどうに面した断崖絶壁に近い地形の崎。


 バスロータリーの目の前は海水浴場になっていて、親子連れや大人の集団がはしゃぎまわり、バーベキューをしている姿もあった。


 森と海に挟まれ、崖を歩きやすく整備したと思われる道を進むと、灯台が現れた。なんでも、日本初の洋式灯台なのだとか。観光を前提に建設された江ノ島シーキャンドルと比べると随分こじんまりしていて、小柄な私にとっても階段が狭く、武道くんはとても窮屈そうだった。


 だけど、そこから見渡す景色は、まさに絶景。


「わぁ、広大な景色」


「おう、すげぇな」


 深い緑に覆われた岸壁、深く青い東京湾にはタンカーが往来し、その向こうには房総ぼうそう半島の深い緑と、標高の低いところに構える建物もぽつぽつ見える。


 目を凝らすと、左側のずっと遠くに横浜ランドマークタワーがうっすら見えて、全体を見渡すと地平が緩やかに湾曲している。


 地球って、丸いんだなぁ。


 広く水平線の見えるきらきらした茅ヶ崎の海に対し、ここ観音崎は、すぐ近くの房総半島と向き合っていて閉鎖的。なのに高いところから見渡すと360度の青と緑を見渡せる、まるでジャングルのような果てしない自然の神秘を感じる、深い広さがある。


 普段、茅ヶ崎からあまり出ず、他所の街へ出かけるといえば部活の遠征くらい。アニメの聖地巡礼をしてみたいとは思うものの、インドア派の私は茅ヶ崎に留まっている自分の暮らしに大きな不満はなかった。


 不満はないけれど、たまにはこうして外へ繰り出して、ご当地アニメや艦艇、このダイナミックな景色、茅ヶ崎にはないものを知るのも、とても楽しいと思った。


 もちろん、茅ヶ崎の街も大好き。落ち着きたいときは茅ヶ崎、ワクワクしたいときは横須賀や他の街かな。


「風、強いね」


「あぁ、でも、地球って本当に、丸いんだな」


「うん、凄いよね。なんだか自分がとてもちっぽけな存在に感じる」


「おう、なんだかよぉ、俺も学校ではでかくて浮いちまうけど、横須賀には自分よりデカイのがわんさかいて、極めつけはこの景色だ。なんだかよ、普段言われてる悪口とか、どうでも良くなっちまうなぁ」


「悪口?」


 武道くん、イジメられてるのかな。だったらやだな。とても純粋で、大切な人だから、そんな彼が苦しんでいるのは、イヤだな。


「あぁ、ちょっとな」


「クラス? 部活?」


「部活だな。俺だけが言われているわけではないが、粗探しをして悪口を言いたがるヤツらがいる。見ていてすこぶる不愉快だが、どう注意すればいいのか、うまい言葉が見つからなくてな。ああいうのは、過去の出来事とか家庭の問題とか、闇が深そうだから」


「そうだよね。私もそういう人って、どうすれば悪口を言わなくなるのかなって、よく思う」


「あぁ、まったくだ。悪口を言っている暇があればもっと自分と向き合え、みたいなのはたぶん、地雷だろうからな」


「うん、ときにきれいごとは人を傷つけてしまうし、逆にこちらが加害者になりかねないもんね」


「そうだ。それで片付くなら、イジメや陰口なんて、世界からとうに消え失せている」


「ほんとだね。武道くんの言うとおりだよ」


 私はにっこり笑顔を作って、武道くんと顔を合わせた。


「あぁ。話、聞いてくれてありがとうな、気持ちが楽になった」


「ううん、良かった。これからも、いいこと悪いこと、なんでもないこと、色んなお話を聞かせてくれたら嬉しい」


「おう、ありがとう!」


 武道くんの苦しみはしっかり心に留め、再び観音崎の壮大な世界に身を委ねる。少し強めの、髪を揺らす風が心地よい。


 あぁ、このまま二人でずっと、風に当たっていたい。


 それでも時は無情に過ぎて、陽が落ちるころ、私たちは横須賀駅前に戻った。


「わあ、きれい」


「おう! なんかロマンチックだな!」


 波止場に浮かぶ黒く大きな艦艇は、オレンジの照明が灯されて叙情的。昭和の時代、この横須賀を舞台にした大人の唄が流行ったのも納得の、ロマンチックな景色。


 帰りに乗った横須賀線の電車は空いていて、私たちは四人ボックスの脇にある二人掛けのシートに座った。私は小柄だから大丈夫と言いたいところだけど、やっぱりちょっと窮屈だった。


 それでも好きな人だからか、いつも長く感じる大船おおふなまでの乗車時間は刹那に過ぎて、気が付けば東海道線に乗り換えて、茅ヶ崎駅の改札口を出ていた。


 こんなときに限って、特別快速が来るなんて。


 私の家は南側、武道くんの家は北側。なので、武道くんとは駅でお別れ。


「じゃあ、またね」


「おう、きょうは楽しかった!」


 また会える日を楽しみにしながら、私たちは人混みの中で背を向けて、離れていった。


 離れたくないのに、胸の中が温かかくて、そわそわして、足が浮いて、速歩きになってしまう。


 次に会えるときが、少しでも早く訪れますように。


 さっきまで過ぎ行く時の速さを憎んでいた私は、そう願わずにはいられなかった。

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