第174話 忘却の彼方

「じゃあ、もうそろそろお昼になるみたいだから、私は家に帰るわね」

「うん? なんだ食べていかないのか? せっかくリアンにキミの分まで昼食を作らせているつもりだったのがな」

「ふふっ。楽しみは後に取っておくものでしょ? それに結婚すれば、毎日食べられるでしょうしね」


 マーガレットとルイスはこれから先の話し合いをしていると、いつの間にか昼近くにもなっていた。

 ルイスは彼女に昼食を共にしようと提案するが、彼女はそれを断ってしまう。


「それもそうだな。何も焦ることはないだろうしな。ではリアンに家まで送らせよう……リアン」

「はい」

「いえ、それも結構よ。久々に街へと来たのだから、何か目新ものがないか見てみようと思っていたところなのよ」


 ルイスは雑用仕事もこなす執事のリアンに、彼女をトール村の家まで送るようにと指示を出した。

 リアンは主の命令にただ頷き、扉へと導く形で彼女のことをエスコートしようとしたのだが、マーガレットはそれすらも理由を口にして断ってしまう。


「そ、そうか? なら、好きにしろ」

「ええ。ただ、貴方の心遣いだけには感謝を言っておくわね。ありがとう」

「う、む。まぁ……な。べ、別に感謝の言葉など必要……な…い」


 マーガレットは自分へ配慮してくれるルイスへと感謝の言葉を述べる。

 ルイスにとってみれば『ありがとう』という単純な言葉すら、遠い彼方に言われたほどの思い出しかなく、その得も言えぬ気持ちと戸惑いから言葉を詰まらせてしまう。


「そ、それにぃ~……こほんっ。き、キミと私は……ふ、夫婦なのだからなっ!」

「ああ、それもそうよね。でも親しき仲にも礼は必要だと思うわよ、それじゃあね」


 声が上ずり、マーガレットの仲を恥ずかしそうに口にするルイスであったが、彼女はそんな彼とは対照的にアッサリとした態度のまま、手を振って部屋を出て行った。

 あとに残されたのは、所在なさげにする主と忠実な執事だけだった。


「私だけ……私だけなのか……こんな想いをするのは……ぐぬぬぬぬっ」

「ぷっ」

「ん? リアン……今お前、私のことを笑わなかったか?」

「……いえ、ルイス様の気のせいではないかと」


 ルイスは自分の今の気持ちを抱いている自分だけではないかと思いそう小声で呟くと、隣に控えていたリアンから何か噴出すような音が漏れ聞こえていた。


 それはいつも冷酷な態度の主とは打って変わり『人間らしい……』とも感じてしまった、リアンの口から奏でられた音であった。だが彼が執事の手前、主の醜態を嘲笑うなど言語道断なことに他ならない。リアンは冷静さを装いつつ、そう誤魔化すのだった。


「ふぅーっ。私は一体何をしているのかしらね? でも……それでも……私は……」


 ルイスの屋敷を出たマーガレットはようやく解放されたっと、一息ついた。

 そして意味深にも自分の言動を振り返り、そんなことを呟いたまま街中へと向かって歩んで行く。



「リサ、体のほうは大丈夫なのか? 歩きづらくはないか?」

「もうボクは大丈夫だってばぁ~。お兄さんは心配性なんだから~」


 マーガレットはどこか聞き覚えのある声に釣られて、ふと顔を見上げてみれば前方からデュランとリサが歩いて来るのが目に入ってしまった。


 彼らは仲睦まじくも腕を組み、デュランはリサの体に寄り添う形となりながら支え歩いている。その姿は誰がどう見ても恋人かそれ以上の関係にしか見えなかった。


「うにゃ?」

「うん? どうしたんだリサ、立ち止まったりなんかして?」

「んっとね、あそこにいるのって確か、この間ウチのお店に来てくれたマーガレットじゃない?」

「……マーガレット?」


 奇しくもマーガレットはそんな二人の姿を目の当たりにして、道の真ん中だというのに立ち止まったまま呆然としてしまっていたのだ。

 そしてそんな彼女のことを真っ先に気づいたリサが口にすると、デュランも釣られる形で前を向き、彼女の存在に気づいた。


 マーガレットはそんな仲睦まじい二人の姿を見てしまい、本当は路地かどこかへと隠れたいなどと思っていた。

 しかし、あまりにも突然のことで足が動かずに、その場に留まることしか出来なかった。


「あっ……でゅ、デュラン……とリサだったわよね? ぐ、偶然……ね、こんなところで」

「あ、ああ……そうだな」

「マーガレット。こんにちは~」

「あっ、ええ、こ、こんにちは」


 マーガレットは何か声を出そうとして、既に理解しているにも関わらず、二人であることを確認してしまった。

 デュランも昨夜のことがあったばかりなのに、リサと腕を組み寄り添っている姿を見られてしまってどこか所在なさげにぎこちなく返事をする。


 リサだけはいつもと変わらずにマーガレットへ向けて挨拶をすると、彼女もワンテンポ遅れながらも挨拶を返した。


「え~っと、きょ、今日はどうしたの二人とも? 確かレストランを開いていたわよね? もうお昼を過ぎる時間のようだけど……あっ、もしかして今日はお店がお休みなのかしら?」

「もう昼を過ぎる時間帯になったんだな。朝早くから医者を訪ねていたのに、案外時間を食ってしまったな」

「わわっ。アルフとネリネ、大丈夫かなぁ~。お兄さん、急いでお店に向かわないと!」


 マーガレットは世間話として、今この時間帯に二人がこの場に居ることに疑問を感じ、直接聞いてみることにした。

 だが二人は今が昼であることすら忘れてしまっていたのか、昼過ぎであることを告げると慌てた様子を見せている。


「マーガレットすまない。奇遇にも街中であったことは喜ばしいことなのだが、俺達これから店に急いで向かわないといけないんだ」

「ええ、別に私のほうは大丈夫よ。変な気を遣わないでちょうだい」

「そうか……すまないな。リサ、急ぐぞ。いけるか?」

「うん! じゃあまたね、マーガレット~。またお店に来てよねぇ~」

「ええ、ありがとう……」


 二人はマーガレットに別れの挨拶を交わすと、急ぎ下流階級居住地域プレカリアート・エリアにある彼らのレストランへと向かい、歩いて行ってしまう。

 だがそれでもマーガレットの瞳は、デュランがリサの体ごと支える形で寄り添っている後ろ姿が見えなくなるそのときまで、視線だけで彼を追うことしかできずにいた。


「…………デュラン」


 マーガレットにはなんだかそんな二人の姿がとても羨ましく感じ、一体自分は今何をしていたのかすら忘れそうになってしまう。

 そして今感じているその想いを心の奥底へと沈み込ませ、そのまま忘れることにした。


 彼のことを想うが故に、そして彼がようやくと掴み取った幸せを守る、そのためにも……。

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