第六章 許されざる者 ②

 王宮まで送ってくれた人たちとは、そこでお別れ。

 王宮内では、別の銀服の一団が待っていた。

 Jがリーダーらしき禿げたおじさんと挨拶を交わす。

 挨拶もそこそこに、一行は王宮内を歩き、エレベーターに乗り、ぐるぐると歩き回った。

 とにかく広い。天井が高い。柱が太い。床はピカピカ。何調というのか知らないけど、不思議発見で見た、ルーブル美術館みたい。良し悪しはさっぱりだけど、色々な絵が飾ってある。風景画。動物の絵。美術の授業で見たことがある最後の晩餐のような宗教画。暗闇の中を天使が蝋燭を持って降りてくる絵。いろいろな絵があるが、女性の肖像画(美人)が多い気がする。絵だけではなく、彫刻も沢山。仏像。ダビデ像のような、男性の像。動物の像。そして、女性の裸の像。女性像が多いのはともかく、なんで裸の像ばかりなんだろう。

 だだっ広い広間に出た。

 見渡す限り、エレベーターはなく、階段を上る。

 50段はありそうな長い階段を上ると、遠くに大きな扉が見える、廊下とも部屋とも言えない空間に辿り着いた。

 視界の左側には、首が痛くなる高さまでの格子の入ったガラスの扉が並んでいる。

 扉はひとつ置きに全開にされ、風で銀色のカーテンが揺れている。

 右側には、正面の扉より二回り小さい、普通サイズの扉がいくつか並んでいる。

 小さい扉の入り口には、銀色に輝く騎士の像が、扉を守るように両脇に直立している。

 正面の、大きな大きな扉の両脇にも、銀色に輝く騎士像が他を圧倒する大きさで立っている。お寺の仁王像みたい。

 騎士像がだんだんその威圧感を増してくる。

 それまで一言も発せずに先頭を歩いていた禿髪黒髭のおじさんが、扉に手をかけ言った。

「こちらで伯爵がお待ちです」

 口々に礼を言って、薄く開けられた扉から部屋の中に入った。どうせちょっとしか開けないなら、こんなに大きな扉はいらない気がする。

 中は、先ほどの廊下より、はるかに小さい。と言っても、紅穂の家のリビングよりずっと大きい。テニスコートぐらいの大きさ。天井も低くなった。少しホッとする。あまりに広々した空間は好きじゃない。落ち着かない。とは言え、天上は紅穂の身長の三倍はあった。

 銀色に光る床の中央には長方形の毛の短い白い絨毯が敷かれている。

 その上に灰色の大きなL字型のソファと膝上ほどの背の低いテーブル。

 四方の壁には棚が置かれ、一つの棚にはガラス食器、残りは全部分厚い装丁の本がびっしりと置かれている。

 部屋の奥正面、格子の入った出窓の前に、大きな木のデスクと高い背もたれを持つ、茶色い椅子があり、その傍らに、初老の男が立っていた。

 見事な銀髪を後ろに撫でつけ、オールバックにしている。

 島に来てから見た人々と違い、銀色の服ではなく、薄いブラウンの三つ揃え。

 ネクタイはしていない。代わりに薄い銀色のスカーフを巻いている。

 背が高い。そして、鼻が高い。目は細い。

「よく来たね」

 男はデスクを回り込むと、手を差し出しながらJに手を差し出した。

「お久しぶりです、伯爵」

 そうか(まあ、そうだろうな、とは思ったけど)この人が。

 ベルウェール伯爵はJ、ロン、ウィル、紅穂とにこやかに握手をする。

 笑うと目尻に深いしわが刻まれ、それは魅力的な笑顔で、妙に乾いたその手と握手した時に思わず顔が熱くなった。

 でも。なんだか妙な笑顔。そうか。目尻も口角も笑ってるけど、目の大きさが変わらない。

 目は笑ってない、ってこういうことか。

 背筋がぶるっと震えた。部屋の中は温かかったが、冬に半袖短パンでは無理もない。もう小学生ではないのだ。なんだか、急に恥ずかしくなった。後で着替え出来ないか聞いてみよう。

 挨拶が済むと、勧められるままに、ソファに腰かける。

 ほんとは、沈む様に寄りかかりたかったけど、室内と目の前の男の雰囲気からすると、場違いに行儀が悪い気がして止した。

「さて。せっかく来てくれたがそろそろ陽も落ちる。夜は予定があってね。あまり長く時間は取れない。まずは突然の訪問の訳を教えてくれるかね。その後、こちらから聞きたいことを聞くとしよう」

 それでいいかね、と伯爵は言い、手元の呼び鈴を振った。

 入り口とは違う左手奥の低い(普通の高さの)戸が開き、5人の灰色のメイド服の女性が入ってきて、それぞれの目の前にカップを置いた。

 テーブルの真ん中には、お茶受けだろう、スコーンをカットして生クリームを挟んだ菓子が置かれた。よく見ると、色とりどりのフルーツが生クリームの白に埋もれている。

「どうぞ」

 食い入るように見つめる紅穂の視線を追って、伯爵が笑顔を崩さずにお菓子を掌で指し示す。

 ゴクリ。

 喉が鳴った。

 紅穂は一応Jの顔色をうかがう。

 ジャーマンシェパードの顔色は分からないが、Jは一回瞬きして頷いた。

 それを見て、紅穂はスコーンに手を伸ばした。

 ロンも一度ソファから降りて菓子を取ると、上下にカットされたスコーンの上をウィルに渡し、自分は立ったまま生クリームを舐めた。ウィルはスコーンを両手で受け取ると、例によって齧り始めた。

 Jは菓子に手を付けず、器用にカップに入った紅茶を啜る。

「率直に申し上げると、力を貸して欲しいのです」

「内容によるな。今こうして非公式で訪問を受けているだけで、正直いい気持ではない。頭のいい君のことだ。知ってるんだろう?君たちが指名手配されていることは」

「ええ。まあ、推測に過ぎませんが」

「なんでも反逆罪だとか。創家に逆らうなど、許されないことだろう?」

「なるほど…反逆罪ですか…そこまで公にして手配欠けるとは推測の域を超えました。そうであればなおさらご協力をお願いするしかない」

「どういうことだね?」

「その前にひとつだけお聞きしても?」

「構わないね」

「我々の罪状は反逆罪だけですか?」

「えっ?ああ。そう聞いてるが」

「分かりました。お願いしたいのは、第三エリア12の創家から人を派遣して、藍姫に再生を行うことを了承させて欲しいのです。その上で、再生が滞りなく済む様に監視していただきたい」

「再生を?しかし、藍姫は再生して20年も経ってないのではないかね?」

「そうです。しかしおそらく先の再生の際に、ミスがあったのではないかと思います」

「ミス?そんなことがある訳がないだろう?まさか、ノイズかね?」

「いいえ。ノイズなら、むしろ話は分かり易く解決出来ました。しかし、もっと複雑な何かです。長年お仕えした我々が言うのです。どうか信じていただきたい。今の藍姫は以前の藍姫と違う」

「証拠は?」

 紅穂は無意識に胸元のヒュプノクラウンを触っているのに気付いた。

 ふと、立ちながら生クリームを舐めているロンを見ると、ロンは窓際テラス近くのハイテーブルを見ている。ハイテーブルの上には将棋盤とカップがふたつ置いてある。ベルウェールは日本人ではないが、将棋を嗜むのだろうか。

 Jがロンとウィルを順に触った後、紅穂を掌で指し示した。

「我々自身です。動物への意識の転移は、禁じられているはずです」

「彼女は?地上人だと聞いたが?」

「青の一族の地上での協力者のお孫さんです。身内の恥で申し訳ないですが、彼女の祖父は藍姫の命令で拉致されました。これも直近許されないことでは?」

「まあ、そうだが…んん、藍姫が禁止行為をしているのを君が訴えているのは分かった。君らを見る限り疑いのないことなのだろう…」

「では…」

「まあ待て。そうは言ってもそれだけで、はいそうですか、と言える訳じゃない。藍姫には藍姫なりに考えがあってのことではないかね?君たちを元に戻すように口をきいてやってもいいが、それと藍姫をもう一度再生させるのは別の話じゃないかね?」

「それは…」

「言ってみれば、これは君たち青の一族の中での問題なんだよ。そうじゃないかね?」

「それは…」

「そうであれば私があれこれ口を出す、ましてや12創家を動かすには難しいと言わざるを得ないだろう?」

 相変わらず顔つきは穏やかだが、妥協のない口ぶりだった。

 さすがのJも黙るしかないのだろうか。心配してJを見るとJは相変わらずのポーカーフェイスで、凛々しいシェパードの顔はみじんも変わりない様に見えた。

 Jが紅茶のカップに手を伸ばす。

 ロンが生クリームだけ舐めて残したスコーンの土台をテーブルに置くと、トコトコとハイテーブルに向かって歩く。その後ろをウィルがチョコチョコと追った。

 一口飲んで、カップを受け皿に戻すと、Jが言った。

「そうではないのです」

「なにがだね?」

「我々の望みは自分たちが元に戻ることではない、最初からそうお伝えしています。藍姫を再生してもらうことだと」

「だからそれは…」

「聞いていただきたい。これは青の一族だけの、いや、第三エリアだけの問題でもないかもしれません。藍姫がどこまでお考えかは分かりませんが、藍姫は地上人、あるいは天井人全体に対して波乱を巻き起こそうとしてらっしゃいます。我々はそれを押しとどめようとして、このような姿に変えられてしまったのです」

「そんな馬鹿な…」

「そう言い切れますか?伯爵。伯爵の優秀な諜報部がどれだけの情報を拾っているかは分かりませんが、藍姫の様子がおかしいのは少なくともご存じのはず。青の一族に良からぬ噂あり、これは、先ほど乗り合わせた空港警備の男が話していたから、最早周知のことなんでしょう。しかし、ことはそれだけにとどまらない」

「というと?」

「藍姫は神魔器という神魔器を集めています」

「しかしそれは」

「そう。どこの創家でも力の入れ具合は違えど行っていることです。しかし、藍姫はそれを軍事転用しようとされています」

「軍事転用?何のために?」

「それは分かりません。それを調べる前にあそこを離れざるを得なかった」

「いや、しかし…」

「そうです。分からないのです。だからこそ怖ろしいと申し上げているのです。一体何のために神魔器を軍事転用する必要があるのか、見当がつかない。それこそ考えられますか?我々は創家の主の考えが危険だとは分かる。しかし、なぜそうなったかは分からない。だからこそ、再生に何らかの危険なミスが生じたのではないか、あるいは、何らかの人為的な作用で、再生に悪意のある手が加えられた、と考えるに至ったのです。これは身内の感覚に過ぎないので、言葉でお伝えするのが非常に難しいのですが、元来の藍姫に限ってこのような、我々や壬生沢教授にしたような仕打ちをする訳がないのです」

 伯爵は黙って椅子にもたれかかり、肘掛に肘を立て、顎に手を当てると言った。

「君は名前をなんというのかね?」

「えっ?私ですか?」

「そう」

「壬生沢、壬生沢紅穂です」

「紅穂ちゃんか。いい名前だ」

「ありがとうございます」

「紅穂ちゃんは、壬生沢教授が、おじい様がどんな研究をしてたのかは知っているのかな?」

 来た。

「いいえ。わたし、おじいちゃんを探しててJ達に会っただけで…なんだか、何もかも現実離れしてて」

「そうか。おじい様が心配かい?」

「はい。事情はよく分かりませんが、早く帰って来て欲しい、そう思います」

 伯爵は二、三度頷くと体を起こした。

「J。藍姫が何を考えているのか、具体的に君たちは知らんのかね?」

「ええ。そこまでは分かりません。同じ立場の人々、各創家の主の方々に聞いてもらうしかない、と思います。更に私見を述べるのであれば、伯爵はじめとする歴々の方々にお聞き頂いても分からないと思います。なぜならば、あの藍姫は、藍姫であって藍姫でない、そう思うからです」

「そうか…少し待っていてくれ。諜報部の責任者を呼んでくる」

 そう言ってベルウェール伯爵は、入り口の大きな扉を開け、部屋を出て行った。


5 

「Jよお。オデ、なんか変な感じがするんだけど」

「ロン。お前もか?」

「おおよお。やっぱりJも?」

「ああ。30%な」

「えっ?どういうこと?」

 紅穂がロンとJの会話に入り込む。

「いや、伯爵が俺たちの姿を見て、何一つ驚きを現さなかったことが気になる」

「それは…もう聞いてたからじゃない?」

「まあ、それは考えられるが…にしてもだ。紅穂が最初見た時偉く驚いただろ?」

「うん」

「いくら知っていても、普通、もっと興味を持ったり、単純に驚いたりするはずなんだ。それが、空港警備の連中からして、一瞬ぎょっとはしたものの、事前に何らかを知っている、あるいは、この姿を見たことがあるかのような振る舞いだった。もっと驚いたり、興味を持ってもおかしくない。だが、伯爵はそれに輪をかけて無反応に近い。創家の主としての対応力、そう言ってしまえばそれまでだが。それが気にかかる。何度も言うようだが、この姿はイレギュラーなんだ。天井人だって例外じゃあない」

「なるほど。第六感ってやつ?よく分かんないけど」

「そう言ってもいい。確証はないが、いい予感ではない。伯爵とのやり取りでも、なんとなく、違和感がある。こちらの依頼を受けずに、あちらのシナリオに乗せようとしているような…ロン、お前はどうだ?」

「オデはよお。60%」

「60%?それって…」

「高いな。何を見た?」

「さっき、王宮に来る車の中で、おしゃべり好きなやつがいたろお?」

「いた。チャラい感じの」

「そいつがよお、オデとウィルが車降りたら分からなくなる、みたいなこと言ってたよなあ」

「言ってた。他の動物に交じるとか何とか」

「よく考えたらよお。オデ達の体、この姿の生き物は、アースウィンドの生き物じゃねえ?」

「えっ?何だっけ?ロン達の、その、国?エリア?には居ないの?」

「いないよお。普通には。Jが再生で移されたのは、まあ、犬だわなあ。それはだいたいどこでもいるよお。でも、オデ達が移されたのは、アースウィンドの固定種だと思うんよお。そうなると、余程の事がない限り、実験に使えないと思うよお。下手すりゃ国際問題だもんよお」

「確かにな」

「えっ、待って待って。事情は分からないけど、その、それで何か変な感じ?がするの?60%も?そもそも、変な感じって何よ」

「ん~。伯爵って味方じゃないんじゃないかってことだよお。なあ、ウィルウ」

「グッキョ」

「J?そうなの?」

「分からん。ただ…何か、そういう気もしてきた。おい、ロン、他に何か気になることないのか?紅穂の言う通り、それだけで60%はないだろ?」

「それだけじゃねえよお。なあウィルウ」

「グッキュ~」

 ウィルがチョコチョコと走って、先ほどまで見ていたハイテーブルの下に着くと、テーブル横のハイチェアーを駆け上り、テーブルの上を指さした。

「なに?なんかあるの?」

「差しかけの将棋だよお」

「将棋?」

 紅穂が聞くと、ロンが言った。

「30手ぐらいなんだけどよお。向かって右側、多分伯爵だと思うんだけどよお。居飛車なのなあ。左がよお、四間飛車穴熊なのよお」

「イビシャ?シケン、なに?あたしよく知らないんだけど?」

「四間飛車穴熊?好んで差す奴が一人いるな。それだけじゃない。ここ、アースウィンドで、なぜ将棋が差されているか…だな」

「そうだよお。オデ達の城ならともかくよお」

「それってつまり?」

「将棋だけならともかく、四間飛車穴熊となると…」

「となると?」

「コニーのやつがここに居たんじゃねえのお?」

「とってもスケアクロウ!」

「足して90%。まさかとは思ったが。行こう。伯爵が戻る前に。脱出だ!」

 Jが椅子から立ち上がった。  


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