9.


 年が明けてすぐの土日、まだどこも部活すら始まっていなくて、学校にはほとんど人がいない。

 俺は年末、生徒会室に冬休みの宿題を忘れるという間抜けをして、ただ回収に来ただけ、だったのに。


「わあ、大和田くん、凄い。全部分かったよ」


「……先輩、本当に試験大丈夫ですか?」


 相変わらず四階の席で勉強していた彼女に声をかけられ、古典の質問に答えることになってしまった。廊下が寒そうだったので、生徒会室の中で。


「古典は特に苦手なんだよね。いざとなったら替え玉頼むかな」


「何言ってるんですか、性別がそもそも」


「いや、大和田くん、女装しても映えると思うよ?」


「身長の時点でアウトです」


 一八〇センチに近い俺と、一六〇ちょいくらいの彼女。こう横に並んで座ると、いつも以上にその背の差をリアルに感じる。


「それにしても、今日は綺麗だね」


「はい?」


 さっきの女装云々もあって、ついドキッとしてしまう。

 絶対違う。というか、すぐ帰るつもりで髭も剃ってこなかったから恥ずかしいくらいだ。


「いや、いつも思ってたけど、この部屋大抵汚いから」


 なるほど、と思った。

 生徒会室は、冬休み前の大掃除で多少綺麗になっていた。部屋に入ったとき、俺が置き忘れていった宿題のテキストだけが机にぽつんと置かれ、窓からの薄い光に照らされていて、その物寂しさに少し趣を感じたりもした。


「几帳面な子、いないの?」


「男子ばっかりですし、一人いる女子とたまに片づけてはいるんですけどね。まあ大掃除でその子が口酸っぱく注意してくれたので、これからは大丈夫かなと」


「へえ。その子と仲いいんだね、青春」


「いやあ……違いますよ!」


 彼女はクスクスと笑って、そんないたずらっぽい姿も素敵だと思ってしまう。他の女の子になびくはずなんてない。


「それはともかく、生徒会って響きがすでに青春」


「現実はそんないいもんじゃないですよ。行事進行とか部活会計とか、事務的で、しかもほぼ内容決まってることの話し合いばっかりです。書記で議事録書きつつだと意見も言えないですし」


 前の会長とは幼馴染で、その人に勧められたことがきっかけだった。まあいい時間潰しにもなるしと立候補して当選したが、予想以上に時間潰しでしかなかった。

 学園マンガはよく読むから、生徒会という響きにもちろん多少は期待することもあったけど、現実ってそんなもんだよな、とこんなところでも現実と理想とのギャップを学ぶ羽目になった。


「でも、会議の後とか和気あいあいとしてるの見ると、いいなって思うよ」


「あー、まあ仲はいいですね」


「うん、部活やってた頃、思い出しちゃうな」


 その遠い目の先、壁の向こう側には、かつて先輩の過ごした部屋がある。


 秋の終わり頃、先輩に、どうしてこんな所で勉強しているのかを聞いたことがある。他に受験生はいないけれど、音楽室とか美術室とかあってガヤガヤするし、何よりどう考えても寒い。

 すると、後輩が頑張っているのが見えるから、と返ってきた。


 ――実は色んな場所で試したんだけどね、ここが一番、自分の色を大事にできそうな気がしたから。


 だから、集中力が必要な英語の長文も、流れ作業のように解かないといけない国語も、彼女はここで勉強する。三年間培ってきた自分のリズムは保存され、実技の対策に移ると、彼女はハッとするようなアイデアを生み出していく。


「本当に、いい部活生活だったんですね」


 彼女は大きく頷く。結んでいた髪がひょこりと動いた。


「大和田くんはどう? 帰宅部だったっけ、頑張ってるのは生徒会だけ?」


 生徒会も別に頑張るというほどのことはしていない。スケート場のバイトも、頑張っていると言えるくらいたいそうなものでもない。本当は、本当だったら。


「先輩、そろそろ再開しません?」


「あ、本当だ、そんなに喋ってたっけ。……ええと、部屋は」


「ここにいていいですよ、もう少しいますので」


「じゃあ、お言葉に甘えて」


 小さく会釈をすると、彼女は英語のテキストを取り出し始めた。俺も宿題を開く。絶対集中できないだろうな、と思いながら、先輩の横から動かずに問題文を読み始める。

 右腕が、勉強に集中する彼女の腕と当たりそうになり、名残惜しくもそっと椅子を離した。




 先輩の髪から匂ういい香り。可愛い声。優しい笑顔。


 色んな事を一切忘れて、この時間が一生続けばいいのに――。


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