3.


 俺がスケートを始めた理由は、今となっては誰もちゃんと覚えていない。

 母は俺がオリンピックに影響を受けたからだと言い、父は母がオリンピックに感動して連れていったと言い、姉は単に近所にあったから圭太が興味持っただけでしょと言う。なんにせよ、小さい頃からこのリンクにはお世話になってきた。


 昔の自分は相当な引っ込み思案で、教科書の音読だとか球技だとか、そういう自分を曝け出す行為というのが恥ずかしくて苦手だった。

 だけどスケートだけは違った。初めて氷の上を滑った瞬間から、ここが自分の場所なんだ、と直感にも似た思いが湧いた。自分の「楽しい」という感情を全面に押し出して、他人に見せるのがこんなに心躍ることだなんて、そのとき初めて気付かされた。


 初めて一回転に成功した時のことをよく思い出す。

 体をわずかに捻り、蹴り出した瞬間、慣性のままにくるりと世界が回った。とん、と着地してから、今のは何だったんだという驚きと、テレビの人と同じことをしたんだという興奮と、もうこの競技から一生離れられないという確信と、そうした思いが映画のフィルムみたいに次々と頭を通り過ぎていった。

 それからは、この清らかで透明な銀盤に、いつか絶対自分の花を咲かせてやるんだ、と心の内に熱い思いが芽生えた。


 その日から、リンクの氷の裏側に、俺は時々優雅に舞う幻影を見ていた。

 俺がループをしようとすれば、幻影はもっと速く、観衆の呼吸から何から周囲全ての空気を集めるように回る。俺がジャンプを決めれば、幻影はもっと回転数の多い、何者をも寄せ付けない圧倒的な冷静さを持つ円運動を見せつけた。

 それはいつか掴み取る理想の自分じゃないだろうかと気付いてからは、その未来を信じて、俺は手を伸ばし続けた。




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