覚えてたの?


「忘れてたの?」


「覚えてたの?」


 さやかがクスッと笑った。


 あの夢で見た花火。どこか引っ掛かる部分があって、練習後に待ち伏せしてさやかに尋ねてみた。

 そう、あのとき一緒に花火をしていたのはさやかだった。話してみると小五の夏、何かの折に余った花火を子供会で使い切ろう、みたいな内容だったらしい。


「あのとき誘ってくれたのそっちじゃん」


「え? そうだっけ」


「だって私、子供会の行事とかまともに参加したことなかったし」


 一瞬、彼女の顔に寂しい笑みが浮かんだ。それは、落ちていく秋の葉を見送るような表情で、惜別のような感情を想起させた。部活後、更衣室前の渡り廊下はすっかり暗くなっていて、その寂寥はこの時間帯にとても似合う。


「あのときさ、楽しかったよ。改めてありがとね」


 彼女の口が、夢の中と同じように動く。小学生の彼女の声が重なって、脳内を巡る。


 小学生の時の彼女はいじめを受けていて、教室ではいつ見ても口を結び、何かを我慢していた。特に自分が転校してきた小四の頃は、友達と遊ぶ姿もほとんど見たことがなかったような気がする。

 特に小学生女子という生き物は、いつ誰が、何が原因でいじめの標的になるか分からない。いじめる側じゃない女子だって、いじめられているさやかを避ける。それは仕方のないことだった。


 自分は基本的に、いじめだとか、暗くてセコいことが嫌いだ。

 外から転校してきた俺なら、この状況を変えられるかもしれない……までは考えていなかったけど。ただ俺は、周りの人に楽しんでもらえるのが好きなだけで、ほぼ自己満足、ちょっとしたお節介込みくらいだ。だから別に、


「礼を言われる筋合い、イズ、ありません」


「せめて、イズ、ノット。でいいじゃん」


 英語力ヤバいよ、と言われて、憤然とした顔で今のはジョークだと伝えた。


「どうだかなあ」


 いたずらっぽく笑う彼女の声に、心臓が小さく、とくん、と鳴る。薄暗くて良かった。もっと明るかったら、彼女の顔がはっきりと見えたら……いや、明るかったら周りの目線が気になるからどのみちそんなことはない。以上!


「あー、もう暗いし、帰るぞ」


「そうだ」


「ん?」


 門の方へと向きかけた足が止まる。


「いや、ちょっと今さ、思い出して」


「……何を?」


「あのときもっと嬉しかったことがあったなって。広大の言葉」


 生唾を飲み込むって、こういうことなのか。俺の目はさやかの唇に吸い込まれる。ほんの小さく、口が開いて、息を吸う音が聞こえて。




「おい広大帰るぞ……? おおお! おおおアツゥイアツゥイネェ!」


 右後ろから走ってきた真の顔の辺りに、俺は叩きつけるように右腕を出す。寸前でマトリックスばりのエビぞりで体をそらされて、ちっ、と露骨に舌を鳴らす。


「おい! エースストライカーの大事な顔を破壊する気か!」


「へえ、サッカー部のエースで上等な顔ならもっとモテるよねー普通」


 真は「ちくしょうそりゃお前とかと比べるとさあ」とか、「いや、だけどエースとは認めてくれてるんだな」とかあれこれ言っていて、うん、どうでもいいけど、完全に空気変えやがったコイツ。


「あの、私、帰るね」


 ポツンと取り残されていたさやかは、そう言い残して校門の方へと走っていってしまった。真に気を取られていた俺は、えっ、あっ、とうろたえているとバイバイすらも出てこず、ポカンとしながら見送ってしまう。


 とん、とん、とん、と指で背中を叩かれる。


「こーだーいくん、カノジョ追わなくていいのー?」


 その瞬間、さっきのさやかの言葉の続きが聞けなかったことに気付いた。嬉しそうにはにかむ彼女の顔に、何を言われるのか内心ドキドキしていた自分を思い出した。……あああ! 何だったんだあれは! 気になる気になる気になる!!!


「あああああチクショウ!!!!!」


 誠の頭に拳を叩きつけまくる。1HIT、2HIT、3HIT!


「なんだよやめろやめろ! やめてくださいぃーー!!」


 叩いているうちに感触が変わって、いつの間にか彼の頭は両手でガードされていた。最後にその手を思い切り平手打ちして、盛大に息を吐いた。


「あいつは、彼女なんかじゃねえ」


「だからって、そこまで怒らなくてもいいじゃんかよ」


「こっちの事情だ」


 ドスの利いた声を出して睨み付けると、真は恐る恐る上目づかいで様子を探ってくる。これ以上の殺意を湧かせるのもエネルギーの無駄だ。また思い切り溜め息をついて、「帰るぞ」と先に歩き出す。


「だから溜め息、幸せ逃げるって」と言いながら真がついてくる。もう逃したっつうの! と思った瞬間、やっぱりさやかといる時間が幸せだとか思ってるんだ俺、とハッとして、


「あああ、ワッケわかんねえー!!」


 澄んだ秋の夜空には、よく声が響き渡る。でけえよ先生にまで聞こえるぞ! という真の忠告すらどうでも良いくらい、空の彼方まで響いていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る