個人練習
早朝の公園の広場には、俺たちの他に誰もいない。神社と隣り合ったこの公園の奥は、立ち並ぶイチョウや桜、ハナミズキなどの木で外と隔てられていて、目立つこともない。従って、変なプレッシャーもかかる必要がない。
それでも。目の前の少年から蹴り出されたサッカーボールは、変なスピンがかかって、その場で白黒のしましまを浮かべていた。
「越野、ちょっとボール持ってこっち来い」
俺に呼ばれて、越野は慌ててボールを拾いに行った。かがんだ拍子に眼鏡がずれて、彼は左手でくいっと直す。手にしたボールには、昨日の風雨で落ちていた緑色のイチョウの葉が、手形のようにべたっと貼りついている。
「いや、別に拾えって意味じゃなかったから」
「あ、すいませんっ」
「謝らなくてもええんやで」
「な」と「ん」を強くして、わざとイントネーションをおかしくした関西弁に、越野は俯きながらクスッと笑った。
「よし、そこボール置け。前も言ったけど、まずお前は足の裏でボールを蹴ってる」
越野の蹴り方をトレースして見せてみると、ボールは俺の少し前でさっきのようにしましまを生み出した。ほう、と息の輪郭が聞こえた。ボールを踏みつけて回転を止める。
「最初のうちは、転がすなら足の内側に当てる、って言ったよな?」
「はい」
「力む必要もない。振りかぶる必要もそんなにない。……そうだな、パターゴルフみたいなイメージ、っていうのはどうだ」
今のは通じるかな、と疑問だったが、越野はしっかりと頷いた。よし、じゃあもう一回、というと、彼はまた数メートル先へと走っていく。木々の上から射す柔らかい朝日が、少しずつ、照度を増している。
朝練前、学校近くの公園。最近の俺たちは、いつもここで特訓を行っている。
越野の圧倒的実力の無さを知っても、最初は俺もレギュラーに選ばれたばかりの時期で構っているどころではなかったが、一、二、三年生と指導に匙を投げる者が続出。
――越野、もしお前に上達する気があったらな。
少し前、この状況を見かねて、越野に連絡を取った。
――明日の朝練前、学校横の公園に来い。
ボールが、またしましまを浮かべている。
「だー、また同じ蹴り方してる、もう一回」
「は、はい」
気の毒なほど体を強張らせて、越野はオイル切れの機械みたいにカクカクと動く。今度はちょこんと足の内側に当てた、が。
「それだと弱すぎ、今日は地面湿ってるからすぐ止まるぞ」
え、あっ、と越野が目をパチパチさせている。そこまで伝えるべきなのかあ、と思いながら、もう少し強く、とジェスチャーを出す。
涼しい風が吹いて、キンモクセイの甘い香りが神社の方から漂ってくる。ひらひらとイチョウの葉が目の前を横切った。つい気を取られていると、その向こうから明後日の方向へボールの飛ぶのが見えた。越野は膝に手をついて溜め息をこぼした。
「さっきよりはいいよ! ちょっと休憩するか」
ボールは水溜りに水没していた。適当に両脚で転がしながら越野の方に近寄る。
「先輩、すみません」
「いいってこった、ちょっとずつだ」
「でも、次期キャプテンにこんな直々にって、やっぱり申し訳ないです」
「あー……いやむしろさ、こうは考えないか?」
俺は少し腰をかがめて、きょとんとする越野と目線を合わせる。
「次のキャプテンだからこそ、戦力の底上げは大事」
今のうちの部に、どう見積もっても、越野より下の実力の者はいない。そういう人間を腐らせないようにする、ということは全体のモチベーションにも影響してくるし、何よりいつかコイツ一人がハブられて部全体に嫌なムードができるのはご勘弁願いたい。そういう責任感が半分。残りの半分は、
「まあ本音はただのお節介。だからお前は勝手に船に乗っときゃいいの」
それでも俯き気味になっている越野の額に、えい、と軽く弾き上げるデコピンを食らわた。額を抑えながらクスッと笑う越野は女みたいだ。普段はあまり笑わないから大丈夫だけど、うちの部にはそういう趣味の奴はいないよな、と余計な心配までしてみる。
「よし、練習再開するぞ」
越野の返事は、キンモクセイの匂いと一緒に風に乗ってきた。小さいけれど、少しは前向きな「はい」という声だった。
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