いったい、いつまで
学校用カップ麺を、忘れてしまった。
もう無かったな、と気付いていて、家に買い置きはしていた。だけど朝からあんなことがあって、うっかりしてしまったのだ。こういうときは仕方なく、学校近くのコンビニに入る。
カップ麺の棚を眺める。ここの所カップうどん率が高かったから、ラーメンか。味はしょうゆか、シーフードか、カレーか、新発売のトマトチリか。カップ麺は結構バラエティ豊かだから、意外と飽きないでいられるのは、不幸中の幸いだろうか。
手にしたビニール傘から水滴が垂れている。外の雨は、少しマシにはなったけど、まだまだやむ気配はない。私の気分も、まだイマイチ晴れていない。
「さやか」
顔の横に、広大のすらっとした体が現れる。
いつもはユニフォームを着て自転車で通っているけど、今日は制服姿だ。雨だから電車で来たのだろう。現場を見られてしまい、内心では少し動揺する。
外に出ると、空は一面中に薄くシールを貼ったように雲がかかっている。どこかに亀裂を入れて、ぺりぺりっと剥がしてやれたら、天気なんか気にしないで練習できるのに。
「いつまで続くんだろうな」
信号待ちの間、広大が言った。かなり早い時間帯なのに、車は続々と都会の方へ向けて走っていく。
「うん。梅雨明けってこんなに遅かったっけ」
「ちーがーう。カップ麺の話」
「あー……そうだね」
どこかからシャッターがガラララッと開く音がした。町は少しずつ朝を始めていく。信号が変わり、横断歩道を渡っていると、車たちの動き出す音がどこか虚しく響いている。これが街の賑やかな音になる頃には、もう授業が始まっているくらいだろう。
「あ、そう言えばさっきの店員誰かに似てない?」
「あ、それ俺もいつも思う。誰だろう」
走り出そうとした瞬間、後ろから襟を掴まれた。喉が詰まって、うぇっ、と声が漏れた。
「なぜに逃げる。なあ、カップ麺のせいとかでクラスで浮いたりしてねえか?」
「……苦しいからとりあえず離して。まあ、大丈夫だよ」
「ホントかあ?」
彼は横目でじとっとした視線を投げかける。
そう言えば、広大ってあの蓮とか言う人にちょっと似ている。結構整った顔してたんだ、と気付いて少しドキッとしていると、彼は、まっいいけどー、と口をすぼめて冗談っぽく言った。そして彼は、ちゅうちゅう、とネズミ……じゃなくてたぶんタコの真似をし始めた。私はなんだか気が抜けてしまう。
気が抜けたついでに、気が付いた。
広大、相当、心配してくれているんだな。
たぶん彼も、昔のこと、ちゃんと覚えてくれていたみたいだ。
「てか別に、まあ変な子だとは思われてるかもだけど、クラスの人と普通に話してるし。それが原因でいじめが起こったりなんかしないでしょ、もう高校生なんだから」
念を押すように言うと、ほいほーい、と彼はおざなりな返事をした。相変わらず空気の作り方が上手いな、と感心する。こんな雨の日にこんな暗ーい話をしても、なるべくシリアスにならないような空気を、意識して作り上げてくれる。
「……あーあ。アンタ、彼女とかいないの?」
「ほっとけほっとけパンケーキ」
「……は?」
「いや、そこはな。なんでパンケーキなの、そこまできたら普通はってツッコミを……いや、悪かった、そんな氷の女王みたいな目するなって!」
ぞわぞわ、と腕を擦って、一歩後ずさりする彼。傘から落ちた雨粒が目に入って、「うわっ」と叫び出す。なんだかくだらなさすぎて、ふっと笑ってしまう。
「てかさ、お前の方こそ、それ彼氏できたら大丈夫なのかよ」
「何が?」
「高校生、お昼、イコール手作り弁当だろ。これ世の摂理」
「摂理って……手作り弁当あげて、私だけカップ麺にしたらいいじゃん?」
「わかってないなあ。同じお弁当を食べて、あ、彼氏のは大き目ね。で、卵焼き美味しそうに食べるのを見てドキドキしてさ、きゃあ」
「一言いい? ちょっとキモい」
引いたように言うと、つれなーい、と広大は頬を膨らませる。これにはさすがに吹き出してしまい、広大はニヤッと笑う。
「そういやマンガにさ、そんなキャラいたよな」
「何? 弁当キャラ?」
そんなニッチなマンガ……探したらありそうだけど。
「あ、違う違う」と彼はひらっと手を振る。「ドラえもんとかでラーメンばっかり食べてるキャラ。アレなんて名前だっけ」
「小池さん?」
「そう小池さん」
なぜかいつもしかめっつらでラーメンをすするそのキャラの姿を、頭に思い浮かべる。そうか、今の私はあのパンチパーマと同類なのか。少しショックだ。
「あ、でも小池さんはどんぶり鉢のラーメンじゃない?」
「え? あー、そうか」
どっちも変わらないだろ、と言いたげだった彼の顔が、小さく横に傾いた。
「あれ、もしかしてどんぶりの麺はダメなのか?」
「うん、カップ麺オンリー。言わなかったっけ」
「言ってないない」
そっかあ、と言って、ふうんと彼は鼻を鳴らした。
気付いたのか。私は生唾を飲み込む。
「それって……いや、いいや」
空気をすぐに察したのだろう、彼は前に向き直って口を閉ざした。
私も前を見る。雨の一粒ずつが、やけにくっきり見える。ラーメンくらいの細さの粒がいっぱい落ちていく。
向こうに校舎が見えている。柵に何本もある細い縦棒が、並んだうどんみたいに見えたところで、はあ、と溜め息をつく。
本当に、本当に。
本当に、いつまで続くんだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます